映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

戸田真琴『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』

 先日読んだ、戸田真琴さんのエッセイ『あなたの孤独は美しい』がすごく良かったというか、もっとシンプルに、この人の文章をもっと読みたいと思い、もう一冊出ているこの本を読みました。

 


人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても

 

人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても 戸田 真琴:一般書 | KADOKAWA


内容KADOKAWAより)
いつか、ちゃんと愛を始めてみたかった
いつか、どこかに、私にしか愛することのできない誰かがいるかもしれない。
その時にちゃんと愛を始めてみたかった――
現役AV女優として活躍するかたわら、自らの言葉を綴ってきた戸田真琴。
真実を捉えていて、それぞれの立場に寄りそい、読むひとの心に届く彼女の言葉には男女ともに多くのファンがいる。
恋愛がすべてではないし、男女である前にひとりの人間同士だし、いつも器用に生きられなくたっていい、そうわかってはいるけれど、やり場のない感情を抱いてしまうとき。
この本に記された言葉は、そんなあなたに見つけられるのを待っています。

感想
 僕が先日、神学校の同級生で友人が今年のはじめに自死したことが今でも悲しいのだということを書いたのは(自死した友人についての話)、この本を読んだからです。
 晴れた日に、大きな公園のベンチでこの本を読んでいた時、読みかけだったのですが、友人が自死したこと、彼が今この世にいないということが悲しいという、その自分の「気持ち」にちゃんと向き合っていないと思いました。
 彼が死んだことは本当に悲しく、子どもたちと離れて暮らすことよりも遙かに悲しく、今まで経験したことのない悲しさを今も感じています。
 その「気持ち」にちゃんと僕自身が向き合っていないな、とこの本を読んでいる時に思い、ばーっと家に帰って書いたのが、あの文章になります。

 このエッセイというか、戸田真琴さんのすごさは、冒頭にある、この文章がすべてを物語っています。

 私は私を生きている。あなたはあなたを生きている。それが素晴らしいのだと、それだけが本当は美しいのだと、私は言い続けることができる。自信満々で。


 正直、僕は「愛」という言葉がものすごく苦手です。
 愛について語られると身構えてしまうし、日本でも結構人気なエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んでもよく分かりませんでしたし、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を読んでもよく分かりませんでした。

 今でも歌とかで「愛」とかいう言葉が出てくる度に身構えてしまうというか、むしろ、一歩だけでなく何歩も引いてしまう自分がいて、この本のタイトルに「愛」という単語があった時点で、読むかどうか躊躇しました。

 けれど、もしかしたら、愛というのはこういうことをいうのかな、と。
 「生きている」こと、「それが素晴らし」く「それだけが本当は美し」く、それを「言い続ける」ということ。
 この人は本当に「愛」のある人なんだ、と思いました。

 僕は誰かに向かってこんなことを言うことは出来ません。
 しかも、「自信満々で」なんて。
 それは、自分自身に確実なものなんてなくて、一貫したものもなくて、常に変わっているからで、今日好きだったもの、あるいは、今、美しいと感じたものが、次の日、次の瞬間には好きじゃなくなっていたり、その時感じた「美しさ」を感じられない自分がいるからです。

 でも、戸田さんは、それさえも分かって言い切っている。
 それが本当にすごくて、この人はなんて強く、優しい人なんだろう、と。
 この人が言うのなら、確かにそれは「愛」であって、愛というものがあるのかも知れないと思いました。