映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

OKIPPA

 ひとり暮らしになって困るようになったことの一つに「荷物の受け取り」があります。
 再配達は配達の人に悪いし、宅配ボックスもないので、基本的には家から近いコンビニ受け取りにしているですが、コンビニ宅配が出来ない場合もあります。
 そうすると、いつ受け取るか、基本的に土日になるのですが、時間が縛られるのもイヤなので、困っていました。
 そんな時、ニュースなどで、玄関先に置き配出来るサービスがあることを知りました。

OKIPPA 置き配バッグで受け取りをもっと便利に

 
 で、調べてみたのですが、当然のことながら、置き配用のバッグがお金がかかるとのことだったので、そこまでしては良いかな、と諦めていました。
 が、たまたま郵便局でこのOKIPPAを無料体験出来るということをやっていたので、応募したら、もらえました。

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  当選しましたというまでの連絡が結構(1、2ヶ月くらい)かかったので、忘れていた頃に届き、最近は引越先に必要なものを新しく買うこともなくなったので、宅配してもらう機会があんまりないので、まだ使う機会は来ていないのですが、無料でもらえて良かったです。

 最近は買いものをなるべくしないようにしているので(多分ストレスが減ってきたこともあり)、OKIPPAのキャンペーンに応募した頃よりは宅配してもらう機会は激減しているものの、わざわざコンビニに行かなくても(コンビニ行って持ち帰らなくても)、そして、土日に荷物の到着を待たなくても良くなったのが本当に良かったです。

高松美咲『スキップとローファー』

 いつも(ラジオクラウドで)聞いているラジオ番組、 アフター6ジャンクションでマンガが紹介されていました。
 レビューの評価も高く、まだ2巻ということもあり、手に取って読んでみました。

 

www.tbsradio.jp

 


スキップとローファー(1) (アフタヌーンKC)

スキップとローファー|アフタヌーン公式サイト - 講談社の青年漫画誌


作品紹介アフタヌーン公式サイトより)
過疎地から東京の高偏差値高校に首席入学した美津未。本人も気づかぬうちにみんなをほぐす彼女は天然のインフルエンサー
岩倉美津未、今日から東京の高校生! 入学を機に地方から上京した彼女は、勉強こそできるものの、過疎地育ちゆえに同世代コミュ経験がとぼしい。そのうえちょっと天然で、慣れない都会の高校はなかなかムズカシイ! だけど、そんな「みつみちゃん」のまっすぐでまっしろな存在感が、本人も気づかないうちにクラスメイトたちをハッピーにしていくのです! 

感想
 僕は学校で働いていましたが、学校が好きではありません。
 というか、嫌いです。
 何故かというと、小学校高学年から中学校までが本当にイヤでたまらなかったからです。
 例えば、性別で基本的な評価を変える教師(女)がいたり、窓側の席だった中学1年の時、西陽がまぶしく、暑かったので席を立ち、カーテンを閉めたら「何でお前は何も言わないで席を立ったんだ!?」「何か言うことはないのか!?」とすごんできた社会科教師(男)がいて、無理矢理謝らされたり。
 教師だけではなく、女子と仲良く話していただけで、「女好き」と言われたり、今で言うスクールカーストのようなものがあって、下位に位置づけられないように繕っていたこと。
 他にも、今はそんなことはないのですが、地毛が茶色っぽかったので、何度「お前髪染めてるだろ?」と言われたことか。

