映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

永田和宏『歌に私は泣くだらう』

 以前読んだ河野裕子、永田和宏 『たとへば君 四十年の恋歌』で、永田和宏さんの文章に興味を持つようになりました。
 萩原慎一郎さんの『歌集 滑走路』の影響もあり、僕にはこのスタイルで文章を書くことはかなり難しいなと思いつつも、短歌にも惹かれるようになりました。
 今回は癌で妻河野裕子さんを亡くした永田和宏さんが、河野さんへの思いと病の発見から死に至るまでを短歌を含め、書いたものです。 

 


歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年 (新潮文庫)

 

永田和宏 『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年―』 | 新潮社

 

内容(新潮社より)
 その時、夫は妻を抱きしめるしかなかった――歌人永田和宏の妻であり、戦後を代表する女流歌人河野裕子が、突然、乳がんの宣告を受けた。闘病生活を家族で支え合い、恢復に向いつつも、妻は過剰な服薬のため精神的に不安定になってゆく。凄絶な日々に懊悩し葛藤する夫。そして、がんの再発……。発病から最期の日まで、限りある命と向き合いながら歌を詠み続けた夫婦の愛の物語。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 短歌に惹かれるものの、『歌集 滑走路』以外ではまだまだ僕には言葉が必要なようで、短歌以外にも文章が載っているものの方が心に響いてくるようです。
 けれど、まずはこの本の中で一番心に残った短歌をあげてみます。

淳の肩にすがりて号泣したる夜のあの夜を知るひとりが逝きぬ

 
 淳というのは、永田さんの息子さんで、二人の関係性からするとこんなことが起きることはあり得なかった様子が書かれていて、永田さんの妻河野裕子さんを喪う悲しみの深さと、淳さんもそれを感じ、受け止めている様子がとても伝わってくる短歌でした。

 病を持つものとして、とても印象的だったのは次の文章です。

 その時のことを考えると、裕子に申し訳ない気持ちになる。再発と聞いて、まっさきに私の頭をかすめたのは、ああ、またあの修羅場が再来するのかという絶望的な思いであった。
 手術可能な原発の癌より、事態はいっそう深刻である。決定的な治療法は現在ではないと言わざるを得ない。そんな深刻なわが身の状況に彼女が耐えられるだろうか。河野を不閥に思うより、二人に残された時間の短さに慄然とするより、まず最初によぎったのが彼女の精神状態に対する危倶であったことを、懺悔にも似た思いで、いま思い返すのである。


 河野さんが最初に乳癌を患った後、(僕から見ると)うつのような状態になり、僕と同じことをしている河野さんの姿が永田さんからの視点で書かれています。
 永田さんは河野さんを見捨てることはせず、二人のお子さん、そして、医師との巡り会いで数年に及ぶ精神的に不安定な河野さんと暮らし続け、なんとか乗り切りました。

 ようやく落ち着いたと思った後の、がん再発の知らせ。
 がんそのものよりも、河野さんの精神的な不安定さにおののく永田さんの正直な思いが書かれています。

 これを読み、僕がどう感じたのかというと、やっぱり、周りの人はそう思うよな、ということです。
 永田さんと河野さんは大学生の時から交際し、数十年も生活を共にし、子どもたちだけでなく、共に短歌を残してきたからこそなんとか乗り切れたのだと思います。

 ある友人が僕のことではなく(僕がうつだと知らず)、他のうつを患っているある友人についてぼそっと言った言葉が今でも忘れられません。
 「家に帰って、うつうつとしている人がいたらイヤだもんなぁ」
 そう言った友人が悪いとは全く思いませんし、今でも思っていません。
 むしろ、「やっぱりそうだよな」と受け止めました。

 僕にももちろん調子の良いときはありますが、うつを再発したことで、今後はもう「治る」ということは諦めました。
(医学的にもうつは再発する度に再発率が高くなることがわかっています。)
 なので、今はどうやってこの「うつ」と付き合っていくか、折り合いを付けていくか考えながら過ごしています。

 でも、ひとりで生きるのはやっぱりつらい。
 だれかそばにいて欲しいというのも率直な思いです。
 けれど、永田さんと河野さんのように数十年ともに暮らしていた人ならまだしも、今の、既に病んでいる自分を受けいれてくれる人がいるかというと、難しいのだろうな、と思います。

 永田さんの率直な気持ちが吐露されていただけに、自分自身の置かれた情況が明らかにされたようにも感じました。