映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「の・ようなもの」

 聞いたことはあったけれど、観たことが無かった作品を観てみようと思っていたところ、ちょうどオススメ作品として表示されたので観てみました。
 今回の「の・ようなもの」と同じ森田芳光監督の作品で今まで見たことがあるのは、「間宮兄弟」(2006年)、「武士の家計簿」(2010年)、「僕達急行A列車で行こう」(2012年)です。 


の・ようなもの

 

作品データWikipediaより)
監督 森田芳光
製作年 1981年
製作国 日本
配給 日本ヘラルド映画
上映時間 103分
映倫区分 G

 

あらすじWikipediaより)
物語の舞台は東京の下町。若手落語家(二ツ目)の志ん魚(しんとと・伊藤克信)は、23歳の誕生日記念に初めてソープランドへ行く。相手を務めたエリザベス(秋吉久美子)は、実はインテリで落語にあまり興味がなかったが、裏表のない性格の志ん魚と何となくデートを重ね相談相手もする奇妙な関係になる。
ある日、女子高校の落語研究会を指導するはめになった志ん魚は、その中の一人・由美(麻生えりか)を好きになる。エリザベスに相談するものの、どちらの関係も絶ちがたく二股交際を始める志ん魚であった。由美とのデートの帰り、由美の実家へ立ち寄った志ん魚は両親を紹介され古典落語『二十四孝』を披露する。しかし、由美の父(芹沢博文)から「なってないねぇ。どうやって生活しているの?」と心配され、古今亭志ん朝立川談志と比較された挙句、由美からも「下手」と駄目を押される始末。失意の志ん魚は家を出るが終電は既に無く、堀切駅から浅草へ向けて歩き出す。深夜の下町を「道中づけ」しながら歩き続け、浅草へ到着したとき夜は明け心配してスクーターで駆けつけた由美が待っていた。
その一方、パッとしなかった志ん魚の一門の先輩・志ん米(尾藤イサオ)が真打ちに昇進することとなり、関係者は沸き立つ。エリザベスは引っ越して新たな道を歩むこととなり、取り残されたような気持ちになった志ん魚は自分の将来や落語界の未来について真剣に考え始めるのだった。

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 観ていて、とても時代を感じる作品でした。
 出演している俳優たちの殆どは今も活躍しているので、今の姿を知っていて、特に主演の伊藤克信はこの作品がデビュー作とのことで、初々しさを感じました。
 また、作品のあらすじとか紹介文には「ソープランド」とありますが、「和風トルコ」と書かれていたり、ソープランド嬢を演じる秋吉久美子とのシーンではいやらしい感じもなく裸になっていたり、あるいは、主人公志ん魚が夜通し歩く町並みは今はないけれど、あそこだと分かる場所だったり、と30年の時を感じました。

 けれど、その30年という時代をすごく感じるものの、物語の本質というか中心になっている(すごくありふれた言葉になりますが)「青春偶像劇」とも言える流れは、今も変わること無く、そして、どこにでも、今すぐそこでも起きていることなんだろうな、と思います。

 ちょっと気になった点があるとすれば、志ん魚が好きになる相手の女子高校生である由美のどこが好きになったのかが、ソープランド嬢のエリザベスと仲良くなる過程よりも描かれていない点です。
 高校の落研に指導を頼まれて、そこから関係が始まることは分かりますが、エリザベスは最初から一対一の関係だったので、親密になる点が分かりやすいものの、由美との関係は、基本的に複数対複数で描かれるので、なぜ彼女に志ん魚が心惹かれるようになったのかが、僕には伝わりづらかったです。

 でも、ラストの展開は、さっぱりしているようでいて、人との出会いって、言葉には表せない、表さないので、さっぱりしているように見えるけれど、実はちょっとしたことが人に影響を与えていて、こういう風になるのかもしれないな、と思いました。