 そんな何もかもがイヤでたまりませんでした。
 なので、高校に入ったとき(校舎も変わり、ハードもソフトも今は全く違う学校のようですが)男子校で、さらに制服もなくどんな恰好だろうが(暑いからと言って体育の後とかにパンツだけの姿は注意されたり(僕じゃないけど)、サンダルは危ないからやめた方が良いのではと言われることはありましたが)、髪を染めていようが、ピアスをしていようが、自由だったので、本当に楽でした。
 女子がいなかったからかスクールカースト的なものもなく、ちょっと(じゃないか)やんちゃなグループ、アニメ好きなグループなどありましたが、別にそれはそれと言った感じで、本当に解放された気がしました。
 教師たちも、やることやっていれば特に何も言ってきませんでしたし、(個人面談で「お前の列(クラス替えと席替えがなかったので2、3年生の2年間、僕は一番後ろの席でした)はいつも寝てる」とは言われましたが)本当に自由でした。
 そのおかげで逆に自由には自分で何もかも決めないといけないことや、責任を取る必要が出てくることを学べました。

 だからといって、高校生活だけで学校が好きになれたかというと、そんなことはなく、小学校高学年から中学校までのイヤな出来事は今でも引きずっています。
 学校で働き始め、生徒たちの様子を見て、あぁ、この学校にいたら僕も楽しかったかも知れないな、と思う出来事があったこともありますが、やっぱり学校は苦手です。

 30代半ばにもなって学校に対してそんな気持ちをいつまでも引きずっていているのですが、「こんな人たちが周りにいたら、こんな学校生活を送れたら、楽しかったかも知れないな」と、この作品を読んで思うことが出来ました。

 内容は上に載せた作品紹介にあるとおり、地方の過疎地からやってきた東京の進学校へ主席で入学した美津未を中心にした学校生活・人間関係が描かれています。
 嫌みをいわれているのに、それが嫌みだと気付かずにいたり、だからこそ、苦手だなと思っている人同士を近づけることが出来たりする。

 「天然」というと、バカにするような意味もあると思いますが、その「まっすぐさ」が本当に周りのクラスメートたち、そして美津未自身をハッピーにしていて、それを読む僕もハッピーな気持ちになれました。

橋本治『橋本治のかけこみ人生相談』

 何で目にしたのか気になったのか自分でまるで思い出せなくて、調べたら出てきました。
 歌人東直子さんによる新聞の紹介欄でした。
 文庫なのでいつか読もうと思いチェックしていたのでした。

 

book.asahi.com

 


橋本治のかけこみ人生相談 (幻冬舎文庫)

 

橋本治のかけこみ人生相談|橋本治 - 幻冬舎plus

内容幻冬舎plusより)
「自分はあんまり幸福じゃない病」にかかったら、たまにはバカになるのも手……愛と感動の人生指南。幻冬舎plus人気連載「かけこみ人生相談」が文庫化。

勝手に五段階評価
★★★★☆

感想
 普段は人生相談的なものはあまり読まないのですが、チェックしていたことから既に人生に悩んでいたのだと思います。
 で、実際に手に取ったのは、かなりメンタルをやられていたからです(ちょっと脱してきましたが)。
 元々橋本治さんのエッセイは好きと言ってしまって良いレベルなのかはわかりませんが、初めて本を読みましたが、新聞や雑誌にコラムが載っていると必ず読んでいました。

 この本は、幻冬舎plusでの連載、というかタイトルそのままの人生相談とそれへの橋本さんの返答が集められています。
 自分には特に二つの文章が心に残りました。

 あなたがなくしてしまった、あるいは新しく増やすことが出来なかった最大の感情は、「なにかを好きになる、好きになれる」というものです。物であっても、人であっても、行為であっても、「自分はこれが好きだ」と思えれば、幸福感が生まれます。人間にはそれが必要なのです。
 子供の時のあなたは、豊かな感情とかなり高い能力をお持ちだったはずです。だから、「なんでも一人で出来る」と思って、それをこなしてしまった。その結果、「なにかを好きになる、好きになれる」という能力が、退化したか、成長しなかったのです。
 幸福感がないから、一人で考えるとつらくなる。だから、それを忘れさせてくれる酒の方についつい手を伸ばしてしまう。今のあなたに必要なのは、アルコールがもたらしてくれるフェイクな幸福感ではなくて、「なにかを好きになる」という感情を取り戻すことですね。
 まず、「自分はなにが好きなんだろう? なにだったら好きになれるんだろう?」ということをお考えになるよう、おすすめします。もちろん、それが簡単に見つかるとも思いません。「好きになる」ということは、「その対象から助けてもらう」ということで、自分以外のものに頭を下げることも必要です。もしかしたら、あなたの中ではそういうことも忘れられているかもしれません。「自分はなにが好きか?」の答はそう簡単に出て来るものじゃありません。

