映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

自死した友人についての話

 今年のはじめ、友人が死にました。
 僕がそれを知ったのは、(多分)2月の頭でした。
 その時は、仕事も忙しく、13連勤だったり、7時前には職場に出勤し、21時頃退勤するような時期だったこと、そもそもが新年から新しい職場、住居と環境の変化もあり、だからこそ、こんなに彼の死が悲しいのだ、と思っていました。

 けれど、それらは単に僕にとっての言い訳でしかなく、僕は彼が死んだことがただ悲しい。
 彼の死を知ってから3ヶ月経っている今も悲しみは薄まることも消えることもなく、ただ悲しい。
 今も悲しく、ただただ涙が出てくる。

 こうして彼の死について書いているのは、僕がその悲しみを浄化させたいとか、彼が確かに生きていたということを少しでも残したいというようなおごりでもなく、ただただ僕は彼が死んだことが悲しく、僕が悲しんでいるということに正面から向き合うためです。
 それすらもおこがましいことなのかも知れないけれど。

 死んだのは、神学校の同級生です。
 公にはされていませんが、自死(自殺)です。
 僕が知ったのは、彼が牧師だったからで、牧師の死は、たとえそれが退職していようとも公表されます。
 (記憶が曖昧ですが)僕が知ったのは、2月の一番忙しい時に見た公文書で、そこに彼が1月3日に亡くなったことが書かれていました。

 彼が精神的に病んでいたこと、そして、牧師を退職していたことは知っていました。
 一方的に年賀状を送りつけ、返事がなくても彼はきっと大丈夫なのだ、と勝手に思っていました。
 でも、彼は死んでしまった。 
  

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 僕に出来たことなんてなかっただろうし、もし、あのとき何かしていればなんて考えることはただただ僕のおごりでしかなく、それでも彼は死んだのだと思います。
 僕はただ彼が死んでしまったこと、そのことに悲しみを感じています。

 30年以上生きてきたことや、両親が(当時としては)高齢の時に僕が生まれたといういうこともあり、僕にとって「死」は身近な出来事でした。
 小さな時の親戚との思い出と言えば、新年の集まりよりも、葬式での出来事で、それは伯父、祖父、祖母、いとこ、はとこ(自死)だったりします。
 また、同級生が殺されるということもありましたし、それ以外の様々な身近な人が死んだこともありました。

 けれど、それらの人たちとは違って、今回の友人の死は僕にとって本当に悲しい出来事でした。
 その事実を僕が真っ正面から受け止めなくてはならないと思いました。
 僕は彼が死んでしまったこと、自殺してしまったこと、今この世にいないことがただただ悲しい。

 彼と過ごしたことを思い出す度に涙が止まらず、今も泣きながら書き散らかしているということ。
 それに向き合わなければいけない、と、それが僕の驕りだとしても今の僕は思うのです。

 彼の死を知ったとき、真っ先に大阪にいる神学校での同級生で牧師をしている友人に連絡をしました。
 携帯電話の番号を知っているし、年賀状のやりとりはしているけれど、その時の僕はもう何も考えることが出来なくて、仕事が終わって、涙を流しながらボルダリングで壁を登り、「これはダメだ」と思いながら、もう10年近くも会っていない友人に連絡しました。
 牧師というのは連絡先が公にされています。

 なので、彼が働く教会に電話しました。
 最初に出たのは、彼のお連れ合いで、最初、彼と話したいと言ったら、不審がられましたが、僕だということを伝えるとすぐに取り次いでくれました。
 そして、彼から、死んでしまった友人のことを教えてもらいました。

 牧師たちのネットワークで、彼の死は割とすぐに伝わってきたこと、だけど誰も葬儀に参列できなかったこと、やはり自死であろうこと、その死の知らせを受けて、彼も、また同じく同級生であるもう一人の友人も1月はまるで記憶がなく、僕が連絡した時点(2月頭)で、ようやく少し落ち着いてきたこと。

 どうしようもなくなった僕は、とりあえず2月16日なら彼がいる大阪に行けるので、16日に大阪に行くことにしました。
 また、それと同時に、職場にいるカウンセラーに(本来の仕事ではないのは重々承知の上で)、友人が自死し、どこか相談できるところはないか、直接話すと涙が出るので手紙を書きました。
 カウンセラーはいくつかの信頼できそうな場所を教えてくれましたが、本当に申し訳ないのですが、僕はそもそも精神科に通院しているので、それでなんとか過ごすことにして、大阪に向かいました。

 2月16日の朝、新幹線に乗り、友人が牧師をしている大阪の教会に向かいました。
 その時点で既にCOVID-19の影響で、直接触れるようなことは出来なかったのですが、まだ礼拝自体は自粛されておらず、礼拝に参加し、牧師である彼と会い、ハグし、死んでしまった友人のことを話し、彼の子どもたちに絵本をプレゼントすることが出来ました。
 そして、先日書いた大学4年生の時にスリランカに行ったメンバーが会ってくれました。

 2月の記憶は殆どなく、3月の記憶も曖昧なのですが、それはCOVID-19の影響ではなく、神学校で3年間寝食を共にした彼が死んでしまったという、そのことにただ悲しんでいたからです。
 僕にとってはCOVID-19なんかどうでもよくて、彼が死んでしまったことがただ悲しい。

 死んでしまった彼のことを思い出す時、思い出すのは、校舎の屋上で一緒にたばこを吸った光景です。
 校内での喫煙所となっていたのは、校舎の屋上で、僕がたばこを吸っていると彼がやって来たり、僕がたばこを吸いに行くと既に彼がいたりと様々ですが、何故か、雨の日に、雨がかからないようにドアの近くに二人並んでたばこを吸っていた時の様子が思い出されます。
 その時に話したことは全く覚えていませんが、彼のことを思い出す時、その、雨の中、一緒に雨になるべく濡れないように並んでたばこを吸っていたことを思い出します。

 僕はあなたが死んでしまったことが本当に悲しい。
 これほど悲しい出来事は今までなかった。
 今もどうしたら良いのか分からない。