ヨシタケシンスケ、伊藤亜紗『みえるとかみえるとか 』
かなり久しぶりに絵本の紹介です。
前から気になっていたのですが、子どもたちも今はいないし、手に取るか悩んでいたのですが、講師をしていたときの同僚が読書週間に紹介していたり、ずっと読もうと思っていたのですが、SNS上で紹介されているのを見て、(ヨシタケシンスケさんの作品はどれもそうですが)特にこの作品は内容的に子どもがいなくても持っていて良いか、ということで手に取りました。
みえるとか みえないとか
内容(アリス館より)
宇宙飛行士のぼくが降り立ったのは、なんと目が3つあるひとの星。普通にしているだけなのに、「後ろが見えないなんてかわいそう」とか「後ろが見えないのに歩けるなんてすごい」とか言われて、なんか変な感じ。ぼくはそこで、目の見えない人に話しかけてみる。目の見えない人が「見る」世界は、ぼくとは大きくちがっていた。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
タイトルの通り、目が見えるかどうかという端的には「視覚障害」を扱ったテーマでもあるのですが、もっと広く「ちがい」について描かれていました。
なので、特に良いな、と思ったのは次の文章です。
からだの とくちょうや みためは のりもののようなものだ。
「その のりものが とくいなこと」は かならず あるけれど、
のりものの しゅるいを じぶんで えらぶことは できない。
そう、自分の身体の特徴や見た目って、「のりもの」のようなものだな、と。
でも、その「のりもの」を自分で選ぶことは出来ない。
僕という身体には苦手なものや出来ないこと、やろうとすると故障してしまうことがあって、それで苦しくなってしまうことがある。
けれど、「『そののりものがとくいなこと』はかならずある』。
僕の身体にとって得意なことで言えばたとえば書くことでしょうか。
書くことは本当に特に苦もなく、好きなことなのでいくらでも色んな文章や言葉が出てきます(と言っても物語は書けませんが)。
身体って、「のりもの」みたいなものなんだよ、自分ではその種類を選べないんだよ、と言われたことで、なんだかすごく楽になりました。
みんなと同じような形の「のりもの」にしなくちゃいけないとか、自分の身体だから自分でコントロール出来ると思っていたけれど、のりものだから出来ないものは出来ないし、うまくコントロール出来ないこともある。
例えばバスにスポーツカーのように高速で走らせることは出来ないし、飛行機のように空を飛ぶことは出来ない。
僕はそうやって、速く走らせようとしたり、無理矢理飛ばせようとしていたのかな、と。
そもそも自分の身体がバスだったらそんなこと出来ないのに。
むしろバスだったら、沢山の人たちを乗せることが出来たり、定時運行したり、毎日同じルートを安全に人を運ぶことが重要で、求められていることなのに。
この絵本、実は最初に話しをもらってから(企画してから)3~4年経ってようやく出来たとのことなのですが、だからこそ、「視覚障害」だけでなく、絵本だけれども子どもだけではなく、元同僚のように大人にも響く作品になっているのだと思います。