 
 僕は、うつの所為なのかも思い出せないくらい、「好き」とか「楽しい」とか、そういう感情というか気持ちがいまいちわからなくなっています。
 とにかく今いる職場は「楽しくない」し、「特に好きでもない」ということはわかるものの、「じゃあ、何が好きなの?」とか「何をしている時が楽しいの?」と言われると困ってしまいます。
 映画を観て、本を読んで、漫画読むのは好きだからしている気もしますし、こうしてブログを書いているのも誰かの反応はもちろん嬉しいのですが、「書くこと」自体が好きなような気もします。
 けれど、それらをしている時に幸福感があるかというと、いまいちわからないというか、自信がないというか。

 それに対して、次の文章がすごく心に残りました。

「幸せそうな人聞はみんなバカだ」なんてことを言ってしまうと、とんでもない悪口のように聞こえるかもしれませんが、「バカ」になっていられる時、人は幸福感を味わっているものなのです。「バカになっていられる」ということは、「余分な心配をなにもしなくてすんでいる」という状態にあることなのです。「ああ、なんにも考えなくていいんだ!」と思ったら、幸福でしょ?もしかしたらあなたは、そんな風に考えたことがないので「そんなバカな」とお思いかもしれませんが、実は「バカ」になれた時、人は幸福なのです。誰彼かまわず抱きついてゲラゲラ笑っている酔っ払いのことを考えて下さい。周りの人間は別として、それをやっている酔っ払いは幸福で、人は「幸福でいられるバカ」になりたくて、酒も飲むのです。だから、あなたが《幸せそうな人》と思う人達は、みんな「バカ」なのです。

 
 「ゲラゲラ笑っている酔っ払い」という表現や、実際に「人は『幸福でいられるバカ』になりたくて、酒も飲む」という指摘が本当に的を射ていると感じました。
 その「ゲラゲラ笑っている酔っ払い」のような状態を一つ一つ集めていって、その点と点がつながっていけば、幸福感を感じることが出来るのかも知れないな、と思いました。
 まだ、「ゲラゲラ笑っている酔っ払い」のような状態になることは中々ないのですが、それでも「あぁ、楽しいな」と思える時が少しずつ出来て来たので、その一つ一つの気持ちを大切にしていけば良いのかな、と思っています。

北海道

 有給も発生していなかったので、職場の殆どの人がお盆休みを取る中、出勤していたので今年は夏休みと呼べるようなものはありませんでした。
 が、リフレッシュ休暇を1日利用し、夏の終わりに2泊3日で北海道へ行ってきました。
 南にはあまり縁がないのですが、北海道は今回で5回目です。

 

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 今回、北海道に行った目的は、友人たちに会うためです。
 大学の時のボランティア仲間が出身地である北海道に暮らしていて、北海道出身者と結婚したもう1人のメンバーも夏の間北海道に滞在しているので、そこに(ある意味自由になって)フラッと行けるようになった僕が加わる形で3人+その子どもたちとで3日間を過ごしました。

 観光的なものとしては、僕はその存在も知らなかったのですが、ノーザンホースパークサッポロビール 北海道工場(行ったのが月曜日だったので、工場見学はできませんでしたが)、そして、モール温泉に行きました。
 他には地元民おすすめの回転寿司ちょいす、そして、サッポロビール北海道工場内の銀座ライオンジンギスカンを食べました。 

