映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

渡辺一史『人と人はなぜ支え合うのか』

 昨年末に公開された映画 「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」、その映画の原作となった渡辺一史さんの『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』は、僕が大学生だったときに出版され、その内容に衝撃を受けたものでした。
 映画が公開されたタイミングで、いつも聞いているラジオ番組Session-22に著者の渡辺さんが出演し、新著を含めてお話をされていました。
 ということで読もうと思っていたこの本を、出版されてから大分経ってしまいましたが、読みました。

 

www.tbsradio.jp

 

 
なぜ人と人は支え合うのか (ちくまプリマー新書)

 

筑摩書房 なぜ人と人は支え合うのか ─「障害」から考える / 渡辺 一史 著


内容筑摩書房より)
インターネット上で渦巻く次のような「問い」にあなたならどう答えますか?
「障害者って、生きてる価値はあるでしょうか?」「なんで税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなくてはいけないのですか?」「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を救おうとするのですか?」。気鋭のノンフィクションライターが、豊富な取材経験をもとにキレイゴトではない「答え」を真摯に探究! あらためて障害や福祉の意味を問う。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 そもそも大学生の時、何故僕が『こんな夜更けにバナナかよ』を読んだのかというと、「障害」や「障害者」が僕の研究テーマ(「研究」というのには抵抗がありますが)だったからです。
 知的障害を持つ人たちと出会う機会があり、それ以来、自分のテーマになり、大学、大学院と学んで来ました。
 その流れで、すごい面白い本が出た!と当時言われていて、実際に面白かったし、論文の参考文献にもさせてもらったのが『こんな夜更けにバナナかよ』です。

 それから10数年、映画化されると同時に『こんな夜更けにバナナかよ』の著者、渡辺一史さんが改めて「障害」「障害者」について書いたと言うことで手に取りました。
 先に書いたように、僕は「障害」や「障害者」をテーマにしてきたので、この本の中に出てくる人たちや考え方の多くは既に知っているものでした。

 それでもこの本はとても良いと思いました。
 それは、渡辺さんが何故この本を出したのか、ということとも密接に関わっていて、2016年7月に相模原で起きた障害者施設殺傷事件の際に、「障害者なんて生きている意味がない」というような声が少なからずあったことです。
 僕も僕の経験を僕の言葉で論文として大学、大学院で「障害があるからこそ生まれてくる価値がある」というようなことを書きました。


 この本では、その「障害者なんて生きている意味がない」という意見への真っ正面からの冷静な反論であり、「障害があるからこそ生まれてくる価値がある」ということを丁寧に説明しています。
 例えば、「会社」を例に「障害」「障害者」を否定する意見への反論を引用してみます。

一つの会社には、突出して利益を生み出せる優秀な社員もいれば、そうではない社員もいます。また、総務部や人事部といった裏方的な仕事で、稼げる社員をサポートする人たちもいます。そうしたさまざまな働きによって、会社全体の利益は生まれ、組織は維持されています。
 だからこそ、稼げる人も稼げない人も、毎月安定した給料を、会社からもらうことができるのです。また、どんなに優秀な社員にも、調子のいいときと悪いときがありますし、病気で仕事を休まなくてはならないこともあるでしょう。そのときは、別の社員がフォローして、会社の利益を支え、病気で休んだ人にもちゃんと給料を保障してくれます。
 それは、ある意味、「福祉」という発想と同じです。
 (略)
 要するに、人は誰しも、こうした「富の再分配」や、福祉的な支え合いによって暮らしているのです。もし、それをしないということになれば、そもそも人が、組織とか社会とか国家というものを維持する意味の大半がなくなってしまうでしょう。

 
 「福祉」が必要な人間は「何も生み出していないから」「いなくていい」という意見に対して、果たしてそうだろうか、という静かな反論です。
 続けて引用してみます。
 

 また、こうもいえるでしょう。世の中や社会というのは、「支えられる人」ばかりだと成り立ちませんが、逆に「支える人」ばかりでも成り立ちません。
 たとえば、医者というのも、患者がいて初めて成り立つ職業です。世の中から病気がなくなったとしたら、医者という存在もまた意味を失ってしまいます。
(略)
 社会や経済というものは、そうした「求める人」と「求められる人」、「支える人」と「支えられる人」の網の目によってできています。その意味では、「持ちつ持たれつ」が社会の基本原理なのですが、「お金」というものが介在しているために、普段はそのことをすっかり忘れてしまっています。


 一般的に今の日本で高収入を得ている(つまり多くの人に必要とされているとされる)医師だって、患者がいなければ、みんなが健康で元気だったら必要とされないわけで、実際、医師の役割を重要だとされていない国は今も多くあります(新たな「差別」の材料を与えてしまうような気がするのであえてどこの地域かは書きません)。
 そういう地域や状況では、医師というのは「いる意味のない存在」になり得ます。

 また、実際には、障害者の「介助」という仕事をこの社会に作り出しているし、経済面だけでなく、障害者がただの「弱く」「助けられる」人ではなく、立場が逆転することがあることも具体的に書いています。
 その「立場が逆転することがある」ということを僕は大学と大学院の論文で書きたかったので、この本はそれをすごくわかりやすく、そして具体的に様々な人の声を通して伝えていて、素晴らしいと思いました。

 最後には、「障害」や「障害者」だけにかかわらず今後の「福祉」についての(特に日本での)課題も提示されていました。 
 以前、僕の母校で助教をしていた深田耕一郎さんへのインタビューから引用します。

あと、新田さんがよくいっていたのは、1億円積んでもやってくれない人はいるけど、1億円なんか積まなくてもやってくれる人はいると。お金じゃなくて、人には思わずカラダが動く場面があるでしょと。要するに、それが福祉というものが芽生える瞬間なんだと


 新田さんというのは、新田勲さんという方で、1970年代に始まった障害者たちが地域で自立生活送れるようにする運動の代表的な存在で、脳性麻痺があったので、足文字(足でなぞる文字)で意思を伝えていた方です。
 「介護は誰でも出来る」という人がいますが、そもそも、それ以前に、「カラダが動く場面があるでしょと」。
 それこそが「福祉」なんだと。
 お金とかの前に、それ以前に人間として試されるのが介護や福祉であり、そこから生まれてくるのものも介護や福祉なのだろうと思います。
 日本で生きている限り、この介護、福祉と全く縁なく過ごしていける人は殆どいないでしょう。
 だからこそ、このこと「福祉というものが芽生える瞬間」というのが、日本に暮らし、生きていく1人ひとりにとっての課題なのだと僕は思います。