映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「 31年目の夫婦げんか」

 結婚(事実婚含む)生活も終了し、それから半年経ったにも関わらず、相変わらずその精算に時間も体力も精神力も削られています。
 結婚式を挙げたとき、本当に大変だったので、二度としたくないと思いましたが、精算するもの本当に大変で、二度としたくない、と痛感しています。
 ちなみに、なんで精算に時間がかかっているのかというと、元配偶者が財産分与に応じないからで、当然結婚期間に形成された財産を二分割するはずが、「○○(僕)にはそんな権利はない」と主張し、金融資産を開示しなかったり、調停の日程を遅らせたり来ているからです。
 財産分与についてはまたどこかで書くとして、今回は、その結婚生活を終わらせるかどうか、最後の機会が描かれている作品です。
 


31年目の夫婦げんか(字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督 デビッド・フランケル
原題 Hope Springs
製作年 2012年
製作国 アメリ
配給 ギャガ
上映時間 100分
映倫区分 PG12

あらすじシネマトゥデイより)
変わり映えのない毎日を送る結婚31年目の夫婦、ケイ(メリル・ストリープ)とアーノルド(トミー・リー・ジョーンズ)。これまでの夫婦の生活を改めたいと考えていたケイは、フェルド医師(スティーヴ・カレル)のカップル集中カウンセリングを知り、夫に知らせずに予約を入れる。セラピー参加に反対していた夫を連れ、二人はメーン州のフェルドのもとを訪れた。そして、カウンセリングがスタートしたものの……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 主演は、メリル・ストリープと、日本の缶コーヒーのCMでも有名なトミー・リー・ジョーンズの2人です。
 メリル・ストリープ演じるケイが大学生だったときに出会った2人は、現在結婚31年目。
 2人の子どもたちはそれぞれ自立し、1人は結婚もしています。

 最初にちょっとだけ違和感を書くと、メリル・ストリープトミー・リー・ジョーンズの2人が大学で出会って結婚し今31年目ということは、50歳代、あるいは交際期間が長かったとしても60歳くらいだと思うのですが、2人ともそれよりちょっと上の年齢に見えました。
 あくまでも、僕の主観なので、もっと老けて見える50歳代は当然現実にもいるのですが。

 さて、この映画、一番良かったのは、メリル・ストリープ演じるケイのかわいさでした。
 日本語で「かわいい」というのも違和感があり、「cute」な感じでした。
 冒頭で、もじもじしながらアーノルドにセックスを求める様子から始まり、夫婦関係を見直すための本を買いに本屋さんでひそひそと求める様子、文句を言いながらもアーノルドが夫婦カウンセリングに一緒に来てくれた時の嬉しそうな表情、それら全体の様子がとてもcuteでした。

 この作品を通して分かったのは、夫婦、パートナー関係で起きてくる問題は、日本の夫婦でも、欧米など日本以外の夫婦でも本質的には同じだと言うことです。
 スキンシップがなくなり、会話、特に自分の気持ちを話す機会がなくなり、セックスレスになり、お互いに触れることもなくなり、相手の情報は沢山知っていても、どんなことを考えているのかは全く分からない。

 作品の中ではカウンセラーと共に、それらの夫婦間にある溝を埋めるための具体的なアプローチが出てくるのですが、これも日本でも変わらないように思いました。
 自分の気持ちをちゃんと伝えているか(伝えていたか)、過去に思っていたことを伝え、その上でこれから伝えられるようにどうしたら良いのか、具体的な方法を提案していく。
 また、最初は恥ずかしがったり、怒ったりしていた、性に関することも、当然話をし、実際に少しずつ身体に触れる機会を作りながら、セックスすることもチャレンジしていく。

 アーノルドはカウンセリングに渋々ついてきて、夫婦関係が深刻な状態にあることも理解していなかったのですが、ケイは、自分で高額なカウンセリング費用を払うほど修復を望んでいました。
 この点がこの物語のラストに大きな影響を持っていると思います。
 カウンセリングに通い続けている中では、ケンカをしたりもしますが、そもそも、ケイは修復したいと願っていた。
 そして、渋々でもアーノルドはそれに応じた。

