映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「あゝ、荒野」(後篇)

 先日の続きで、「あゝ、荒野」の後篇です。
 今回もAmazonプライムで観ました。


あゝ、荒野 後篇

 

youtu.be

 

 映画『あゝ、荒野』 | 10.7前篇/10.21後篇 2部作連続公開

 
作品データ映画.comより)
監督 岸善幸
製作年 2017年
製作国 日本
配給 スターサンズ
上映時間 147分
映倫区分 R15+


ストーリー(公式サイトより)
ふとしたきっかけで出会った新次とバリカン。
見た目も性格も対照的、だがともに孤独な二人は、ジムのトレーナー・片目とプロボクサーを目指す。
おたがいを想う深い絆と友情を育み、それぞれが愛を見つけ、自分を変えようと成長していく彼らは、やがて逃れることのできないある宿命に直面する。
幼い新次を捨てた母、バリカンに捨てられた父、過去を捨て新次を愛する芳子、
社会を救おうとデモを繰り広げる大学生たち・・・
2021年、ネオンの荒野・新宿で、もがきながらも心の空白を埋めようと生きる二人の男の絆と、彼らを取り巻く人々との人間模様を描く、せつなくも苛烈な刹那の青春物語。

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 前篇は東日本大震災や特殊詐欺、シングルマザーの貧困と売春することで成り立つ生活、高齢化、在日あるいはダブル(ハーフ)といった社会問題がちらほらとだけど、欠かすことの出来ない背景として描かれていました。

 しかし、この後篇では、その前篇を踏まえているので、社会背景を逆に抜いて、その社会で生きている、新次とバリカン(健二)、あるいは新次と芳子、健二と恵子、といった一対一の関係に重点が置かれています。
 新次と健二に一番焦点が行くのはもちろんなのですが、恵子を(結果的に)拒否することになる健二や、新次から去って行く芳子、つながり受け入れると行った途端にさめていく芳子の母セツと、それぞれ人とつながることの難しさというか、つながりたいけれどうまくつながることが出来ないそれぞれの姿が印象的でした。

 前篇後篇合わせてセックスシーンが度々出てくるのですが、僕が見てきた今までの日本の映画の中ではその数が多いので、なんでここまで描くのだろうか、と少しだけ疑問だったのですが、それは、人との人とがつながるとはどういうことなのか、ということを描いているからなのかと思います。
 言葉にするととても陳腐になってしまいますが、肉体的につながっていることは、精神的につながっていると言うことではなく、肉体的につながることを受け入れていても、それは精神的につながることを受け入れている訳ではない。

 この映画(あるいは原作の寺山修司)は愛とか性とか、そういうことの前に、人は人とのつながりを求めているんだ、ということを伝えたいのかな、と。

 それに対して、人とのつながりとかの前に愛とか性とかが来るという人もいるでしょうし、肉体的につながっているからこそ精神的につながることが出来るという人、精神的につながるからこそ肉体的につながることが出来るという人と、色々な人がいるでしょうが、自分はどうだろうか、と考えさせされる作品でした。