映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「火口のふたり」

 今回も観たいなと思っていた映画がAmazonで観られるようになっていたので観た作品です。
 映画館で観ようという感じではなく、この映画が公開されたとき、たまたま原作者の白石一文さんの小説を読んでいたこともあり、映画評を読んで、観られるようになったら観ようと思っていました。

※ちなみに、今回観たのはR15となっていますが、劇場版ではR18だったようです。
 モザイクについて思っていることを書くとそれだけで何千文字にもなりそうなので省きますが、最初観ていたら僕の目が悪くなったのかと思いました。出演者も同意してることを前提に考えると、ホントにこのモザイク文化は早くやめて欲しいと思います。
 


火口のふたり (R15+)


作品データ
映画.comより)
監督 荒井晴彦
製作年 2019年
製作国 日本
上映時間 115分
配給 ファントム・フィルム
映倫区分 R18+

ストーリー(映画.comより)
東日本大震災から7年目の夏。離婚、退職、再就職後も会社が倒産し、全てを失った永原賢治は、旧知の女性・佐藤直子の結婚式に出席するため秋田に帰郷する。久々の再会を果たした賢治と直子は、「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」という直子の言葉をきっかけに、かつてのように身体を重ね合う。1度だけと約束したはずの2人だったが、身体に刻まれた記憶と理性の狭間で翻弄され、抑えきれない衝動の深みにはまっていく。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 作品の内容というか登場人物の2人は、他のサイトとかの説明だといとこ同士と書かれていたり、元恋人同士と書かれています。
 登場人物もほぼこの2人だけで、物語は進みます。
 父親からの電話でいとこが結婚するというので帰郷した賢治(けんちゃん)と、結婚式を控えた直子。
 2人はいとこで元恋人で、直子の結婚式を控え、直子の結婚相手が不在(自衛官で他の場所にいる)の数日間会い、セックスしまくるというものです。

 10代後半、あるいは20代最初に付き合い、その時にもセックスしまくっていて、それを思い出すかのように(別れて何年経ったのかは分からないけれど)、再会後にその時を思い出すかのようにセックスしまくる。

 僕にはそんな経験はないけれど、まぁ、こういうこともあるのかな、と思うのは、その最初の「別れ」が単にケンカしたとか、すれ違いとかではなく、お互いにお互いを思っていたけれど、「いとこ」という関係への後ろめたさなどによるものだったりするからです。

 まさにむさぼり合うかのようにセックスしまくる2人ですが、そこに少しだけ震災について触れられています。
 そしてラストも同じように大きな災害が出てくるのですが、僕はそれよりも、震災というよりも、結婚、離婚、子どもがいるかどうかやいとこという血縁というものがこの話の軸になっているように思いました。
 「いとこ」だから恋人だったけれど、どこか後ろめたさを感じていたという賢治、そして、その賢治と直子が結婚すれば良かったと言っていた賢治の母の話をする直子。
 子どもを産むくらいしか自分に出来ることはなくて、だからこそ結婚という選択をしたという直子。

 それらの様子を見ていると、2人はまだ互いに結び合っていて、だからこそ、再会して、期間限定という縛りも(最初)あったからこそお互いをむさぼり合う。

 セックスシーンがとても多く、会話も2人だけですが、僕がとても興味深かったというか、良いな、と思った台詞は賢治が言った「なぜ離婚したのか聞くけど、なぜ結婚したのかは聞かない」という言葉です。
 僕はまさに今賢治のように子どももいて離婚していて、このままだと無職になるかもという状況にいるのですが、その状況よりも、「なぜ結婚したのか(しようとしたのか)」ということを誰も聞かない、ということを感じていました(感じています)。

 賢治は自分からその話をするのですが、僕もこの作品を見ながら「なぜ結婚したのか」を考えていたら、その理由は明確にあって、それを考えたとき、やっぱり離婚したのは正解だったな、と思いました。
 それにしても、他人はなぜ離婚した理由を知りたがるんだろうな、と思います。

 あと、最後気になったのは、最後のシーンで「中出し」というのがクライマックスになっているのですが、そもそもコンドーム付けずに散々してるのに、「え?今更それ聞く?」と感じてしまいました。
 まぁ、2人にとっては気持ちの問題なのだろうとは思いますが。