映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「散歩する侵略者」

 以前からチェックしていた作品がAmazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。 

 


散歩する侵略者

 
作品データ
監督 黒沢清
製作年 2017年
製作国 日本
配給 松竹、日活
上映時間 129分

あらすじシネマトゥデイより)
鳴海(長澤まさみ)の夫・真治(松田龍平)が、数日間行方をくらまし、別人のようになって帰ってくる。これまでの態度が一変した夫に疑念を抱く鳴海は、突然真治から「地球を侵略しに来た」と告白され戸惑う。一方、町ではある一家の惨殺事件が起こったのを機に、さまざまな現象が発生し、不穏な空気が漂い始める。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆

感想
 評価というか、感想を書くことが難しい作品でした。
 難しいのは、内容が難しいということではなく、どのように評価すれば良いのかが分からないからです。

 タイトル通り、侵略者が地球にやって来ます。
 どうやってやってきたのかはあいまいなのですが、生物(≒人間)に入り込み、人間が持っている「概念」を取り込むことで様々なことを学習していき、最終的には地球に暮らす人間を滅ぼそうとします。
 「概念」を取り込む際には、その「概念」を持っている人から奪い、奪われたその人からはその「概念」がなくなってしまいます。
 例えば、「家族」という概念を奪われた人は「家族」という概念がなくなってしまいます。

 けれど、僕が気になったのは、その「概念」を奪う際に幾度となく言われる「言葉じゃなくて概念が必要だ」というものです。
 「概念」=「言葉」ではないですが、かといって、言葉がなければ概念自体も説明出来ません。
 そこら辺の「概念とは何か」とか「言葉とは何か」ということを抜きにいきなり「言葉じゃなくて概念が必要だ」と言われても、ちょっと待って、と思ってしまいました。

 最終的には、侵略者が「愛」という概念を知り、つまり、「愛」という概念を奪われた人が出てくるのですが、愛を言葉を必要としない概念だけでは捉えることも出来ないし、言葉だけで愛を説明することも出来ないと思う僕は最後までモヤモヤが晴れないまま終わってしまった感じがします。

 もし、概念だけで済むのであれば、日々あらゆるところで起こっているコミュニケーションのズレも起きないはずです。
 けれど、実際には、言葉が足りないためにすれ違いが起きています。
 夫婦、恋人、親子、友だち、職場、政治などあらゆる場面でです。
 だから、「概念」が「言葉」よりも重要であるかのように、しかも「概念」を説明する「言葉」さえも必要がないかのように語られていることに違和感を感じてしまいました。

 それに、そもそも侵略者が結局「感染症」ということにされていることにも、人間としては感染症のようなものとしてしか侵略者を捉えられないのかも知れませんが、どうやって、どこから来たのかも分からないままだったのが、腑に落ちませんでした。