映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

先生、辞めてこれから何するんですか?

 もう退職したので書いても良いかな、と思うのですが、この3月まで学校で教員(講師)をしていました。
 8年間続けていて、ずっと同じ学校にいたので、生徒たちも他の教員たちの多くも、4月からも僕がいると思っていたようです。 

 

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 僕が働いていた学校では、毎日朝礼があって、そこで主に教員が10分弱のお話をします。
 僕にもその役目が、学期中大体月に2回ありました。
 今思えば、月2回、長期休みがあるので、大体1年で20回くらい、8年間で150回以上、全校生徒の前で話をしてきました。

 僕がそこで話した内容は、話すことが見つからないときは自分の専門教科の話をすることもありましたが、半分くらいは、社会の話でした。
 勤め始めた最初の頃は、野宿者(ホームレス)支援の活動に関わらせてもらっていたので、そこでの出来事や、日本でもこの10年で大きな社会的な課題だと取り上げられるようになってきたLGBTQや貧困、人種差別、あるいはいじめについてなどです。

 なので、教えている学年ではない生徒たちも僕のことは知っていて、話を聞いたことがある状態だったのですが、最後に話をする機会だった朝礼時に、3月でやめること、今回でもう、こうして何百人もの前で話をすることは多分今後の人生ではないだろうこと、そして、だからこそ伝えておきたいことを話しました。

 生徒たちと殆どの教員は4月からも僕がいると思っていたので驚かせてしまったのですが、一人の生徒が教員室に来てくれました。
 そして、聞かれたのがタイトルの「先生、辞めてこれから何するんですか?」というものでした。

 「何だと思う?」と聞いてみたら、その生徒は「ジャーナリスト」と答えてくれました。
 「なってみたいね」と答えたのですが、僕がよく社会問題とされる話をしていたのが印象に残っていたのでしょう。
 でも、逆に言えば、他の教員はそういう話はしていなかったということです。
 実際、僕が朝礼でLGBTQの話をしたら、校長に呼び出されて事情聴取されたり(そのときの校長は「そういう人(LGBTQ)は本当にいるの?」というもので、愕然としました)、「相応しくない」という批判が来ていると管理職から注意されたこともあります(誰が何に対して批判しているのかは教えてもらえませんでしたが)。

 朝礼での話は、授業とは違うので、本当にものすごく負担に感じることがあったのですが、他の教員たちが触れずに、僕が話さなければ、知らずにいた出来事が、今の自分たちの身近なところや日本や世界にあるということを伝えられたのかな、とその生徒の言葉で感じました。
 少なくとも「知ってもらえた」とわかっただけでも、(教員としての仕事の中で一番負担が大きいものだったのですが)少しは意味があったのかな、と思いました。