 僕も夫婦関係がこのままだとダメだと感じていたので、カウンセリングなどを元配偶者に提案したこともありますが、元配偶者は応じませんでした。
 離婚する夫婦というのは、僕らと同じく、そもそも修復しようと思ったときに、一方が応じなかったりした結果、そのまま終わりになるのではないか、と思います。

 では、渋々でも応じてもらうにはどうすれば良いのか、ということなのですが、それを考えるよりは、大きな溝が出来ないような予防をすることが大事なのだと思います。

 今回の作品からヒントをもらいながら、僕だったらどういう予防をするか。
 

・寝室は分けない(一緒に寝る)
・一週間に一度、2人でゆっくり話す時間を作る(出来れば決まった日にしておき習慣化することと、もし出来ない日があったら、無しにするのではなく、代わりの日を決める)

 
 特に2つ目のものは、先日読んだ対人関係療法でのパートナーシップにおいての具体的なアプローチも参考にしました。
 この作品でもよく分かるのは、夫婦やパートナーとの関係に溝が出来るのは、自分の気持ちを話さなくなることと、スキンシップがなくなること。
 その要因として、例えば仕事の忙しさだとか、何らかのきっかけで一緒に寝るのをやめることなどがあるのですが、逆に言えば、そうならないための習慣を作っておけば、溝は拡大し続けることはないし、ある日を境にして終わりの日を迎える、ということにはならない、ということです。

 結婚してから20年近く子どもがおらず、その後に子どもを授かり、今も夫婦仲良くしている(ように僕には見える)友人がいるのですが、その夫婦は2人でゆっくり話すということを20年近くしてきたので、子どもが生まれてからもずっとしているそうです。
 気持ちを伝え合う仕組みが生活の中に取り込まれていて、習慣化している。
 些細なことかも知れませんが、こういうことが夫婦やパートナー関係においては、時間を積み重ねていくからこそ、大切なのだ、ということを改めて教えてもらいました。

斉藤章佳『男が痴漢になる理由』

 以前から気になっていた本だったのですが、電子書籍でも僕にとっては結構高いのでためらっていましたが、読み物だけでなく、Podcastやラジオなど、僕が日常的に接している情報源で取り上げられていたので、手に取ってみました。
 いろんな番組などで言及されていたということも大きな理由なのですが、この本を最初に読みたいと思ったのは、痴漢を含めた性暴力と「支配欲」がどう関係するのか、ということについてです。
 性暴力は相手を支配しようとする目的で、戦争や紛争などでも用いられる手段ですし(最近だと例えば→米国務省、ミャンマー軍がロヒンギャを組織的に迫害と報告 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News)、以前ちょっと触れた僕自身が自分自身に感じる「男性性」への嫌悪の正体を明らかにしたいな、と思い読んでみました。

 


男が痴漢になる理由 Kindle版

 
 マークした箇所を上げるとキリがないのですが、この本を読んで一番印象に残ったのは、「痴漢」=そんなに深刻な問題ではないのではないか、と多少なりにも感じてしまっていた自分自身の認識の歪みを気付かせてもらったことです。
 

「人を殺してはいけないよね」といった人に対して、「でも殺人も冤罪事件があるからさ」という人はいないでしょう。(中略)しかし「痴漢をなくそう」というと「それよりも冤罪が」となるのはいったいなぜでしょう。

 
 痴漢は犯罪です。
 当たり前のことですが、それが「ある」ということが「当たり前」かのように考えてしまっている自分自身もいます。
 それはたとえば、鉄道での「人身事故」とも同じようなものかも知れません。
 人身事故だったら、例えばそれによって遅延が発生したりするので、そのときに「誰かが怪我をしているのかもしれない、誰かが亡くなったのかもしれない」と想像するきっかけがありますが、痴漢は目の前でその行為を見たりしない限り、「あるのだろうけれど見えないもの」となります。

 中学生の時に、仲の良かった女の子が他の市に引っ越し、卒業まで半年くらいだったので、電車通学に変わり、そのときに「痴漢に遭う」ということを伝えられたことがあります。
 僕はそのときに「痴漢」というものが自分のすぐ近くあるものだということが初めて分かりました。
 けれどその後、日常的に満員電車に乗る生活を送って来なかったこともあり、(男性も被害に遭うとはいえ)どこか自分とは離れたところにあるような認識でした。


