銭湯
新聞を読んでいたら、以前家族と暮らしていた時に通っていた銭湯が紹介されていました。
新聞記事にあるように改装したことで「おしゃれ」ということで人気のお店になったのですが、逆に僕にとっては、それが理由でこの銭湯には通わなくなりました。
まぁ、それは良いとして、銭湯に行きたいなぁ、と思ったので、行ってきました。
最近、やたらと散歩ばかりしているからか、近所に何件も銭湯があることを知って、今回は一番近所の銭湯に行ってきました。
行ったのは夕方だったのですが、良かったです。
何が良かったのかというと、まず、お客さんが僕を含めて4人しかいなかったことです。
経営側としてはまずいのかもしれませんが、僕としては、周りの人のことをほぼ気にせずいられる空間であったのがすごく良かったです。
他に良かったのは、シンプルに「銭湯」だったことです。
上の新聞記事に載っている銭湯に通わなくなったのは、客が多すぎるということと、銭湯の(暗黙の)ルールを知らない客が大量にいたからです。
銭湯は時間帯によって、ヌシ(主)はいるものの、場所取りというようなものはありません。
が、銭湯をあたかも、自分の風呂場だと勘違いして、自分の場所だと主張する「客」がいて、そちらを「銭湯」側も優先するようになったので、僕は行かなくなりました。
しかし、今回行った銭湯は、銭湯のルール、秩序が守られた銭湯でした。
初めて行ったのでもしかしたらヌシはいるのかもしれませんが、自分の風呂場と勘違いするような人もおらず、僕を含めて各々のスタイルで身体を洗い、風呂に入る。
入った湯船のお湯は僕にとってはとても熱い温度でしたが、それでも、ゆっくり入ることが出来ました。
今住んでいる家には湯船もあるのですが、もったいないのと面倒なので(こっちが主な理由)シャワーだけで普段は過ごしています。
なので、熱い(熱くなくても良いけど)湯船に肩まで浸かる、という、それだけでなんだかとても幸福な気持ちになりました。
番台にいるおじさんが、民放のワイドショーを観ながら、コロナ禍で経営の苦しいお店の状況を伝えるそのニュースになんやかんや言葉を漏らしている様子を見て、あぁ、すごく平和だな、と思ったのでした。