「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」
僕が映画を沢山見ていた高校生・大学生の時、1999年4月に発生したコロンバイン高校銃乱射事件に題材を取った『ボウリング・フォー・コロンバイン』が公開されました。
コロンバイン高校銃乱射事件自体も同じ時期に高校に通っていたこともあり、衝撃的な出来事でしたし、映画も沢山観ていた時期なので、『ボウリング・フォー・コロンバイン』も見ました。
その後も『華氏911』や『シッコ』も見ましたが、ここ10年くらいの作品は観ていませんでした。
昨年、『華氏119』が公開され、久しぶりにマイケル・ムーア監督を見て、最近の作品も観てみようと思い観てみたのがこの作品です。
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ(字幕版)
作品データ(映画.comより)
監督 マイケル・ムーア
原題 Where to Invade Next
製作年 2015年
製作国 アメリカ
配給 KADOKAWA
上映時間 119分
映倫区分 PG12
あらすじ(シネマトゥデイより)
これまで政府に目の上のたんこぶ扱いされてきた映画監督のマイケル・ムーアは、ある日、アメリカ国防総省のお偉方たちにある相談を持ち掛けられる。彼らの必死の訴えに心を動かされた彼は、国防総省に代わり自分が侵略者として世界中に出動することを提案する。ムーアは空母ロナルド・レーガンに乗り込み、ヨーロッパへと向かう。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★
感想
上に載せたあらすじも読まずに観始めたのでどんな設定なのか分からず、最初戸惑ったのですが、アメリカで色んな問題が起きているので、その解決方法を探しに様々な国に行ってアイデアを持ち帰るというものです。
アイデアを持ち帰るというのを、「侵略」という言葉を使って、アメリカが今までやってきたことを皮肉っています。
マイケル・ムーアがこの作品の中で「侵略」し、アイデアを持ち帰る内容は、休暇、労働時間、教育、医療、ドラッグ、死刑、女性などについてです。
僕の家にはテレビがないのでまだ見る機会が限られていますが、日本での有名人の薬物での報道は本当にひどいものだと感じています。(参照:荻上チキさん、ピエール瀧容疑者の逮捕報道でメディアに苦言 「何を目指しているのか…」 | ハフポスト)
アメリカでの報道の仕方は知りませんが、薬物使用での逮捕は日本と同じように行われているようで(さらにアメリカでは非白人は逮捕、収監される)、薬物使用による逮捕がないポルトガルにアイデアを取りに(「侵略」しに)行っていました。
「ドラッグ使用による逮捕はゼロ」という言葉だけでなく、薬物に関しての取材後に警察官がマイケル・ムーアに語った言葉が印象的でした。
死刑制度が存在する限り 人の尊厳が守られることは ないんです
尊厳は何より大切なもの 死刑は尊厳を冒します
日本はアメリカと同じくらいの人数を死刑執行し続けている世界少数の国です。
僕は死刑制度に反対していて、その理由がこの警察官の言葉と同じ理由です。
マイケル・ムーアはさらに、ノルウェーに飛びます。
そこで囚人たちの生活ぶり(参照:ノルウェーとアメリカの最高レベルのセキュリティ刑務所 —— 恐ろしいほどの違いが明らかに | BUSINESS INSIDER JAPAN)やノルウェー連続テロ事件で息子を殺された父親に死刑制度についてインタビューしています。
息子を殺された直前にかかってきた電話での内容について聞いた後、マイケル・ムーアは彼に復讐する気持ちはないのか?と何度も尋ねます。
犯人と同じレベルに下りてこう言えと? ”お前を殺す権利がある”
そんな権利ないさ
(ムーア:相手がクズでも?)
たとえ相手が… 最低のクズでも 私に殺す権利はない
日本で死刑制度が維持され続けている理由は、遺族感情です。
遺族は被害者ではないにも関わらず、遺族の気持ちを忖度して存続し続けているのですが、 「”お前を殺す権利がある” そんな権利ないさ たとえ相手が… 最低のクズでも 私に殺す権利はない」というのは、その通りだと思います。
さらに字幕ではこのように書かれいました。
このノルウェー連続テロ事件については今年日本でも映画が公開されたので(映画『ウトヤ島、7月22日』公式サイト)、事件ついてはその映画を観てみたいと思います。
(ついでに言えばノルウェー連続テロ事件の犯人であるアンネシュ・ベーリング・ブレイビクは刑務所内での待遇が人権侵害だと訴えて、改善されています。参照:Anders Behring Breivik, Killer in 2011 Norway Massacre, Says Prison Conditions Violate His Rights - The New York Times)
そして、これも日本でも同じ状況にある、組織の決定に女性がどのくらい関わっているかという点について、アイスランドに「侵略」しに行っています。
そこで商工会議所の日本では会頭(?)にあたる女性がこのように言っていました。
調査では”役員会に 女性が3人いたら文化が変わる”と
1人や2人じゃダメ
1人はお飾り 2人は少数派
3人でグループの力学が変わる
これは女性だけでなく、多様性を表す時に考えておかなければならないことで、似たようなことを聞いたことがあります。
意志決定に関わるメンバーが殆ど単一のカテゴリー(例えば「高齢」の「男性」)に偏っていると、偏った意見に傾きやすく、リスクが高いと言われています。
なので、Googleなどのグローバル企業では女性だけでなく、出身地や国が異なるメンバーが意志決定に関わっています。
特に日本では意志決定に「高齢」の「男性」ということだけでなく、「日本人」ということが多いので、様々なメンバーを積極的に含めていく必要があると思います。
このことは、多様性ということでも大切なことだと思うのですが、マイケル・ムーアの感想が印象的でした。
ハッキリしたのは 女性が本当に対等な力を持っていると
国民が幸せに見える
人間が何の為に生きているのかといえば、幸せに生きるためだと思うので(日本の憲法第13条にも書いてありますし)、女性が「本当に」対等な力を持っている社会が羨ましいですし、日本でもそうなると良いなと思います。
また、最後に、僕はこの3月でその仕事から離れましたが、フィンランドの教育についてインタビューする中で教師たちが言っていた言葉も印象的でした。
テストで点数を取る訓練は教育ではない
でも学校って幸せになる方法を 見つける場所じゃない?
僕が学校で働いていた理由はまさにこれでした。
担当する教科を通して、人生を幸せに生きる方法を見つけて欲しい、というものでした。
もちろん点数を取り、「良い学校」に入ることが「幸せ」につながるという考えの人もいるでしょう。
けれど、僕は人それぞれ考え方が違うからこそ、点数や「良い学校」よりも、何が自分にとって「幸せ」なのか自分で見つけて欲しい、どうすれば自分が「幸せ」になるのかを考えて欲しい、そのためのアイデアや手助けをしようとしてきました。
締めくくりにこの言葉を引用します。
みんなが隣人をいたわれば 生きやすくなると思う
自分にとって「幸せ」とはどんなことなのか、どうすれば「幸せ」になるのか、考え、見つけて欲しいと思っていますが、「自分だけ」が「幸せ」に過ごすことは出来ないということも伝えてきました。
自分にとって大切な誰かが苦しく悲しんでいれば、自分が「幸せ」になることは出来ません。
だからこそ、この「みんなが隣人をいたわれば 生きやすくなると思う」ということもとても大切なことだと思って来ました。