 しかし、この本を読んで改めさせられたのは、日常的に身近で起こっている卑劣な犯罪だということで、それに対して、「あるみたいだね」と放っておくような、自分とは関係がないという認識のままで良いのか、ということです。
 痴漢のデータではありませんし、日本のデータでもないのですが、1人の性犯罪者に対してどのくらいの被害者がいるかが示されていました。
 

アメリカの研究者・エイブルは、ひとりの性犯罪者が生涯に約380人の被害者を出すという調査結果を発表しています。これは強姦や強姦殺人なども含めた数字ですが、痴漢のなかには毎日のように違う女性に加害する者もいるので、人数だけでいうと数年で簡単に上回るでしょう。

 
 また、痴漢の場合、「初犯」(「捕まる」のが初めて)では示談で済むことが圧倒的に多く、裁判になっても執行猶予がつくことが大半であること、そもそも痴漢をされてもそれを周囲に言うことが出来ない被害者が多くいることを考えると、1人の痴漢に対して380人では下らない数の被害者がいるであろうことが指摘されています。
 (中学生だったとき、僕に被害を伝えてくれた女の子のように)被害者にとっては大きな傷を残す卑劣な犯罪行為で、それによる被害者が毎日毎日無数に生み出されている異常さをまずは認識し、そこから対策を考えていかなければならないと思いました。
 これは日本に限らないのですが、性被害に遭うのはあたかも被害に遭った女性の容姿や行動を批判する人(僕が今まで知る限りは皆男性)がいて、その意見はさすがにおかしいとは思っても(性被害ではなぜか被害者が批判される傾向にある)、「痴漢」という性犯罪が日常的に身の回りにあることを、あまりおかしいと思わなくなっていた自分がいました。

 では、なぜ痴漢という行為をするのか、どのような人がするのか、する要因なども詳細に触れられていて、その実態はもしかしたら、多くの人にとっては予想外の内容かも知れません。
 性暴力と支配欲がどう結びつくのかを知りたかった僕にとっては、「やはり」という内容だったのですが、詳しく知りたい人は本を読んでもらうとして、僕にとって興味深かった点をあげてみます。

混雑をきわめた車内では満員電車を構成しているその他大勢のひとりにすぎません。自分が誰か、他者が誰かわからなくなると責任の所在が不明確になり、痴漢にとって非常に魅力的な空間となります。それが「痴漢の発生場所」の過半数を電車内が占めている理由です。


 「自分が誰か、他者が誰かわからなくなると責任の所在が不明確にな(る)」というのは、インターネット上でのヘイトにも当てはまる指摘なので、とても興味深く感じました。
 痴漢がなぜ電車内(特に満員電車)で痴漢行為をするのかというと、誰しもが「その他大勢」になり、責任の所在が不明確になるから。
 インターネットで誰かを攻撃したり、ヘイト行為をするのも、誰しもが「その他大勢」になり、責任の所在が不明確になるからでしょう。
 自分自身が痴漢だけでなく、ヘイト行為をするようなことがないようにする予防として、また、社会においてそれらがなくなるようにするためのヒントがこの指摘にはあると思います。

 僕がこの本を読もうと思ったのは、自分自身の「男性性」に対する嫌悪感からだと書きましたが、その「男性性」とは、もう少し正確に言えば、男性ゆえなのか自分自身でもまだよく分からない、時折目を出す支配欲や征服欲です。
 痴漢をしたいとか、誰かを押し倒したいとかはありませんし、実際にそれをしたりすることはもちろんありませんが、ふと支配欲や征服欲といったものがあらわれる瞬間があって、それの正体を知りたいと思っています。

 それを考えるヒントはいくつもあったのですが、タイトルにあるように、そもそもこの本では「男」を前提にしているが故に、それが「男性」という性によるものなのか、それとも性よりも個人差が大きいものなのか、明確には触れられて折らず、自分の中で少しもやもやが残りました。

 けれど、日本での痴漢、または性犯罪者が圧倒的に「男」が多いことから、個人差よりも性差の方が大きいのかな、とは思いますが、もう少し違う視点からも考えていきたいなと思います。

「パディントン」

 子どもたちが来たら観ようかな、と思ってAmazonのウォッチリストに入れていたのですが、もう会うことはなさそうですし、そもそも、AmazonのFire TV Stickは追い出された家にあるので、TVのない僕の家はもちろん、実家でも観られないことに気付きました。
 子どもたちと一緒に、という必要がなくなったので、早速観てみました。
 


パディントン(字幕版)

  

【公式サイト】『パディントン』|Blu-ray&DVD 好評発売中!


