映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「スペシャルズ!」

 観たいなぁ、と思っていた作品が公開されたので映画館で観てきました。
 観たいな、と思ったのは、この作品の監督が『最強のふたり』と同じ、エリック・トレダノオリビエ・ナカシュなのと、僕自身が生きる中での課題と考えている、「障害児・者」と「居場所」のない人たちの居場所をいかにつくりだすことが出来るかということがあります。
 これは僕が何か「施し」のような気持ちを持っているというわけではなく、僕自身もうつ病があり、「精神障害者」であり、多分「発達障害」的なものもあり、自分自身の安心して生活出来る居場所を探し求め続けているからです。 

 

youtu.be

映画『スペシャルズ! ~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話~』 公式サイト

 
作品データ映画.comより)
原題:Hors normes
監督 エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ
製作年 2019年
製作国 フランス
上映時間 114分
配給 ギャガ
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより略出)
ブリュノ(ヴァンサン・カッセル)は、朝から駆けずり回っていた。自閉症の子供たちをケアする団体〈正義の声〉を運営しているのだが、支援している青年の一人ジョゼフが、電車の非常ベルを鳴らして鉄道警察に取り押さえられたのだ。ジョゼフを家まで送り届けると、今度は緊急地域医療センターへと向かう。重度の症状から6か所の施設に受け入れを断られたヴァランタンという少年の一時外出の介助を頼まれたのだ。長年にわたって閉じこめられたせいで、ヴァランタンは完全に心を閉ざしていた。頭突き防止のヘッドギアをつけて、一人で立ち上がることもできない彼を見ても、ブリュノはいつもの言葉を口にする─「何とかする」。
施設に戻ると、待ち受けていた会計士から、監査局の調査が入ることになり、不適切な組織だとジャッジされれば、閉鎖を命じられると忠告される。赤字経営で無認可、法律の順守より子供たちの幸せを最優先するブリュノの施設は、役人に叩かれれば山のように埃が出る状態だった。
ブリュノはヴァランタンの介助を、マリク(レダ・カテブ)に相談する。ドロップアウトした若者たちを社会復帰させる団体〈寄港〉を運営するマリクは、教育した青少年をブリュノの施設に派遣していた。マリクは遅刻ばかりでやる気のない新人のディランを、ヴァランタンの介助人に抜擢する。
そんな中、調査員が関係者との面談を始める。まずはジョゼフの母親が、無認可の組織の落ち度を探られるが、彼女はいかにブリュノが親身で熱心かを力説し、「認可なんて関係ない」と言い切るのだった。次なるターゲットのマリクに、大半の支援員が無資格だと詰め寄るが、マリクは資格があれば暴れる子を抑えられるのかと鼻で笑う。緊急地域医療センターの医師も、3か月で退院しなければならない患者を無条件で受け入れてくれるのは、「心と信念で働いている」ブリュノだけだと証言する。
調査員が称賛の声にも耳を貸さず、無秩序で怪しげな団体だと決めつける中、事件は起きてしまう。ディランが目を離した隙に、ヴァランタンが姿を消したのだ。ヴァランタンはどこへ消えたのか? そして施設はこのまま閉鎖に追い込まれるのか? 救いの手が必要な子供たちの未来は─?

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★


感想
 最初に僕自身がうつ病という「精神障害」を持っていること、そして、この社会での「居場所」を見つけられていないことから、それらの人びとに関心を持っていて、さらにどうにか安心して生活出来る「居場所」をつくれないか考えているというようなことを書きました。
 この作品ではまさに、その「精神障害」(あるいは「知的障害」)を持つ子どもたちと、社会でうまく「居場所」を見つけられない若者たちが描かれています。

 この作品が良かったのは、他の施設が受け入れを拒否するような子どもであっても受け入れるブリュノや、若者たちを支援するマリクが決して「善人」として描かれていない点です。
 彼らも単なる「人」であり、間違いを犯すし、コミュニケーションをうまく取れないこともある。
 コミュニケーションはそもそも相手がいるからこそ成立するので、相手に自分が伝えたいことが伝わっていなかったり、自分が誤解することもある。
 それは人間だからこそ、どんな人であっても起こることです。

 そして、ブリュノやマリクがやっていることは、その後のフランス社会を変えたとしても、彼らにとっては、その日その時の一瞬を生きていて、長期的な視野を持っている訳でもない。
 ただ、誰からも見放された子どもがいて、誰も受け止めてくれない子どもがいる。
 だから、その子たちを受け入れ、居場所のない若者たちを受け入れる。
 そのシンプルな出来事を描いていて、結果的にそれがどんな変化をもたらすかということは考えらるような情況ではない。

 また、この作品を観て、これこそ多様性(ダイバーシティ)だと思いました。
 ブリュノはユダヤ人で、ユダヤ人社会の枠組みにいることを描きながらも、「誰でも受け入れる」という姿勢から、そこに集まる人たちは、宗教や肌の色、年齢を超えています。
 ブリュノやマリクのように「白人」だけではなく、「黒人」や東アジア系、ムスリムイスラム教徒)など、多様な人たちが出てきます。

 それが「当たり前」のこととして描かれる。
 同一化を強いられたり、どちら「側」かを問われる現代において、そんな同一化やどちらの「側」に自分がいるかなど関係なく、単に目の前の「人」に出会い、関係を築いていく、というそのあり方が良いなと思いました。

 かといって、それは単なる理想郷ではなく、やはり現実は厳しく、運営資金もなく、明日も続けていけるかどうかも分からないということも描いているところが現実の厳しさとともに、わずかな希望を感じさせる作品でした。
 ブリュノやマリク、あるいはディラン、そしてジョゼフやヴァランタンの日々の、毎日接していると変化を感じないかも知れないけれど、少しずつ変わっていくということに、僕自身は毎日、やはりそれはとても小さなことで、他人からみれば変化とも思えないようなチャレンジをし続けようと思いました。
 その他人からすれば変化とも思えないような日々のチャレンジが、数年経ったとき、大きな変化になる、ということをこの作品では描いていたからです。