映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

鳥取砂丘と砂の美術館

※新しい仕事の拘束時間が長いため、今後毎日の更新が難しくなりそうです。
 僕の生存確認で読んでいる人がいましたら、TwitterInstagramを覗いてもらえたらと思います。

 安来にある足立美術館を訪れた後鳥取へ向かいました。
 鳥取と言えば、砂丘ということで、駅にある観光案内所で行き方を聞き、バスで砂丘に行きました。 

 

f:id:ysdnbm:20191231182119j:plain

 
 足立美術館にいた午前中は晴れていたのですが、砂丘に着いた頃からポツポツと雨が降り始め、砂丘のてっぺん(という言い方で良いでしょうか?)までたどりつくと、強風と雨で結構寒かったです。
 まぁ、でもこれも、自分の中では「あぁ、やっぱり日本海だな」と感じるものでした。

 そして、砂丘に隣接する砂の美術館へ。

鳥取砂丘 砂の美術館 - 世界初、「砂」を素材にした彫刻作品を展示する美術館

 

f:id:ysdnbm:20191231182122j:plain

 
 実は、駅の観光案内所でチケットを事前に購入していたのですが(しかも100円安く)、強風と雨でその記憶が吹き飛んでしまっていて、窓口でもチケットを買ってしまいました(美術館窓口だと600円、観光案内所だと500円でした。あとで観光案内所に行ったら払い戻してもらえました)。

f:id:ysdnbm:20191231182124j:plain

 
 砂の美術館、その存在を全く知らなかったのですが、とても良かったです。
 砂でつくられた作品なので、永遠に残ることはなく、会期毎に展示される作品が変わるのですが、その一過性というか、「今しか観ることが出来ない」ということが伝わってくる迫力がありました。
 今こうして観ている瞬間にも、砂粒が少しずつ落ちていって、「今」観ているものとは全く違うものになっていく。
 それを強烈に感じました。

f:id:ysdnbm:20191231182127j:plain

 
 また、そのいずれ崩れていく、崩す、なくすことがわかっているけれどもつくる、という仕事もすごいな、と。
 「作品」というと、どうにか「残そう」ということを考えてしまいますが、そもそもこの砂の展示は「なくなること」を前提につくられている。
 なくなることを前提につくる、というのはなんというか、ものすごい精神力だというか、僕自身の中にあった「つくる」ということの概念を根底からひっくり返されるような気がしました。

 砂の美術館からは再度バスで鳥取駅に戻り、知事が「砂場はあるけどスタバはない」と言っていて有名になったスタバ(おしゃれでした)を眺めつつゲストハウス(Y Pub&Hostel TOTTORI)へ向かいました。