作品データ映画.comより)
監督 ポール・キング
原題 Paddington
製作年 2015年
製作国 イギリス
配給 キノフィルムズ
上映時間 95分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
イギリス・ロンドン。真っ赤な帽子を被った小さな紳士が、はるばるペルーから家を探しにやってきた。大好きなマーマレードを、スーツケースいっぱいに詰め込んで。英国紳士らしく、とっても丁寧な言葉づかいで道行く人に話しかける彼だったが、なぜか誰からも相手にしてもらえない。それは・・・彼が“クマ”だから!
やっと出会った親切なブラウン夫人に、出会った駅名から“パディントン”と名付けられ、初めての都会暮らしを初めてみたけれど、野生の本能が邪魔してドタバタの連続!
生まれて初めてのお風呂にビックリして家中を水びだしにしたり歯ブラシで耳掃除をしたりたまたまスリを捕まえたり純粋で礼儀正しいパディントンは、はじめは煙たがっていた心配性のブラウンさんや子供たちとも仲良くなり、やがて街の人気者になっていく。しかし「いつまでもブラウンさん一家のお世話になっていられない」と、パディントンは家を探すことに。そんなある日、彼をつけ狙う謎の美女・ミニセントに誘拐されてしまう!
果たしてパディントンは無事に家を見つけることができるのか?そして、そこには、もっと素敵な何かが待っていた…

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 
元々は児童書で、僕は読んだことはないのですが、日本でも出版されています(『くまのパディントン』)。
 原作の児童書を読んだことがなかったので、どういう物語なのか全く知らずに観たのですが、とても良かったです。
 100分に満たないので、小さな子どもであっても観られると思いますし、内容的にも、すごく愛らしいという感じに装飾されているわけでも、かといってリアルなクマからも逸脱しない程度の雰囲気と姿を保っているので、子どもたちもパディントンに愛着を持てるのではないかと思います。

 物語の展開というか、ラストは予想通りパディントンが「家族」、「居場所」を見つけるというもので、その中で「家族とは」というものを考えさせる内容になっています。

 僕自身がとても良かったと思ったのは、パディントンを狙うミニセント(ニコール・キッドマンが演じているのですが、ものすごく良かったです。演技そのものもですが、醸し出す雰囲気とか表情とか)がなぜパディントンを狙うのか、ということが明らかになるシーンでやりとりされる、保護される動物とは、という議論です。

 40年前の出来事として、かつてパディントンの伯父と伯母に会った冒険家が、標本にして持ち帰らなかったことに対して、ロンドンの学者たちが(そのクマは)「クリケットをするのか?」「紅茶は飲むのか?」と質問します。
 これは、日本では未だに議論というか、持ち出される「保護される動物に知性はあるか?」というものです。
 最近も東京オリンピックに向けての最初のテスト大会と位置づけられていたセーリングのワールドカップでイルカショーを行ったことで、ショックを受けた海外の選手や関係者が多数いたなどから国際セーリング連盟からも批判されたことが報道されていましたが(参照:江の島セーリングW杯でイルカショー、国際連盟が「失望」表明 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News)、その際にも日本では「海外では知性がある動物だけ保護するという考えなんでしょ?」という意見がちらほら見えました。

 この映画を観ていると、少なくとも40年前のイギリスでは今の日本と同じような意見があったものの、今ではもはやそんな意見を出す場もないということが分かります。
 むしろ、動物保護の活動をしていると見せかけながら、実は様々な理由を付けて剥製などにして「保存」するために、命を奪ったり、命を奪おうと過激な行動に出ている人がいるということを風刺しているのだと思いました。

 また、クマが街中にいるなんて、そもそも難しいのではないか?と思っていたのですが、それも映画の中のように、帽子を被っていて、大きなスーツケースを持っていれば、多くの人にとっては、ただのモブでしかなく、案外気付かずに通り過ぎるような気もしました。
 この点も、なんだか現代社会の特に大都市の人々の暮らしを風刺しているようで面白かったです。

