映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

授業公開で授業が荒れた話

 先日、次男と娘が通う小学校の授業参観(土曜授業公開)があり、行ってきました。
 元配偶者は基本的に土曜日仕事なので遭遇しないだろうと気楽な気持ちで行ったら、元配偶者と同じくらい苦手な元義母が後からやってきて、げっ、と逃げ出したい気持ちになったのですが、とりあえず子どもたちの様子を見に行ってきました。

 娘の授業での出来事なのですが、子どもたちがケンカを始めました。
 僕は1時間目の途中からその場にいたのですが、休み時間にじゃれるというか、もう少しでケンカになりそうだな、という子たちがいました。
 その子たちが気になっていたのですが、2時間目が始まると、本格的にケンカを始めた子たち(じゃれていた子たちとは違う子たち)がいました。
 ちょうど2時間目が始まって殴り合いのケンカが始まり、担任の先生はとりあえず2人を引き離し、他の教員に助けを求めたのですが、見に来ていたおうちの人たちはただその様子を観ているだけでした。

 

 

f:id:ysdnbm:20191208073855j:plain

 
 僕はそのケンカをした2人の内1人が娘と同じ保育園(=8年の付き合い)ということもあり、廊下に出された子の隣りに行き、「痛かった?」と声をかけました。

 その後、応援というか助っ人の校長が来たり、養護の先生(彼女とは長男からの付き合いなのでなんだかんだで7年目の付き合い)と話したりしました。
 何故ケンカになったのか。
 どういう経緯だったのか。
 ケンカをした子の両親が来たのはケンカの後だったので、両親にも経緯を説明しました。

 この1件で僕が一番困惑したのは、僕以外誰も介入しなかったこと、さらにこの2時間目の授業では子どもたちが調べたことを発表する場だったのですが、コメントを求められたおうちの人たちの少なからずが(ケンカがあったので)、「先生のいうことはちゃんと聞きましょうね」など、ダメ出しをしていたことです。
(もう一つは、7年目の付き合いにもなるケンカをしたその子の父親が僕のことを認識していなかったことです…。名札(しかも次男の名前)を見て僕のことを確認していました…。)

 僕からすれば、ただでさえ「いつもとは違う」おうちの人たちがたくさん来ているという、興奮しやすい情況の中、他のクラスメイトが誰も仲裁に入ることなく授業を進めることが「普通じゃない」と思いましたが、その場ではその僕の感覚の方が「普通じゃない」ようでした。

 もし、僕が担任だったらどうするか。
 「おうちの人」に向けての発表を止めて、何故彼らがケンカしたのか、どんな気持ちだったから手を出してしまったのかをクラスの全員に考えさせる時間にしたと思います。
 担任が若く(多分20代半ば過ぎ)、担任も教員としての経験が少なく「おうちの人たち」もビックリしたのかと思いますが、僕だったら、元々あった「発表」という内容を変更して「みんなで考える時間」にしたと思います。

 というのも、僕がひとり教室から追い出された子に話しかけた時、その子はちゃんと僕と話せていたけれど、両親が来た途端に感情があふれ出し、爆発したからです。
 それは当たり前のことで、彼にとっては当たり前のことです。
 感情をぶつけても良い人がやっと来たのです。
 ですが、残念なことにその後対応した教員も、その子の父親も肉体的「力」で彼のそのあふれ出した想いと行動を押さえつけていました。

 それでは何にも解決しないと僕は思います。
 クラスで殴り合いのケンカをした子たちがいる。
 その子たちのことを「なかったこと」にして進める授業。
 それを「普通」のこととして見守る「おうちの人たち」。

 僕は彼らのケンカを「なかったこと」にも見なかったこととして授業を進めることの方がおかしいと思いました。
 あぁ、だから学校ってイヤなんだよ、と改めて思ったのですが、相変わらず僕はそんな情況の学校にあって、おせっかいというか、授業中でも平気で子どもたちに話しかけたりのぞき込んだりする「変なおじさん(○○のお父さん)」でいようと思いました(長男(現在中学1年)が在学時から、授業中に長男だけでなく、他の子たちにも話しかけたりしていました)。

 ということとともに、今回のような対応だったら、同じ事を繰り返すのだろうな、と感じました。
 あと4年も同じ事を繰り返すつもりなのでしょうか。
 教員もおうちのひとたちもその場しのぎではなく、何故その子たちがケンカしなくてはならなかったのか考えて欲しいですし、それを他の子どもたちとも共有出来る学校であって欲しいです。