映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

穂村弘『現実入門―ほんとにみんなこんなことを?』

 文章を読んで「この人は天才だ」と思った人が僕には2人います。
 1人はさくらももこさんで、漫画(『ちびまる子ちゃん』よりも『コジコジ』)もすごいですが、エッセイを読んだとき(中学生くらいだったと思いますが)、「この人は天才だ」と痛烈に感じたのを今でも覚えています。
 それ以来、(ある意味通過儀礼的に)村上春樹さんの小説や翻訳小説、そこから柴田元幸さんの翻訳小説に夢中になりましたが、「天才だ」とまでは思いませんでした。
 僕にとっては20年ぶりくらいに「この人は天才だ」と思ったのが穂村弘さんです。
 これまでも『本当は違うんだ日記』『世界音痴』 歌人の東直子さんとの共著『回転ドアは、順番に』『求愛瞳孔反射』を紹介してきましたが、評価が高かったこの本を読み、改めて穂村弘という人に「この人は天才だ」と感じました。

 


現実入門―ほんとにみんなこんなことを? (光文社文庫)

 

現実入門 穂村弘 | 光文社文庫 | 光文社

 

内容(光文社より)
結婚も離婚もしたことがなく、独り暮らしをしたこともない。キャバクラにも海外旅行にも行ったことがない。そんな「極端に臆病で怠惰で好奇心がない性格」のほむらさん・四十二歳が、必死の思いで数々の「現実」に立ち向かう。献血、モデルルーム見学、占い、合コン、はとバスツアー……。経験値をあげたほむらさんが最後に挑むのは!? 「虚虚実実」痛快エッセイ。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 穂村さんは歌人なので短歌も載っていますが、基本的にはエッセイです。
 しかも、最後の最後でひっくり返されるというか、エッセイなのかフィクションなのかわからなくなっている内容になっていました。
 基本的にはエッセイなのですが、ここに書かれていること自体が「現実」なのかどうかもわからないところも見事でした。
 穂村さんはこの本を書いている時点で42歳で独身、10年ほど付き合った恋人はいたけれど、この時点では恋人なし、実家暮らしの、(多分)IT系企業の総務課長です。

 「みんな」が「普通」にやってきたことをやってきていないということをやるというエッセイで、例えば「占い」「合コン」だとか「祖母を一人で訪ねる」とか(僕もどれもやったことがない!)を体験する様子が書かれています。
 それらの体験を綴った文章がとても面白いのですが、その面白さは僕の文章では伝えられないので是非読んでもらいたいのですが、僕がすごく引っかかった言葉を載せたいと思います。
 

僕がひとりぼっちなのは僕がひとりぼっちだから僕はひとりぼっちなのだ。


 これは、過去の恋人たちを振り返って結婚し子どももいるのにと回想している場面での言葉なのですが、とても刺さってきました。
 今、「僕がひとりぼっちなのは僕がひとりぼっちだから僕はひとりぼっちなのだ。」
 なんというか、この一文にあらゆる感情とこれまでの経験が詰まっているような感じがしました。

 もう一つ載せてみます。
 

 現実のなかで生きられない人間も、だからといって死んでしまうわけではない。現実とは少しずれた時空間で、ずれたまま生きてゆくのだ。
 現実のなかできちんと「生活」を送っているひとは、ずれた世界の存在を意識することはない。
 だが、ずれた世界で生きている人聞は、現実をないままではいられない。どうしても必要に迫られて現実に近づかなくてはならないことがあるのだ。そのとき、彼(または彼女)はストーブに触ろうとするかのような恐怖を感じることになる。


 僕もかなり「現実とは少しずれた時空間」で生きてきたと思います。
 「現実のなかできちんと「生活」を送っているひとは、ずれた世界の存在を意識することはない」というのは本当にずれた生活を送っている自分からするとすごく感じることで、ずれているからこそ、そのずれが明確にわかってしまう。
 どうしても現実に近づかないといけないときの「恐怖」。
 あぁ、やっぱりこの人は天才だ、と改めて感じました。