 児童書が元になっているということからも、どんな年齢でも楽しめる作品になっていると思いました。

河野裕子、永田和宏 『たとへば君 四十年の恋歌』

 1人で暮らすようになってから、「書く」ということが多くなりました。
 元々あんまりしゃべるのはうまくないと思っていて、このブログ含め、大学生の時に始めたブログは、いろんな所に場所を移動しながらも、15年近く続けていますし、日記もただ出来事を羅列することが多いのですが、20年くらい書いています。
 中学生や高校生の時には、モヤモヤとした気持ちを発散する方法として、詩のような物を書いていて(誰にも見せたことはありませんが)、高校生の時にはいずれ詩人になれたら良いな、と思っていました。

 結婚してから、子どもが生まれ、その人数も1人から2人、そして3人と増え、元配偶者は家事に関して僕が要求しない限り全くしなかったので、必然的に僕のやることが増え、何かを書く、という行為自体がなくなってしまいました。
 今になって思うと、僕にとっては、それを誰かが読むということとは関係なく、ただ「書く」ということ自体がとても大切な行為だったようです。
 気持ちを発散する場、その場が「書く」という行為だったようです。

 「書く」ということをしないと、自分自身の気持ちをコーピングする場がなく、精神的に行き詰まってしまう。
 大げさに言えば、僕にとって、書くということが生きていくために、生きていくときに必要な行為だったようです。

 そのことを最初に気付かせてくれた本が、年始めに読んだ萩原慎一郎さんの『歌集 滑走路』でした。
 『歌集 滑走路』に書かれている萩原さんの短歌の魅力は言うまでもなく、僕自身に溜まった気持ちを表現する方法として「短歌」というものを知りました。
 それまで短歌にはほとんど接したことがなく、書いたこともなかったのですが、歌人のように毎日書くということはありませんが、例えば先日の教え子の自死に面した際、 毎日ふとした瞬間に浮かぶ彼の顔と共に誰にも話すことの出来ない思いを短歌という形で書くことによって、なんとか思い出す度に涙を流さずに済むようになりました。

 自分がブログでも短歌でも日記でも、とにかく「書く」ということによって成り立っているということが自分自身で分かってきた頃、新聞で1つの記事を読みました。

(リレーおぴにおん)ちっちゃな世界:1 感じたことを「31文字」に 知花くららさん:朝日新聞デジタル

 同世代(僕より少しだけ年上)でモデルの知花くららさんが、自身で感じたことを短歌にしている、という記事でした。
 そこには5年前に短歌を詠むようになったことと共に、そのきっかけとしての現代短歌の歌集との出会いが書かれていました。
 それがこの本です。

 


たとへば君 四十年の恋歌 Kindle版

 
 この歌集には、河野裕子永田和宏という2人の歌人の出会いから、河野が亡くなるまでの40年に及ぶ相聞歌が納められています。
 40年間を一冊の本に収めるので、例えば河野が残した文章で度々触れられている永田の心の闇のようなものについて、深掘り出来ていないような気もしますが、直接面と向かって伝えることが出来ないことを、短歌にすることで2人が伝え合ってきたということが伝わってきました。

 具体的な短歌は実際にこの本を読んで確かめてもらうとして、とても印象に残った言葉があります。

どのような相聞歌も、かならずその時のコンテキスト(文脈)のなかで生きるものである。前後にどのような歌が置かれているか、そのような歌のコンテキストのなかでのみ、一首の歌のほんとうの良さは実感できるものである。ここにアンソロジーとして編まれた歌が、発表当時、どのような背景のもとに作られたか、他の歌とどのように共鳴しつつ歌集のなかに置かれているかを感じつつ、歌集にあたって読んでいただきたいと願う。


 「どのような相聞歌も」とありますが、これはどの「言葉」でも同じなのだと思います。
 どんなに特徴的な言葉であっても、ある部分だけを取り出して理解することは出来ないし、逆にコンテキストを分かるからこそ浮かび上がってくる言葉がある。
 特に誰に見せる訳でもないのに、「これは短歌じゃないかも」とか「これじゃ意味が広がりすぎて伝わらないかも」と考えてしまう自分がいました。
 もちろん、1つの短歌そのものでコンテキスト全体まで伝わるようなものを作れることはすごいことですが、今目の前の出来事があるからこそ詠んでいるという現実がある。
 その現実の中ではこれを詠むしかない、ということがある。
 そこにはコンテキストがあって、それを抜きにしては理解することは出来ない。
 それでいい、ということを教えてくれたように感じました。

