バリアとしての音楽
おはようございます。
時短勤務になり、ブログを書く時間が出来たぶみです。
誰が読んでくれているのかは相変わらず分かりませんが、5月になりアクセス数が増えたので(その前から更新もしていないのに増えていましたが)、正直戸惑っています。
先日、僕が高校3年生だった時のような生活を送っていて、この生活を送っていれば、うつ病も不眠症もなくなるのではないか、と書きました。
そういえば、高3の時と全く違うな、実はコーピング(ストレスコーピング | e-ヘルスネット(厚生労働省))になっていたな、と思うことがあります。
今日は、それについて書いてみたいと思います。
僕が高校3年生だったときと決定的に違うのは、音楽の聴き方です。
少なくとも高校3年生の時までは、僕は自分が「好きな」「聴きたい」音楽を聴いていました。
それはレッドホットチリペッパーズだったり、レディオヘッドだったり、ドアーズだったりと、基本的に洋楽でした。
なぜ洋楽だったのかというと、日本語の歌は僕にはストレートに言葉が入って来過ぎてつらかったからです。
ストレートに発される言葉よりも、一旦「英語」という母語ではない言語に変換される(変換する)ことによって、僕は音楽とその言葉を受け止めることが出来ました。
なので、今でも基本的に聴いているのは洋楽です。
で、改めて自分の音楽への接し方を振り返ったとき、大学生以降は僕にとって「バリア」だったな、と。
このブログ、何故か一番読まれているのがひたすら音楽が流れるラジオの投稿です。
僕にとって、ひたすら音楽が流れるラジオの心地よいのは、周りとのバリアになっているからです。
楽曲を提供し、それを配信しているラジオ局の方々には本当に申し訳ないのですが、僕がひたすら音楽が流れるラジオを聴いているのは、周りの人、世界と隔てるバリアになっているからです。
僕はHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia)です。
なので、どうしたって、周りからの情報を過剰に取り入れてしまいます。
そこで、今になって気づいたのが、ひたすら音楽が流れるラジオが今までバリアになっていたということです。
ひたすら音楽が流れるラジオで聴いた曲の中でも「これは良い!」と思って買ったものもありますが、少なくとも20代から今に至るまで、洋楽以外の音楽は基本的に外の世界に近づかないようするための「バリア」でした。
あぁ、自分が日本語の歌が苦手な理由はこれなのか、さらに、何故洋楽が好きなのか、ということが今になってようやく分かりました。
僕にとって、音楽はバリアであり、癒やしである。
今後はそれを使い分けながら聴いていこうと思います。