映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

穂村弘『求愛瞳孔反射』

 先日読んだ『回転ドアは、順番に』がとても良く、その本の解説で金原瑞人さんがあげていたのがこの本です。
 金原さんがこんなことを書く人がいたら恋しちゃう、というようなことを書いていて、穂村さんって詩も書くんだ、と手に取ってみました。 

 


求愛瞳孔反射 (河出文庫)

 

求愛瞳孔反射 :穂村 弘|河出書房新社

内容河出書房新社より)
獣もヒトも求愛するときの瞳は、特別な光を放つ。見えますか、僕の瞳。ふたりで海に行っても、もんじゃ焼きを食べても、深く共鳴できる僕たち。歌人でエッセイの名手が贈る、甘美で危険な純愛詩集。

勝手に五段階評価
★★★★☆

感想
 載っている詩自体は正直な所、今の僕には金原さんが書いていたほど心に響いてくるようなことはありませんでした。
 けれど、穂村さんが書いていた「あとがき」の文章がとても印象的でした。

 もともとこの詩集に収めた作品は前世紀末に失恋したときに書いたもので、ひとりの女性のイメージが全体を覆っているのです。
 ひとつ書いてはメーリングリストに流す、という傍迷惑な行動を繰り返して自分の心を癒していたのでした。
 最終的には一〇〇編を超えた記憶があります。

 
 失恋でも何でも良いと思うのですが、「言葉」を書くって、「自分の心を癒」やす効果があるよな、と。
 僕は今Instagramhttps://www.instagram.com/bumi_y/)で写真と共に詩を書いています。
 写真は元々好きだけれど、同級生のように写真で生活しようとも生活が出来るような才能もない。
 そして、詩も「恥ずかしい」というただの自意識過剰さを自分で勝手に発揮して、誰にも見せることなく過ごしてきました。

 けれど、その写真も詩も「ひとつ書いてはメーリングリストに流す、という傍迷惑な行動を繰り返して自分の心を癒していた」というような行動でも、こうして本になり、だれかの心を揺さぶることがある。
 僕の場合は「ひとつ書いてはInstagramに流す、という傍迷惑(でもないのかな)な行動を繰り返して自分の心を癒している」感じです。

 言葉って、そういう自分のためにあって良いと思うし、どこまでも自由なんだよな、と改めて思いました。