映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

桜井海『おじさまと猫』

 ここ数回の子どもたちとの面会は、映画を観るというのがメインで、映画をショッピングモール内の映画館で観ているので、映画が始まるまでに本屋さんに行ったり、ご飯を食べたりしています。
 一緒に暮らしていた時から映画と本は希望すればいくらでも連れて行くし、買うという方針だったので、それが今も続いている感じです。
 先日も本屋さんに寄ったのですが、初めて漫画を選びました。
 それがこの作品です。
 


おじさまと猫 1巻 Kindle版

 

おじさまと猫|ガンガンNET|SQUARE ENIX

 

内容(公式サイトより)
お前に出会えたことが幸福だから ふくまるだよ
ペットショップで売れ残っていた一匹の成猫。日に日に値段が下げられ、見向きもされず、諦めていた猫の前に一人の男性が現れる。彼が告げた言葉とは…
「私が欲しくなったのです」
これは誰かに愛されたかった猫とおじさまの、心温まる日々を紡いだ物語。

感想
 僕はネットで流れてきたのを読んだことがあるので、少し話を知っていたこともあり、購入したのですが、その後、子どもたちと映画を観て、実家に寄った際に改めて読んでみました。
 物語の流れとしては、ペットショップで売れ残っていたふくまる(猫)と、パートナーを失い、初めて猫を飼うことにしたおじさまとの交流が描かれています。

 今では子どもの人数よりペットで飼われている犬猫の方が多い国なので、様々な猫漫画が出ていて、割と「あたりやすい」分野なのだと思います。

 で、僕がこの作品が良いなと思った点は、漫画なので絵柄もそうなのですが、「売れ残っていた猫」に焦点を当てているところです。
 そもそも、生き物を売り買いすること自体に僕は疑問を持っているのですが(ペットショップで買うときに、そのペットの家族のことを想像して買う人はどのくらいいるのでしょうか?)、直接的に批判することはないけれど、「売れ残り」、あるいは「成猫」という表現で、今の日本のペットショップのおかしさを突いています。

 一時期、ペットショップに並んだ犬猫を頻繁に見かける(目の前を通り過ぎる)ことがありました。
 そこには数十万円で取引される犬猫が並んでいて、とても愛くるしかったのですが、それを見る度にとても気分が落ち込みました。

 この子は「24万円」、あっちの子は「32万円」。
 その差は何か?
 というか、何故値段が付けられるのか。

 いやいや、動物だし、ペットだし、と言われるかもしれませんが、僕が気分が落ち込んだのは、そのペットに当てはめている「命の値段」を人間にも適用しているという現実があるからです。
 実際に僕には値段が付けられて、年収いくらということで商売の対象にされています。
 自分だけが生活するには満足する金額ではないとしても、困ることはない金額ですが、それでも自分に金額が付けられて商売の対象になっている現実を考えると、とてもしんどいです。
 そして、その勝手に誰かがつけた僕の値段を僕自身が取り込んでしまって、誰か(例えば大学の同級生だとか、国の調査での同じ年齢層)と比較してしまって、ひどく落ち込んでしまうことがあります。
 満足する金額ではないけれど、これで良い、大丈夫だと思う給料をもらっているにもかかわらず、です。

 そういう現実に対して、真っ正面からおかしいと言ったところで現実が変わるわけでもなく、受け入れるしかない。
 その受け入れた現実を味わい尽くしているのがこの作品で描かれている「おじさまと猫」です。
 その様子を見ると、とにかく厳しい現実がありながらも、1つ1つの日常を愛でることの大切さを痛感します。