 友人たち2人とも子連れ(一人幼児)だったので、子どもたちのペースに合わせつつも、子どもたちが寝た後に、日が超すまで3人でいろんな話ができて、リフレッシュできました。
 二日連続で夜中ずっとしゃべっていたので寝不足で、帰ってきてからの週は寝不足が体に残っていたものの、友人2人とゆっくりたくさんいろんなことを話せたことはもちろんのこと、2人の子どもたちが本当に良い子たちで、北海道から帰ってきて仕事しながら、その子たちロスに陥っていました。

 天気も初日だけちょっと雨に降られたものの、2日目、3日目は道民にとっては「かなり暑い」日だったようですが、連日30℃超えの生活をしていた僕にはそこまで気温差でダメージを受けずに、何よりも晴れていたのが良かったです。

 爽やかな気候のもと、15年以上続く友人たちと沢山おしゃべりして(でもまだ話しきれないこともあったけれど)、美味しいものを沢山食べて、今思い起こすと「あぁ、幸せだな」と感じる夏休みでした。

寮美千子『あふれでたのはやさしさだった』

 新聞の書評で紹介されていて、興味を持ち読んでみた本です。
 

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あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室

 

西日本出版社 あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室

 

内容紹介西日本出版社より)
奈良少年刑務所で行われていた、作家・寮美千子の「物語の教室」。
絵本を読み、演じる。 詩を作り、声を掛け合う。
それだけのことで、凶悪な犯罪を犯し、世間とコミュニケーションを取れなかった少年たちが、身を守るためにつけていた「心の鎧」を脱ぎ始める。
一人の少年が書いたまっすぐな詩、「空が青いから白をえらんだのです」が生まれた場所で起こった数々の奇跡を描いた、渾身のノンフィクション。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 泣きました。

 奈良少年刑務所というのは、今は旧奈良監獄として観光スポット&ホテル(旧奈良監獄 THE FORMER NARA PRISON)にもなっている歴史的建造物なのですが、廃庁する2017年まで実際に「刑務所」とされていた場所です。

 少年刑務所という名前からどういう所なのか、どういう人がそこにいるのかわからなかったのですが、「少年」というのは26歳未満、つまり25歳までの男性がいること、そして「刑務所」なので「少年院」とは違い、「3年以上の有期の懲役または禁錮」刑を処されている人たちがいる場所とのことです。

 「3年以上の有期の懲役または禁錮」というのはかなり重い刑罰で、例えば傷害罪、業務上過失致傷罪、恐喝罪などがあてはまります(刑罰の内容/刑事告訴・告発支援センター)。
 中には殺人なども含まれていることが、本の中には触れられています。

 その少年刑務所において、さらにコミュニケーションが難しい少年たちが集められた「社会性涵養プログラム」の一つとして月に1度、1期半年間(つまり1期6回)にわたって寮美千子さんがお連れ合いの松永洋介さんと行った「物語の教室」での出来事と、彼らが作った「詩」が書かれています。
 奈良少年刑務所での寮美千子さんが担当した「社会性涵養プログラム」は2007年から2016年まで行われたそうです。

 冒頭に書かれていて、そして、この本に書かれている内容を端的に表していて、さらにそれが伝わってきた文章を引用してみます。

 わたしは確信した。「生まれつきの犯罪者」などいないのだと。人間は本来、やさしくていい生き物だ。それが成長の過程でさまざまな傷を受け、その傷をうまく癒やせず、傷跡が引きつったり歪んだりして、結果的に犯罪へと追い込まれてしまう。そんな子でも、癒やされ、変われることがあるのだと、心から信じられるようになった。
 教室を通してもう一つわかったことは、彼らがみな、加害者である前に被害者であったということだ。困難な背景もないままに、持って生まれた性質だけで犯罪に至った子など、一人もいなかった。