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」

 先日の「アベンジャーズ」に引き続き、マーベル作品です。
自分の中で「アベンジャーズ」とこの「ガーディアンズ」が混在してしまっていて、続き物だと勘違いしてしまっていました。
 本当は「アベンジャーズ」の2作目である、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」を観るつもりでした。
 なので、自分が勘違いしていたせいで、最初から登場人物たちが全く「アベンジャーズ」と重ならずに、戸惑いましたが、キャラクターは全く重ならないものの、物語としてはつながる部分があったので、次回からはマーベル作品の順番に気をつけてながら、順番を追いながら観ていきたいと思います。

 ちなみに、この「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」はマーベル作品群の中では【フェイズ2】に含まれます。
 公開順で「アイアンマン3」「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」「アントマン」となっています。


ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(字幕版)

 

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー|ブルーレイ・デジタル配信|マーベル|Marvel|

 

作品データ映画.comより)
監督 ジェームズ・ガン
原題 Guardians of the Galaxy
製作年 2014年
製作国 アメリ
配給 ディズニー
上映時間 121分
映倫区分 G
上映方式 2D/3D

ストーリー(公式サイトより抜粋)
幼くして地球から誘拐され、今や宇宙をまたにかけるトレジャーハンターとなったピーター・クイル。とことん運がないくせに、自らを“スター・ロード”と名乗る男。そんな彼がある日、巨万の富を夢見て、パワーストーン<オーブ>を盗み出す。だが、銀河を滅亡させるほどの恐ろしい力を持つオーブを狙う悪党たちから追われる羽目に。
それをきっかけに、危機また危機の冒険と、宇宙存亡を懸けた戦いに巻き込まれていく——。
そんなピーターとチームを組むことになるのは、キュートなルックスとは裏腹に、過激な宇宙の無法者、アライグマのロケット。メカの天才で奇想天外な戦術を繰り出し、ライフルをぶっ放し、小さな体で大暴れ。さらにはロケットの相棒、一見穏やかだが怒らせるとヤバい樹木の姿をしたヒューマノイドのグルート、宇宙一美しくて危険な暗殺者ガモーラ、復讐心で突っ走る一途な破壊王ドラックスという、癖ありワケありのやっかいな連中がピーターと運命を共にする。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想

 
まず冒頭から良かったのが、主人公クイルが聞く音楽です。
 なぜか彼はウォークマンでテープから音楽を聞いていて、そこにはタイトルが「Awsome Mix」と書いてある。
 流れる曲は1970~80年代に流行ったものです。

 そのあとすぐに回想シーンが入り込み、クイルの幼少期の出来事が映し出されます。
 お母さんからプレゼントされたカセットテープを、母さんが死の淵にいる時にもずっと聞き続けていたことから、お母さんが亡くなったすぐあとに連れ去られたあとに、唯一の持ち物だったことも分かります。

 主人公クイルの生い立ちを含め、なぜかアライグマにされてしまっているロケット、ヒューマノイドのグルート、両親を殺され改造人間にされ敵の手で育てられたガモーラ、妻と娘を殺された復讐を夢見るドラックスと、それぞれが様々なものを背負いながらその場にいることが分かります。
 けれど、冒頭の「Awsome Mix」のヒップホップミュージックが流れることからも伝わる、アップテンポで明るい印象が、それらの主要なキャラクターが抱えているもののつらさや暗さというものをうまく中和させていました。

 中和させるというのは、決してそれらの過去を「なかったこと」にするということではなくて、「今も傷を負っているし、辛いけれど、そのつらさを引き受けつつ生きていく」ということです。
 だからこそ、ロケットは、自分の復讐心のために敵であるロナンをおびき寄せたドラックスに「甘ったれるな。皆大切な人を亡くしてる。他人を巻き込む言い訳にするな」と叱るのです。
 でも、巻き込まれて「やれやれ」という感じのロケットですが、言い訳にすることを批判しているだけで、巻き込まれていくこと自体は許容しています。

