映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

こんな日に外に出ないなんて

 「とりあえず、1回深呼吸しましょうか?」、と言いたくなる日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 僕はCOVID-19が日本で拡がっている現在も相変わらず、いつものように過ごしています。
 「いつものように」、というのは、朝起きて、瞑想し、朝食をとり、出勤し、その間に新聞読んだり、短歌を考え、仕事して、帰宅して、シャワー浴びて、夕食取り、映画観たり、本読んで、薬飲んで寝る、という日常です。
 そして、休みの日は休みの日で、ゆっくり休み、病院に行ったり、こうしてブログを書いたりしています。

 

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 「外出自粛」を求められている中、なんか色々言われるかも知れませんが、「いつも通り」過ごしていると、今置かれてる状況の「おかしさ」を感じます。
 それは上に載せた写真のように、子どもたちが遊ぶ遊具が、あたかも「事件現場」のように、「立入禁止」となっていたり、なんか間隔開けて長蛇の列があるな、と思って見てみたら食パン屋さんだったり。

 もう、何回も書いていますが、僕はうつ病なので、COVID-19でみんなが騒いでいるのが本当にピンと来ていません。
 それよりも、毎月1500人も自死(自殺)していることが気になりますし、その数が増えるのではないか、ということに怯えています。

 そして、先日の休みの日、すごく晴れていて、気温も20℃ちょっとで、本当に外に出るにはもってこいの日、散歩に行くと目にしたのが上の写真のような光景でした。
 公園の遊具が黄色のテープでぐるぐる巻きにされ、「立入禁止」のポールで囲われている。

 いや、落ち着けよ。
 ここは事故や殺傷事件の現場ではないでしょ?
 というか、そもそも、公園で多くの「禁止」事項のある日本にあって(WEB特集 公園のルール 多すぎない? | NHKニュース)、「自由に遊べる」という場は本当に貴重な場所だったのです。

 それが、絶滅することなど出来ず、共存することしか出来ないウイルスで、多くの人の行動が制限されてしまう、この事態。
 ゴールデンウィークだったこともあり、僕たちが暮らす日本の憲法を改めて読んでみました(日本国憲法)。

 前文にはこのように書かれています。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 
 また、第12条にはこのように書かれています。

 

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

 自由に出歩くことが「濫用して」いることかはどうかわかりませんが、とにかく僕が言いたいのは、僕らは「自由である」ということです。
 外に出ようが、自由なのです。

 けれど、何故か外に出てはいけない「雰囲気」があったり、指刺されるような情況があり、さらに、遊具の使用までも禁止される。
 感染に怯えるのは分からないではないですが、「禁止」したり「抑制」することにはもっと「慎重」になって欲しいのです。

 僕らが暮らす日本の憲法では「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。
 その「不断の努力」を簡単になかったことにしてはいけないと思うのです。
 行動を「抑制」し、「禁止」することはそれほど大きな出来事なのです。
 「やめろ」「できません」という言うことは、ものすごく簡単なことです。

 だからこそ、それを簡単に言わせてはいけないと僕は思います。
 この行動規制によって、今後さまざまな影響が明らかになっていくことでしょう。
 それは、僕が予想しているよりもはるかに大きいと思います。
 その時、特に、これからを生きていく若い世代にとって「負の影響」が残らないように、「大人」たちには慎重な行動を願います。