 「犯罪」あるいは、「虐待」の報道を目にすると、「加害者」を強烈に非難する傾向がもの凄く強いと僕は日頃感じています。
 もちろん、犯した罪は許されないですし、被害者の命や負った傷を思うとき、加害者に「罪がない」とは思いません。

 けれども、加害者のことを考えると、「何故彼・彼女らはその罪を犯してしまったのだろうか?」と思うのです。
 実際に身近にそういう人がいないので、今までモヤモヤしたままだったのですが、この本を読んで分かったのは、「彼らがみな、加害者である前に被害者であったということ」です。
 加害者になる前に、被害者でなかったら、そもそも加害者になることはなかったのではないか。

 そして、被害者だったとき、その「加害者」を支える人やシステム、仕組みがあったなら、彼・彼女らも「加害者」になることも、被害者になることもなかったのではないか。
 その思いを確信させてくれる内容になっていたと同時に、刑務官に対して勝手に抱いていた「厳しいだけの人間」というイメージも払拭されました。
 刑務官たちも受刑者たちが置かれてきた状況を理解し、だからこそ、そこからどうにか罪を償うと同時に、彼らが生きやすくなることを願って、行動していることがわかりました。

 「あいつはこんな悪いことをした!」と単に責めるだけではなく、何故彼・彼女らはその犯罪を犯さなければならなかったのか。
 そこを考え、そしてその仕組みを作り、日本国憲法第3条にある基本的人権が誰しも漏れることなく守られ、そして仕組みだけでなく、人として尊重される人間関係が築かれる社会を作っていくこと、その大切さを改めて痛感させられました。

 では、僕はそのために何が出来るのか。
 気付きだけでなく、何が出来るのか、考えるだけでなく、何か行動をしていかなければ、と思います。

僕はペット?

 職場での出来事です。
 上司と反りが合わないことを度々書いてきましたが、離職することを自分の中で決めてからは、かなり気持ちが落ち着いてきました。
 最近ではその上司とのやり取りが僕の中で「ネタ」になって、心の中で笑えるようになってきました。
 ということで、先日の出来事を紹介します。

 僕の職場は7人のチームになっていて、5人は対面する形で席が並んでいるのですが、僕ともう1人は背中合わせであると同時に、ちょっと離れた場所に2人で並んで座っています。
 なので、その上司が僕を呼ぶ際には、振り返って呼びかけなければならず、僕が上司に話す時には、椅子から立ち、歩いてその上司のところまで行って話しかけます。

 が、先日、「○○さん」(僕の名字)と声が聞こえてきました。
 僕はたまたまその上司の席の方に若干身体を向けて作業をしていたこともあり、上司が僕を呼んでいることはわかったのですが、その上司、どうしていたのかというと、パソコンのモニターに向かって僕の名前を呼んでいました。
 ちなみに、その上司の対面に座っている人の名前は僕とは全く違うOさんです。
 僕は名前を呼ばれたことはわかったものの、僕Oさんのところに座ってないし、ましてやパソコンのモニターじゃないしと(席も離れているので)あえて1度聞こえないふり(というか無視)しました。
 で、今度は、僕の方を向いて「○○さん」と言ってきたので、「はい」と言って、席を立ち、その上司のところに行ったのですが、この上司、何様のつもりなんだろうかと。
 自分が王様とか、僕がペットだとでも思ってるんでしょうか。
 

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 ちなみにその日、その上司は午後から研修があったので、朝から余裕がないのはわかっていたのですが、余裕がないときほど、人間の本性って出てくるよな、と。
 さらに言えば、その上司、完全に「下」に見ているのか、7月から入ってきた7歳くらい下の女性には自分から席に来て「△△さん~」とか、たまに「△△さま~」とか(マジキモい)猫なで声を出して接しています。

 「あれっ?僕との態度が違いすぎじゃない?」と本当に面白すぎます。
 人と話すときは相手の目を見ましょうとか以前に、誰かと話したいときは、その人のところに行きましょうとか、教わらなかったのでしょうか。

