映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「否定と肯定 (字幕版)」

 観たいなぁ、と思っていた映画が続々と観られるようになって至福の時を過ごしています。
 Amazonプライムで観られるようになっていたこともそうですが、僕自身にも時間の余裕があるからこそ観られることが出来て、本当に嬉しいです。
 この作品は、いくつかの場面で見聞きしていてチェックしていました。

 


否定と肯定 (字幕版)

 

作品データ映画.comより)
監督 ミック・ジャクソン
原題 Denial
製作年 2016年
製作国 イギリス・アメリカ合作
上映時間 110分
配給 ツイン
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
1994年、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が唱えるホロコースト否定論を自著「ホロコーストの真実」で否定していたユダヤ人の女性歴史学者デボラ・E・リップシュタットレイチェル・ワイズ)は、アーヴィングから名誉毀損(きそん)で提訴される。やがて、法廷で対決することになった彼女のサポートのためイギリス人による大弁護団が結成され、歴史の真実の追求が始まり……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 この作品は実話を元にしていて、ホロコーストショアー)などなかったと主張し続けている歴史修正主義者に「名誉毀損」だと訴えられた歴史学者を巡る裁判の様子が描かれています。
 舞台は英国で、訴えられた歴史学者デボラ・E・リップシュタットアメリカ人ですが、英国で訴えられます。
 英国は被告(訴えられた側)が、アーヴィングに対する行為、つまりアーヴィングは嘘をついていて、歴史修正主義者であるということを立証しなければ「名誉毀損」となってしまう、ということで、アーヴィングがいかに間違っているのかを立証していく、という展開です。

 この映画を観ていて思ったのは2つのことで、1つは、どんなに明確だとされていることでも「そんなのなかった」と言い続ける人がいると、それを信じる人が出てきてしまうということ、そして、もう一つは、説明を求められるのはいつだって「マイノリティ」というか「弱い」立場に置かれている人だ、ということです。

 ホロコーストショアー)などなかったというような「馬鹿げた」話であっても、それを言い続けている人がいて、それを放っておくと、それが「真実」だと信じてしまう人が出てきて、広がってしまう。
 だからこそ、本当に面倒なのだけれども、影響力の大小に限らず、「いや、それは違うよ」ということが必要なのです。
 相手がどんな人であっても、違うことには違うと言い続けなければならない。
 それを、面倒だな、と思って放っておくと「ホロコーストショアー)などなかった」というような話も「真実」とされてしまう危険がある。

 そして、これは訴えられた側のリップシュタット(あるいはユダヤ人と言って良いかもしれません)が、何故か「ホロコーストショアー)などなかった」と主張するアーヴィングが嘘をついていることを立証(説明)しなければならない。

 先日書いたハ・ワンさんの『あやうく一生懸命生きるところだった』で触れたことでもありますが、説明を求められるって本当に面倒なんですよね。
 そして、大概説明しなければならないのって、その場の弱かったり、マイノリティだったりする。
 その時の説明しろよ、という暴力性には触れられない。

 リップシュタットや登場する収容所にいたことのある元ユダヤ人女性の怒りの中にはこれもあるのだと思いました。
 単に嘘をついていること、なかったことにされることへの怒りだけでなく、説明することが当然とされ、説明を求めることの暴力性は全く触れられない。
 そもそも説明しなければならないという情況自体が暴力を受けていて、それに対しても怒っているのだろうと、少なくとも僕は思いました。