映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

穂村弘、東直子『回転ドアは、順番に』

 ちょっと精神的に不安定な日々を過ごしています。
 理由は二つあって、以前書いたように一つは惹かれている人がいるということとともになんだか無性にさみしいのと、もう一つは、退職願を出したら、退職願自体は割とすんなり受け取ってもらったと思っていたら、結構大きな騒動になってしまったことです。
 書ける範囲で書くと、僕はある会社の正社員として雇われているのですが、そこから違う会社に出向しています。 
 自分が所属している会社の上司には引き留められたものの(年収アップとか)、割とすんなり話が終わったのですが、出向先の人から熱心になんとか違う形(違う会社に所属する形とか)でも残ってくれないか、と引き留められたことです。
 辞めることは自分の中で決めてはいるのですが、出向先の方の落ち込みようを見て、自分もかなり動揺してしまっています。

 閑話休題、そんな精神状態なので、長い文章よりも詩とか軽く読めるものが良いと思い、以前から『本当は違うんだ日記』『世界音痴』とエッセイを読んでいた穂村弘さんの短歌を読んでみました。
 穂村さんは歌人なのに短歌を読んでこなかったというのもおかしな話ですが。

  


回転ドアは、順番に (ちくま文庫)

 

筑摩書房 回転ドアは、順番に / 穂村 弘 著, 東 直子 著

 

内容筑摩書房より)
ある春の日に出会い、そして別れるまで。気鋭の歌人ふたりが、見つめ合い呼吸をはかりつつ投げ合う、スリリングな恋愛問答歌。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 
穂村さんと同じく歌人東直子さんとの連歌というか短歌と詩が交互に並んでいきます。
 お二人とも歌人なのでどちらがどちらの短歌を作り、どちらが詩を作っているのかはわからないのですが、その共鳴する感じがとても良かったです。
 上に載せた筑摩書房の紹介のように恋愛問答歌となっているのですが、読み終わって、著者お二人による解説を読むまでは恋愛問答歌となっていることに全く気付きませんでした。

 ここに載っている短歌や詩ではなく、あとがきや解説から印象に残った文章を引用したいと思います。
 まずは穂村さんのあとがきから。

好きな女の子とふたりで部屋に入って、鍵をかけると、胸がどきどきして息苦しい。
手足はぎくしゃくとして、あらぬことを口走る。
山岳小説によると、八〇〇〇メートルを超えた高地でもよく似た現象が起きるらしい。
そうなると靴紐を結ぶのに三〇分もかかるという。
おそろしいことだ。
恋はおそろしい。
だが、それらはみな私の苦手な現実世界の話である。
言葉の世界ではすべてが自由なのだ。
現実世界ではあがり症の私も言葉の世界では自然に笑える。

 
 この文章の中の特に最後の3行「だが、それらはみな私の苦手な現実世界の話である。言葉の世界ではすべてが自由なのだ。現実世界ではあがり症の私も言葉の世界では自然に笑える。」この言葉にしびれました。
 恋愛(だけではありませんが)は僕も苦手な現実世界の話です。
 けれど、「言葉の世界ではすべてが自由」。
 そう、言葉の世界ではすべてが自由、何を書いたって、何を表現したって(もちろんヘイトやデマは抜きで)自由。
 とても勇気づけられるような言葉でした。

 次に、東さんの言葉から。
 

人間って、人間の心って、じわじわと腐ったりもするナマモノだから。

 
 「人間って、人間の心って」「ナマモノ」だから「腐ったりもする」。
 すごいな、と。
 僕は離婚したことについて今もかなりの罪悪感を感じています。
 けれど、この言葉に少し許されたような気がします。
 人間は、人間の心はナマモノだから腐ることもある。
 僕の心(ともしかしたら相手の心)はナマモノだから腐っちゃったのかも。

 腐ってしまったものに執着するよりも、新しく育てていけば、新しく育てて行ければ良いな、と思います。