 まぁ、僕も学校で働いていた時、自分から話したい生徒の所に行くことが出来ない時、教室で生徒の名前を呼んで自分の方に来てもらったことはありますが、本人とは全く違う方向に向かって呼びつけるようなことはしたことがありません。

 いやー、働いていると、というか、生きていると新しい経験が出来て面白いです。
 完全に離職を決意してから、僕の中で、ネタ化しているので、今度また何かあったらこうして書きたいと思います。

棚園正一『学校へ行けない僕と9人の先生』

 僕が接している媒体だけかも知れませんが、ここ数年、夏休み明け近くになると「学校に行かなくても大丈夫だよ」というメッセージが広く発信されるようになってきました。
 今回は、そんな中で触れられていた漫画家の棚園正一さんの文章を読み、以前から作品を知っていたので、手に取って読んでみました。

 

digital.asahi.com

 


学校へ行けない僕と9人の先生 (アクションコミックス)

 

学校へ行けない僕と9人の先生 | WEBコミックアクション

 
あらすじWebコミックアクションより)
小学校〜中学校時代、不登校だった著者の実体験を基にした物語。学校へ行けない日々、「9人の先生」との出会いと別れを通じて、喜び、傷つきながら成長していく少年の姿を描きます。連載開始にあたり、少年が出会った9人目の先生、鳥山明先生よりコメントを頂きました。
「長い付き合いになるが、彼の過去を尋ねたことはなかった。不登校児だとは知っていたが、今回その頃を描いた漫画を読ませてもらい、ちょっと驚いてしまった。思った以上に漫画を描く事が彼を救っていたようだ」

勝手に五段階評価
★★★★☆

感想
 
著者の棚園正一さんが学校に行けたり行けなかったりして過ごしていた日々を描いた作品です。
 最後には『ドラゴンボール』の作者である鳥山明さんが出てくるということで、とても注目された作品です。

 本ではありませんが、同じような話としては、中川翔子さんがジャッキー・チェンに会う話に近いものを感じました(人生は『壮大なオールOK』にできるチャンスがある。 中川翔子さんが不登校経験者に語ったこと | ハフポスト)。

 作品の最後に鳥山さんが書いているように、普段ならファンに会うことはないのですが、棚園さんのお母さんと鳥山さんが同級生だったこと、そして、熱心に棚園さんと会ってくれないかとお願いに行った先生の働きかけで会うことが実現し、そこから「大丈夫」という自信を持った経験が描かれています。

 この、鳥山明さんに会う、とか中川翔子さんで言えばジャッキー・チェンに会うとか、「そんなのあり得るわけないじゃん」と一蹴してしまうことは簡単です。
 「たまたまこの人は運が良かっただけ」「この人は良かったけど、自分にそんなことが起きる訳がない」と僕も思います。

 けれど、「鳥山明」とか「ジャッキー・チェン」とかそんなすごく誰でも知っているような超有名人との出会いではなくても、「鳥山明」に会わせてくれないかと何度もお願いに行った先生のような存在が僕にはすごく印象に残りました。

 そして、これはこの作品ではなく、中川翔子さんの言葉ですが、一つだけオールOKの時が来る条件としてあげているが「死なないこと」です。
 僕も何度かしんどい思いや経験をしてきて、今が「オールOK」と言える情況とも言えませんし、生きていて「良かった」とも中々思うことは出来ません。

 けれど、「死なないこと」というのはそんな情況の中での一つだけの希望でもあります。
 死ななければいつか「オールOK」と思えたり、「幸せ」を感じることが出来るかも知れない。
 棚園さんのように鳥山明さんに会ったり、中川翔子さんのようにジャッキー・チェンに会うような出来事は起きないとしても、「生きてて良かった」と思える時が来て欲しいなと。
 それに必要なのは「死なないこと」。

 死ぬことばかり考える日もありますが、何とか今日も死なないで過ごしていきたいなと思います。