映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

うつからの回復方法

 回復したとは言いがたい情況ではあるのですが、去年書いたうつに関する文章が今でもかなり読まれているので、死にたいと思い、死のうとし、死ぬしかないと思っていた僕が、今も薬を飲んでいるけれども、どうやって(初めての)正社員としての仕事を見つけて働けるほどに回復したのか、何をしたのか(しているのか)を書いておこうと思います。

 

ysdnbm.hatenablog.com

 
 上に載せた文章に書いたように、僕が自分でうつ病だと自覚する前に、最初に起きた身体の変化は【不眠】です。
 これは(割と強い)薬を飲んでいる今でも大きく改善はしていませんが、一番最初に現れた症状は不眠(中途覚醒)でした。
 寝てから3時間とかで目が覚め、その後全く眠ることが出来ませんでした。
 それが2年以上続き、最終的にうつの症状がかなりひどい状態になり、病院に受診することになりました。

 なので、今、もし、少しでも眠れないとか寝ているはずなのに眠気や疲れが取れないという人がいたら、すぐに病院に行ってください。
 日本では歯医者や内科への受診は特に何も思わないのに、精神科や心療内科の受診への心理的ハードルがとても高い人が多いようですが、探せばすぐに見つかりますし、行けば分かりますが、そこにいる患者さんたちは「普通の人」ですし、匿名を希望すれば、呼ばれるときも匿名のまま呼んでくれます。
 そして、受診の際に、医師には率直に「眠れなくて困っている」と伝えてください。
 そして薬の力を借りて眠れるようになれば、それ以上ひどい状態になることはありません。

 では、僕のように、手足が冷たくなり、動悸もし、死ぬことばかり考え、食欲もなく、食べてもすぐに下痢をしてしまい、なんとか病院にたどりついたような人はどうすれば良いのか。
 そういう人に必要なのはとにかく【休むこと】です。


 ですが、うつがひどいとそもそも【休む体力】がありません。
 「休む体力って何?」と思うかもしれませんが、僕が知っている人では「行かなきゃ」と思っていても立ち上がることが出来ず、その場で小便をもらし、気持ちが悪いと思いながらも動けなかったという人がいます。
 僕にはそれがよく分かります。

 休もうと思ってもそもそも休む体力もなく動けなくなります。
 動かないんだから休めているんじゃないの?と思うかもしれませんが、動けない=休んでいるということではなく、ただそれは動けないだけで、休んでいる訳ではありません。
 だから、休むためにも薬が必要です。
 薬で強制的に身体を休ませ、眠らせるのです。


 眠れれば少しずつではありますが、休むことができるようになります。
 (ちなみに、死にたいとかネガティブな気持ちも脳内物質によるものなので合法的に「ハイ」というかポジティブな気持ちになることも出来ます。)

 そして、そんな状態から少しでも回復していく時に必要だと僕が思っているのは、薬の他に少しでも何かが「出来た」という実感です。
 それは「トイレに行けた」とか「薬を飲めた」とかでも構いません。
 その何かが「出来た」ということを日記のようにメモしていきます。

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 僕はこの何かが「出来た」ということを毎日メモすることが薬の服用と共に大きな効果があったと思っていますし、今もこんな感じで続けています。
(ちなみに何に書いているのかというと、好きなイラストレーターのヨシタケシンスケさんの『わたしの□の記録』という文庫本に書いてます。)

 

7月12日(金)
・ゴミ捨て ・洗濯 ・瞑想 ・出勤 ・買いもの ・ストレッチ


 最初はそれこそ、「薬を飲んだ」とか、「ご飯食べた」とか書いていましたが、そこから「病院に行った」とか「仕事に行けた」とかになっていき、「就活で面接に行った」とかに少しずつ内容が変わっていきました。

 この時、何よりも大切なことは「出来たこと」「やったこと」を書くこと、そして否定的なことは絶対に書かないことです。
 うつはそもそも自分を否定し、自分のことを傷つける病気です。
 自分は「ダメだ」「生きている意味がない」「死んだ方が良い」と自分を傷つける病気です。

 だから、否定の言葉は絶対に書きません。
 「あー、仕事でミスしちゃった」とどんなに凹んだ出来事があった日でも絶対にそれは書かずに、「仕事に行けた」とだけ書きます。
 実際に、仕事に行けただけで十分なんです。
 というか、生きているだけで十分なんです。

 だから、どんなに自分では些細なことだと思っても、出来たこと、やれたこと、その日したことを書いてみてください。
 それが病院に行き、受診し、薬をもらい、その薬を服用することと同じくらい重要なことだと僕は思っています。

 どうか、必要な人にこのことが伝わりますように。
 そして、どうか、少しでも回復しますように。
 僕も生きているのだから、これを読んでいるあなたも生きていけるし、生きていて良いと僕は(勝手に)思っています。