映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ナチスの愛したフェルメール」

 どこで見かけてチェックしていたのかは全く覚えていないのですが、自分でメモしている「いつか見る作品リスト」にあった作品が、Amazonプライムで見られるようになっていたので見てみました。 

 


ナチスの愛したフェルメール(字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督ルドルフ・バン・デン・ベルグ
原題 Een echte Vermeer
製作年 2016年
製作国 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク合作
上映時間 115分

あらすじWOWOWより)
1945年、オランダ。画家ファン・メーヘレンは戦時中、ゲーリングナチスの高官たちにフェルメールのものとされる絵画を売ったことを問題視され、反逆罪と詐欺罪の両方で訴えられる。1920年代、若かりし日のファン・メーヘレンは才能をなかなか認められず、フェルメールなどの贋作で生計を立てる。一方、そのころ出会った貴族の妻で女優でもあるヨーランカの美貌に魅了され、彼女をモデルにし、彼女との関係を深めていく。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 原題は"Een echte Vermeer"、直訳すると「本当(本物)のフェルメール」になります。
 ナチスの愛したフェルメールというタイトルは全く違うとも思わないものの、僕は少し違和感を抱きました。

 物語の中心は画家のファン・メーヘレン。
 僕はこの人の存在を知りませんでしたが、独自の作品が評価されたことがある一方、フェルメールの模写をすることによって、その作品の方が売れてお金が入る、ということで、フェルメールの贋作作りのために時間を割き、技術を磨いていきます。
 当時の鑑定法では見破ることが出来ないほどの技術で作ったフェルメールの贋作で高額な収入を得ることが出来るようになり、さらに、それがナチの目にも留まり、さらに作品が買われていく、という流れです。

 現在ではファン・メーヘレンはファン・メーヘレンとして評価されているようなのですが、贋作ということ自体、やはり否定的な意味を持つのは昔も今も変わりません。

 僕自身はクリエイティビティがないと思うのですが、高校の時の美術の先生に言われた言葉は今でも覚えています。
 それは、「ものを作るというのは何かを真似するところから始まる」、というようなものでした。

 日本語でも「型破り」という言葉があるように、型破りな人、つまり独特な人のことを指す型破りということも、そもそも「型」がなければ「型破り」にはなりません。
 まずは「型」の存在を知り「型」を習得し、そこから型を破ることで「型破り」な独自な存在になっていく。

 そういう意味で、このファン・メーヘレンという画家に取っては、一つの大きな「型」としてフェルメールが必要だったのでしょう。
 そして、そのフェルメールという型を破るほどまで到達したと評価されているのだと思います。

 ナチの勢いが強まり、政情が不安定な中、泥水をすすりながら生活するようになったり、酒と薬に依存していったり、けれども、一人の女性を思い続け、最終的には一緒になるけれど、短命に終わるという展開は、芸術と社会の動きとは切り離すことが出来ないものなのだということを改めて実感しました。