 みんなそれぞれが悲しみや憎しみを抱えている。
 それは、ガーディアンズの「見た目」が違うことからもわかりやすく描かれています。
 同じ境遇で育ったものも、まして同じ民族や同じ星で生まれたものもいない。
 けれど、仲間となることが出来る。
 
 違う境遇で生きてきたからこそ、何でつながるかと言えば、それは会話しかなく、グリートは「私はグリート」としか言えない(言わない)けれど、それでも会話をすることをやめることをしない。
 「こうしていれば相手が分かってくれるはずだ」と想像することなく、会話をしながら、お互いを理解していく、という、友情物語でありつつも、人と関わる時の基本的なことを教えてくれているような気がしました。

 また、この作品でも、エンディングクレジットのあとに1つのシーンが流れていました。
 「アベンジャーズ」の時は、終始無言でしたが、今回のもクスッと笑えるものになっていました。
 こういう茶目っ気があるというのもマーベル作品の良さだと思います。

福満しげゆき『終わった漫画家』

 先日、福満しげゆきさんの『中2の男子と第6感』の感想を書きましたが、同じく福満さんの作品がAmazonで表示されました。
 タイトルをぱっと見た感じだと、『僕の小規模な生活』や『妻に恋する66の方法』のように、福満さん自身のことを指して「終わった漫画家」と言っているのかと思いましたが、表紙に描かれている男性はどうみても今までの福満さんとは違う。
 僕はどちらかというと、福満さんの作品には、『僕の小規模な生活』や『妻に恋する66の方法』のように、自身のことを書いた作品を読んでだんだんいろんな作品を読むようになったので、触手が伸びなかったのですが、レビューの評価があまりにも高かったので、読んでみることにしました。
 


終わった漫画家(1) (ヤングマガジンコミックス) Kindle版


終わった漫画家(ヤンマガ)

作品紹介ヤングマガジン作品紹介ページより)
彼は終わった漫画家です。才能が枯渇しています。10年前の少年誌での初連載が小ヒットし知名度がゼロではありません。が、現在の仕事は地味な月刊誌での編集者主導の連載1本のみです。が、単行本第1巻の売り上げ悪かったため、最後の砦のこの連載も風前の灯、打ち切り寸前です。ひとり公園のベンチに座り続けるしかなく、そして、牛丼的なものを食べて帰るしかありませんでした。

感想
 Amazonのレビューでは爆笑した、というようなことが結構出るのですが、僕はくすくすっと笑う感じでした。
 爆笑ではなく、くすくす笑うところはどんなところだったのかというと、表面上では取り繕っているけれど、実はそれぞれお互いに伝えていない、表現しない本心があり、その本心が伝えていないけれど、実は本心ではという、本人内でのズレ、また相手と自分とのズレが面白かったからです。

 登場人物は「終わった漫画家」とアシスタントのAさんとBさんという3人だけなのですが、この構成になった理由をあとがきで読んで、この人(福満さん)はすごいな、と改めて思いました。
 あとがきの内容を書いてしまうと、面白みが半減してしまうので詳しくは触れませんが、なぜ今回の作品では「終わった漫画家」がこのようなビジュアルをしているのか、なぜそれにもかかわらずこんな思いを抱えているのか、そして、アシスタントがAさんとBさんの理由、それらの理由が書かれています。

 もちろんあとがきに書かれているいわば「内輪話」だけでなく、作中で描かれる描写も、福満さん自身が実際に体験したり、思っていないと描けないだろうな、というものがありました。
 たとえば、冒頭で主人公の「終わった漫画家」が将来のことを考えて不安になるシーンがあります。

もう若くもなく!
社会経験もなく!
世間知らずでプライドばかり高い!
ただの低学歴
 

うわ~~
これ以上考えると危ない!

