足立紳『喜劇 愛妻物語』
先日ふと出来た時間に大きな本屋さんに寄りました。
そこで目にとまったのが、『それでも俺は、妻としたい』でした。
そのタイトルの直球さと表紙の絵に引き込まれパラパラとめくったら、結構面白そうだったのですが、単行本だったので、著者である足立紳さんのことを調べてみました。
すると、映画「百円の恋」(感想書いていませんがとても良い作品です)の脚本、「14の夜」の監督とのこと。
「百円の恋」がすごく印象に残っていたので、他の本を調べてみたら出てきたのがこの文庫本です。
文庫化に際しタイトルが変わっているようで、単行本では「乳房に蚊」で、ちょうどやっていた東京国際映画祭で上映されている映画のタイトルに合わせたようです。
喜劇 愛妻物語 (幻冬舎文庫)
喜劇 愛妻物語 | 株式会社 幻冬舎
内容(幻冬舎より)
結婚10年。「女房とのセックス」のハードルがここまで高くなろうとは……。
稼ぎもない、甲斐性もない、無職同然の脚本家のダメ夫にようやく仕事のチャンスが舞い込んだかに見えた。
働き者でしっかり者の妻、5歳の娘とともに四国へ取材旅行に向かうのだが。
どんなに激しく罵り合おうとも、夫婦の関係を諦 めない男女をコミカルに描く人間賛歌小説。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
内容は、結婚し10年経つ売れないシナリオライター豪太が妻のチカとセックスをしたい、という話なのですが、杉江松恋さんによる解説が痛快でした。
強烈な裏拳を顔面にくらったあと、豪太は夫婦の現状を分析する。
――今の俺たち夫婦の状態を倦怠期と呼ぶのならば、俺たちは倦怠期の真っ只中だろう。
あ、それが違う。まず違う。
(略)
だいたい夫婦の倦怠期というのは、互いがパートナーの存在に慣れ過ぎてしまって、気持ちのときめきが無くなった状態のことを言うのである。駄目になった男のことを妻が重荷に感じている夫婦というのはまた別の問題なのではないか。それはもうちょっと深刻な事態なのではないか。だが、そういう可能性に豪太は目を向けようとしないのである。
初めにも書いたとおり、妻を愛している、つもりになっている男性にまず読んでもらいたい作品である。愛しているって、言葉に出さないと、行動にしないと、相手にはわからないんだぜ。そしていちばん大切なのは、相手の気持ちになって考えること。
豪太の視点から物語は描かれていて、悉くその視点が妻であるチカとずれていることを端的に示していて、「愛しているって、言葉に出さないと、行動にしないと、相手にはわからないんだぜ」ってのは真実なんだろうな、と。
そして、さらにこの物語というか、10年ちょっと結婚生活を送った経験のある身として感じるのは、性欲を満たすことの難しさ。
三大欲求と言われてる食欲、睡眠欲、性欲ですが、食欲と睡眠欲は自分で調節出来るし、一緒に満たすことが出来ます。
食事は作ったものを一緒に食べて、量を調節すれば良いし、睡眠欲も一緒に寝るとしても寝入りや起きる時間を各々調節すれば良い。
けれど、性欲って、単純に体だけの欲求じゃなくて、相手がいるからこそ満たされるもので、その相手が「したくない」と言えば、自分のその欲求はいつまでも満たされることがない。
しかもやっかいなのは、「したい」「したくない」という言葉には夫婦間のパワーバランスが絡んでくることです。
分かりやすい場合だと沢山稼いでいる方が、あるいは家事育児をたくさんしている方がなんとなく優位に立っていて、「したくない」と言うことが出来る。
もちろん、夫婦間だとしても、「したくない」という相手に無理矢理したら性暴力になるので、そんなことを多くの人はしないと思いますが(と思いたいだけかも)、結局「欲求不満」ということと「拒否された」という澱が「したい」側には積み重なっていく。
食欲、睡眠欲と違って、性欲は相手がいてこそ、相手の同意があってこそ初めて満たすことが出来るので、本当にやっかいだな、と。
そうして少しずつ溜まった「満たされなさ」や「拒まれた」という「澱」が蓄積されていく。
「愛しているって、言葉に出さないと、行動にしないと、相手にはわからないんだぜ」ってのは真実だと思うのですが、性欲というかセックスに関しては、それでもこの「澱」をどのように清めるかということがすごく大切で、だけど、正解なんてものも解決策なんてものがないから、やっぱりやっかいだな、と改めて思いました。