映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「葛城事件」

 前回書いた「ヤング≒アダルト」、その前に書いた「ミッション:インポッシブル フォールアウト」に続き、『POPEYE』(2019年 7月号)で取り上げられていたので観てみた作品です。
 オススメしていたのは、TBSの山本匠晃アナウンサーです。
 Amazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。

 


葛城事件

 

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映画『葛城事件』公式サイト

 
作品データ(映画.comより)
監督 赤堀雅秋
製作年 2016年
製作国 日本
配給 ファントム・フィルム
上映時間 120分
映倫区分 PG12

ストーリー(公式サイトより)
普通の家族が、なぜ崩壊し、無差別殺傷事件を起こした死刑囚を生み出してしまったのか
どこにでもありそうな郊外の住宅地。ボソボソと「バラが咲いた」を歌いながら、葛城清(三浦友和)は、古びた自宅の外壁に大量に落書きされた「人殺し」「死刑」などの誹謗中傷をペンキで消している。やがて庭へと移動し庭木にホースで水を撒きながら、ふと、この家を建てた時に植えた、みかんの木に生(な)る青い実に手を延ばす―――。
親が始めた金物屋を引き継いだ清は、美しい妻・伸子(南果歩)との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた。思い描いた理想の家庭を作れたはずだった。しかし、清の思いの強さは、気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる。 長男・保(新井浩文)は、子供のころから従順でよくできた子供だったが、対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔(若葉竜也)は、ことあるごとに清にそれを責められ、理不尽な思いを募らせている。清に言動を抑圧され、思考停止のまま過ごしていた妻の伸子は、ある日、清への不満が爆発してしまい、稔を連れて家出する。そして、迎えた家族の修羅場…。葛城家は一気に崩壊へと向かっていく。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆

感想
 山本アナウンサーがオススメしていたというか、どういう理由で選んでいたのかと言うと、「冷え切った食卓を描写する映画」というくくりだったのですが、まさにそれがあてはまる冷え切った食卓シーンだけでなく、この映画では何度も食事の風景が出てきます。

 家族の誰もいなくなった家で1人食事をする父・清。
 まだ家族が揃っていたときに食事をする母・伸子と清、そこに長男・保や次男・稔に声をかけて「食べないの?」と聞くシーン。

 後から言われれば確かに「冷え切った食卓を描写する」映画だったかな、と思います。

 物語の内容としては、理不尽な言動を繰り返してきた父の元で生活してきた家族がバラバラになっていく、というもので、母は精神を病み、長男は仕事を解雇された挙げ句に自死、次男は引きこもりの末に無差別殺傷事件を起こし死刑、といくら何でも「詰め込みすぎでは?」と思う感じでした。
 詰め込みすぎなのは、まだ確かにこういう家庭もあるのかもしれないと思いつつも、この映画を観ていると、あたかもすべての元凶が父・清にあるかのように描かれているのが気になりました。

 確かに、現実に家族の中でひどい態度を繰り返す人物(特に男性)がいて、その人物の言動に苦しんできた人も数多くいるのは分かります。
 その人物のことをいつまでも許せなかったり、関わることがなくなってもずっと苦しんでいる人も沢山います。

 けれど、何もかもをその人物だけの問題にするのが果たして良いのか、特に、川崎市での無差別大量殺傷事件で「ひきこもり」がクローズアップされたことから、敏感に感じてしまったのかもしれません。
 「ひきこもり」はきっかけは1つに絞れるとしたとしても、「ひきこもり続ける」にはもっと色んな要因があるでしょうし、ましてや「ひきこもりの末の無差別大量殺傷事件」という流れは短絡的に感じました。
 2000年代に入ってから、特に都市部で無差別大量殺傷事件がいくつか起きていますが、それらの要因をあげるとしたら「絶望」です。
 だけれども、この作品を観ていても、その「絶望」があまり感じられませんでした。
 ひどい言動を繰り返す父の姿を描いているけれど、そこから逃れることは出来たように見えますし、家族以外との「つながり」がなかった訳でもない。

 何もかも父を理由にすることは簡単ですが、現実はそんなに簡単に理由を見いだせるものなのか、ということが最後まで疑問として残り続けました。