映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ワンダー 君は太陽」

 本になったときから気になっていた作品(『ワンダー』)が、本を読む前に映画になり、観ようとチェックしていたのが今回の「ワンダー」です。
 これは本当にたまたまなのですが、先日書いた「デッドプール」と同じように、自分の顔が醜いという醜形恐怖を扱った作品になっています。 

 


ワンダー 君は太陽(字幕版)

www.youtube.com

 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイト - キノフィルムズ


作品データ映画.comより)
監督 スティーブン・チョボウスキー
原題 Wonder
製作年 2017年
製作国 アメリ
上映時間 113分
配給 キノフィルムズ
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
 10歳のオギー・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)は、普通の子には見えない。遺伝子の疾患で、人とは違う顔で生まれてきたのだ。27回もの手術を受けたせいで、一度も学校へ通わずに自宅学習を続けてきたオギーだが、母親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)は夫のネート(オーウェン・ウィルソン)の「まだ早い」という反対を押し切って、オギーを5年生の初日から学校に行かせようと決意する。
 夏休みの間に、オギーはイザベルに連れられて、校長先生に会いに行く。先生の名前はトゥシュマン(マンディ・パティンキン)、「おケツ校長だ」と自己紹介されて、少し緊張がほぐれるオギー。だが、「生徒が学校を案内するよ」と言われたオギーは動揺する。
 紹介されたのは、ジャック・ウィル(ノア・ジュプ)、ジュリアン(ブライス・カイザー)、シャーロット(エル・マッキノン)の3人。いかにもお金持ちの子のジュリアンはオギーに、「その顔は?」と聞いてきた。オギーは毅然とした態度をとるが、帰宅してからは元気がなかった。だが、イヤならやめてもいいと言いかけるイザベルに、「大丈夫、僕は行きたい」と答えるのだった。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 見た目は慣れる、という意見もありますし(「デッドプール」でのセリフ)、僕もそう思いますが、やっぱり見た目はヒトにとって関係を構築するに当たってとても重要な要素であることは間違いないと思います。
 それは、歴史をたどれば、ハンセン病患者への差別に見て取れますし(感染力はものすごく低いにも関わらず、その「見た目」からものすごい差別を受け、今も苦しんでいる方々がいます)、現代でも「見た目」が仕事に大きな影響を与えてることが分かります(参考:女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ(中野 信子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4))。

 
 27回もの手術を受け、それまでホームティーティングで過ごしてきたオギーが5年生になって(日本の感覚では中1)、初めてパブリックスクールに通い始める、というものです。
 周りの生徒たちは、最初から、例えば保育園や幼稚園から一緒だったならまだしも、5年生になっていきなり現れた「他者」、そしてその「見た目」に注目せざるを得ない「他者」(オギー)に注目します。
 そして、何かや誰かと比べずにはいられなかったり、「醜い」ということを「負」という価値観でしか観られない子どもたちにとって、すぐにいじめの対象となります。

 それでも学校に通うオギー。
 その中で変わっていくクラスメイトたちとの関係。
 そして、家族もそれぞれ変化していきます。
 親友にしかその存在を教えていなかった姉のヴィア。
 オギーのホームティーチングで自分のことが出来なかった母親のイザベル。

 この作品で、僕が印象に残ったセリフは、オギーが通う学校の校長が言うセリフです。

オギーは見た目を変えられません
我々の見る目を変えなくては

 日本でも割と有名なものなので知っている人もいるかと思いますが、神学者ラインホールド・ニーバーという人の「ニーバーの祈り」というものがあります。
 その中に、「変えることのできないものを静かに受け入れる力を与えてください」という文章があります。
 見た目、というか、自分ではない他者の何かを変えることは自分には出来ません。
 その他者というか、周りを変えようとするのではなく、変わるとすれば自分自身だということを伝えているのがこの校長の言葉だと思います。

 それでも、それが分かっていてもやっぱり自分自身のことを変えることは難しいのですが、それが分かっていても変わっていける、ということを(子どもだけではなく大人も)描いていて、とても良い作品だな、と感じました。