映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「Fleabag フリーバッグ」シーズン2

 去年新聞で紹介されていたので観たAmazonが製作し、BBCが放送した「Fleabag フリーバッグ」、そのシーズン2がAmazonプライムで観られるようになっていたので、早速観てみました。
 正直あんまり連続もののテレビドラマどころか、映画を観る時間もないのですが、1話25分ほどの全6話ということや、内容的にも観て良かったです。

 


Fleabag フリーバッグ (字幕版)


作品データ
IMDbより)
脚本 フィービー・ウォーラー=ブリッジ
原題 Fleabag
放送年 2016年
制作国 イギリス

内容Amazon作品紹介ページより)
皮肉屋で性欲は強め、怒りに駆られ悲嘆に暮れる。「フリーバッグ」は、現代のロンドンを生きる1人の女性の心理を描き出す、抱腹絶倒かつ辛辣なドラマである。脚本・主演は劇作家でもあるフィービー・ウォーラー=ブリッジ。差し伸べられる救いの手をことごとく拒絶し、常に虚勢を張りながらも、癒しを求めるタブー知らずの女性フリーバッグを演じる。(シーズン1)
笑いと涙、辛口で痛烈なジョーク。主人公と新キャラクターたちとのぶつかり合いが、さらにフリーバッグの世界を掘り下げる。(シーズン2)

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 Amazonの作品紹介では全くこの作品の良さが全く伝わらないのですが、シーズン1では、「Fleabag」=「不潔な動物や人」とか、「貧相」あるいは「みすぼらしい」 というよう表現をされるような主人公が何故そんなことをしてしまうのか、彼女は彼女なりに考えて行動しているにも関わらず、周囲の人間は彼女を受け止めることもないし、彼女自身も自分の抱えているものを表現できずに、ラストでは最悪な状態で終わっていました。

 今回のシーズン2では、そこからほぼ1年経った、371日19時間26分後から始まります。
 姉とはケンカしたままで、父親(というか継母)とも距離を取っていたのだけれど、父親と継母が結婚式を挙げるということで呼ばれた会食から物語が始まります。

 そこに同席していた見知らぬ男性。
 誰かと思ったら挙式を執り行うカトリックの司祭とのこと。
 口が悪いけれど、次第に惹かれ合っていきます。

 が、ローマ・カトリックの司祭なので、結婚は出来ません(既婚の司祭で他教派から転籍した場合など、極一部に例外はありますが)。
 彼女のことも知ろうとしてくれて、受け止めてくれようとするので、彼女自身がやっと考えることなく過ごせてきた、母や親友のブーの死を思い出すことになるので、拒否するものの、それでも互いに惹かれ合っていきます。

 シーズン1では、セフレがいたり、彼氏がいる隣でオナニーしてたりといった、まさに「Fleabag」=「不潔な動物や人」という表現があてはまるような感じでしたが、このシーズン2では、そういう部分はあまりなく、その今までの「Fleabag」な経験があったからこそ考え、行動している姿が描かれています。

 僕が一番印象に残ったシーンは、ラスト近くでの父親との会話で言われる言葉です。

父「お前は人の愛し方を誰よりも知っている
  だから愛がつらいんだな」

 

 こう言われたあと、「つらくない」と心の中で言うのですが、文字通り本当につらくないのか、あるいはいつものようにうまく表現することが出来なくて「つらくない」と言っているかはわかりません。
 けれど、それよりももっと重要なのは、誰かから「人の愛し方を誰よりも知っている」と伝えられることです。
 ちゃんとわかっているよ、自分はあなたから愛情を受け取っているよ、と言われることがとても大切なことなのだと思います。

 このことは、主人公だけでなく、主人公の姉のクレアについてもそうで、クレアが選択した決断もこのことがいかに大切かということを伝えているのだと思います。