 
 こんなことを考えながら主人公は、[老人たちと共に座り続けるしかなかった そして牛丼的なものを食べて帰るしかなかった…]という描写が続くのですが、こういう多分大多数の人たちは何も感じずに通りすぎるだろう、ちょっとした描写が本当に秀逸だと思いました。

 特にこの描写が秀逸だと思ったのは、漫画家に限らず、いろんな分野というか、多くの人たちが実際に体験している、その人間の本質のようなものを、多くの人は特に気にすることもなく読みすぎていくような、ちょっとした描写にちりばめられているところです。
 なんというか、そのちょっとした描写の中に、福満さんの人間観というか、人間を見るまなざしというか、それはもしかしたら、自分自身へのまなざしなのかもしれませんが、そういうものが垣間見えて、それがとても僕には、「自分もなんとかやっているから(大丈夫かもしれないよ)」というようなものを感じるのです。
 その「(大丈夫かもしれないよ)」という部分が、生きていくときにはすごく重要なんじゃないか、と、そういう気持ちにさせてもらえるところが、この作品の一番の良さだと感じました。

「アベンジャーズ」

 評論家荻上チキさんのラジオ番組(session22)を聞いていると、定期的に荻上さんがマーベル作品の話をします。
 最初はそんなに興味が沸かなかったのですが、マーベルの新作が公開される度にチキさんがその作品について話すのを聞いている内に段々と興味がわいてきました。
 初期の作品は公開からもう10年くらい経っているので、Amazonで無料で見られるかと思いきや見られなかったので、旧作が安かった時にTSUTAYAディスカスで借りて見ました。

 借りたときには順番などはそこまで気にせず、なるべく初期の作品、ということで借りて見ました。

 


アベンジャーズ (字幕版)

 

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アベンジャーズ|ブルーレイ・デジタル配信|ディズニー


作品データ映画.comより)
監督 ジョス・ウェドン
原題 The Avengers
製作年 2012年
製作国 アメリ
配給 ディズニー
上映時間 144分
映倫区分 G
上映方式 2D/3D

あらすじシネマトゥデイより)
人知を超えた悪によってひそかに進められる地球壊滅の陰謀。それを食い止めるべく、大富豪で天才発明家アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr)、神々の国から地球ヘと追放された雷神ソー(クリス・ヘムズワース)、感情の爆発によって容姿を激変させる科学者ハルク(マーク・ラファロ)などを集めた部隊アベンジャーズが結成される。しかし、各々が抱えているつらい過去や苦悩が浮き上がっては衝突し合うようになり、人類史上最大の危機に立ち向かうチームとしての機能が消失しかけていた。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 マーベル作品の内【フェイズ1】と呼ばれる6作品で最後の作品になります。6作品とは、「アイアンマン」、「インクレディブル・ハルク」、「アイアンマン2」、「マイティ・ソー」、「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」、「アベンジャーズ」です。
 この6作品の中で、アイアンマンはTVでも放送されていたので見たことがありますが、他の作品はまだ見たことがありません。

 観始めたとき、見たことのあったアイアンマンだけでなく、ハルクやキャプテン・アメリカ、ソーなどの映画になっているキャラクターだけでなく、ホークアイやブラック・ウィドウなど主要なキャラクターだけで沢山の人物が出てきたので、彼らがどういうつながりがあるのかよく分かりませんでした。
 なので、映画を途中で止めて、ネットであらすじを読んでから、見るのを再開するという感じでした。

 キャラクターの多さや、キャラクターそれぞれの設定が分かっていないと、把握するだけでちょっと大変ということはあったのですが、逆に一度それぞれのキャラクターの背景などが分かると、1つ1つの言葉が持っているメッセージ性なども感じることが出来たように思います。

 それは、アベンジャーズのメンバーだけでなく、敵をも含みます。
 マイティ・ソーの弟であるロキが地球の支配者になろうとすることに対して、アベンジャーズが戦っていくのですが、ロキは冒頭で、人間は元来従うことを求めているのだ、というシーンがあります。
 それに対し、一人の男性が「それは違う」と立ち上がるのですが、他の人たちはその様子を見ても、まだ出会ったばかりのロキに従おうとします。
 ロキは特別な力を使ったわけでもなく、ただ「力」を見せつけようとしただけ。
 それに対して多くの人々は従ってしまう。

 2012年に公開された映画なので、2018年の今を見据えていたわけではもちろんありませんが、声の大きい者に従ってしまうという人々の傾向や、周りの人の行動に自分も合わせようとする集団意識などを、批判や風刺でもなく、観ている観客に「それで本当に良いの?」と問いかけているように感じました。

 また、最後、エンディングクレジットが流れたあとでのシーンがあったりと、ユーモアを含んだ場面もちりばめられていて、2時間半近くある作品でしたが、飽きさせることのない展開でした。