映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

ネット上の言説に大きな影響を受ける年老いた親

 前に父親とトルコに旅行に行ったときに、ある特定の国の人たちへの発言にギョッとした経験があります。
 そもそも僕自身は何かの属性(例えば、国籍、出身、性別、年齢、信仰等々)でひとまとめにくくって語ることは危険というか、しないようにしています。

 ある特定の国からやってきた人たちが悪く見えたり、あるいは嫌いな人がある出身地だったとしても、僕が出会ったのは「たまたま」の可能性が高いわけですし(一生のうちで出会える人は極一部に限られているので)、たとえ「たまたま」同じ国の人たちが自分がイヤだな、と思うことをしていたとしても、ひとくくりに「○○人は~」とか、「男は~」とか言わないようにしています。
 

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 数年前の父親の発言に驚いたものの、どこからそういう感覚を身につけているんだろうか、と思っていたのですが、先日、母親も似たような発言をしていました。
 ある特定の国に対して「●●(国の名前)は嫌い」と言っていて、もの凄く驚きました。
 なぜなら、母の友人にはその国出身者がいますし、何よりも父親だけでなく、母親も同じように国でくくって嫌悪を表明することに驚いたのです。

 何故両親はそんな、特定の国やそれらの国の出身者に嫌悪感を表明するのか。
 実家に寄る機会が増えて分かったのが、両親がテレビに接する機会がものすごく多いことと、それと同じくらいネットに接する機会が多いということです。
 また、実際に、そういう言い方(ひとくくりに語ること)はどうなのか?と疑問を挟むと、テレビやネットで見た、と言われました。

 新聞はすべて正しいとは言えませんが、テレビのワイドショー(や報道番組と呼ばれるものの中にも)は特定の国への嫌悪を煽るような表現が多いですし、ネットではそもそも、誰もが発信できてほぼなんのフィルターもかかっていないので、「偏った」言説でも放っておかれます。

 そもそも、僕自身はどんなメディアも「偏っている」と思っているものの、「偏っている」からこそ、一つの出来事に対しての真偽はもちろんのこと、いくつかの日本だけではないメディアがどのように報じているかをチェックするようにしています。
 例えば日本で嫌悪を煽るようにされている国がいくつかありますが、それらの国と友好な関係を築いている国は沢山あるわけで、そういう国ではどのように報道されているのか、あるいは第三者というか、中立的な国ではどのような報道がされているのか、となるべく俯瞰して捉えられるようにと思っています。

 割とリベラルな考え方の両親だと思うのですが、今は時間がありすぎるからか、テレビやネットから入ってくる情報が多すぎて、影響されすぎているようです。
 逆に情報に接する時間が限られている方が、何かを語るときに(あまり知らないからと)慎重になるのかもしれません。