映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

パステル画はじめました

 タイトル通り、パステル画を描き始めました。
 何故描き始めようかと思ったのかというと、坂口恭平さんがパステル画を描いている動画をYouTubeでアップしていて、それを観て、(ものすごく失礼なことなのかも知れませんが)僕にももしかしたら描けるかもしれないと思ったからです。
 

 
 僕は絵を描くことにものすごく苦手意識がありました。
 文章を書くことは小さな時からしてきましたが、絵を描くのはものすごく苦手で、それは、何故かというと、描きたいというものがなかったからだと思います。
 けれど、坂口さんが描いている様子を観てみると、自分で撮った写真を見ながら描いていました。
 また、道具も使わず、パステルと手、指だけで描いている。
 これなら、とりあえず紙とパステルさえあって、写真を見ながらなら描けるかも、と思い、とりあえずB6のスケッチペーパーとダイソーで売っていたパステルを買い、描き始めました。
 そうすると、とても気持ちが良く、これなら続けられるかもと思い、ダイソーのでは色が足りなかったので、ファーバーカステルパステル(2000円くらい)を買い、描くようになりました。

 それを恐る恐るInstagramに載せたり、友人が送ってくれた写真で描いてLINEで送ったら、思いのほか、褒めてもらったり喜んでもらえました。

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北海道にいる友人が送ってくれた浜辺の写真を描いたもの(5枚目)

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他の友人がInstagramにあげていた写真を描いたもの(6枚目)

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Twitterで目に入ってきた写真を描いたもの(8枚目)

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今朝描いたもの(12枚目)

 
 この数十年というもの、僕は絵を描くことにものすごく苦手意識があったので、みんなが筋が良いとか、言ってくれることに嬉しく感じていますし、同時に、その数十年身に染みこんだ苦手意識と僕の絵を見てくれた人たちの反応のギャップをうまく受け止め切れていません。

 が、まぁ、僕もとても気持ちが良いですし、喜んでもくれて、すごく嬉しいので、これからも描き続けてみようと思っています。
 基本的にはInstagramnoteに載せています。
 反応があると、やっぱり嬉しいです。
 気に入ってもらえる絵が一つでもあったら更に嬉しいです。
 いつもありがとうございます。

銭湯

 新聞を読んでいたら、以前家族と暮らしていた時に通っていた銭湯が紹介されていました。
 新聞記事にあるように改装したことで「おしゃれ」ということで人気のお店になったのですが、逆に僕にとっては、それが理由でこの銭湯には通わなくなりました。

 

digital.asahi.com


 まぁ、それは良いとして、銭湯に行きたいなぁ、と思ったので、行ってきました。
 最近、やたらと散歩ばかりしているからか、近所に何件も銭湯があることを知って、今回は一番近所の銭湯に行ってきました。

 

 
 
 
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三日月とオリオン座がそこにはありて独り歩き見上げればふと #短歌 #57577 #言葉 #写真

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 行ったのは夕方だったのですが、良かったです。
 何が良かったのかというと、まず、お客さんが僕を含めて4人しかいなかったことです。
 経営側としてはまずいのかもしれませんが、僕としては、周りの人のことをほぼ気にせずいられる空間であったのがすごく良かったです。
 他に良かったのは、シンプルに「銭湯」だったことです。

 上の新聞記事に載っている銭湯に通わなくなったのは、客が多すぎるということと、銭湯の(暗黙の)ルールを知らない客が大量にいたからです。
 銭湯は時間帯によって、ヌシ(主)はいるものの、場所取りというようなものはありません。
 が、銭湯をあたかも、自分の風呂場だと勘違いして、自分の場所だと主張する「客」がいて、そちらを「銭湯」側も優先するようになったので、僕は行かなくなりました。

 しかし、今回行った銭湯は、銭湯のルール、秩序が守られた銭湯でした。
 初めて行ったのでもしかしたらヌシはいるのかもしれませんが、自分の風呂場と勘違いするような人もおらず、僕を含めて各々のスタイルで身体を洗い、風呂に入る。
 入った湯船のお湯は僕にとってはとても熱い温度でしたが、それでも、ゆっくり入ることが出来ました。

 今住んでいる家には湯船もあるのですが、もったいないのと面倒なので(こっちが主な理由)シャワーだけで普段は過ごしています。
 なので、熱い(熱くなくても良いけど)湯船に肩まで浸かる、という、それだけでなんだかとても幸福な気持ちになりました。

 番台にいるおじさんが、民放のワイドショーを観ながら、コロナ禍で経営の苦しいお店の状況を伝えるそのニュースになんやかんや言葉を漏らしている様子を見て、あぁ、すごく平和だな、と思ったのでした。

一言付け加えてもらえませんか

 坂口恭平さんが、『躁鬱大学』で、躁鬱人はとにかく「書きましょう」と書いているので、書きます。 

 

note.com

 

 僕は今、イライラしています。
 めちゃくちゃイライラしています。
 どうしたらいいのか分からず、とりあえずTwitterに書き、そして、同僚に「愚痴です」と愚痴りたいだけなので、「チャット飛ばせただけで十分です」、と送り、それでも収まらないイライラをこうしてブログに書いています。

 イライラしているのは、仕事でのストレスです。
 無碍に扱われたというか、「一言あっても良いんじゃない?」、「そもそもそれ、僕の仕事じゃないし」と思ったからです。

 首都圏でも緊急事態宣言が解除され、今日の出勤時には電車の乗客(行き)が体感で1.3倍くらいに増えました。
 けれど、僕の職場は相変わらず殆どの人が在宅勤務をしています。

 その中、僕は2日在宅勤務日があり、時短にはなりましたが、出勤しています。
 で、今日、お昼過ぎにかかってきた電話に対して応え、これはあっちの職域のことだな、ということだったので、回したところ「そっちでやってください」と。
 いや、出来るけど、それあなたの仕事でしょう?と。

 今の職場で僕が「便利屋」にされていることは自覚しています。
 実際、広く浅く何でも出来るからです。
 でも、今回の話は僕の仕事領域ではなかったのです。

 その後、(出来るので)やりましたが、退勤するまでの1時間半くらいずっとモヤモヤしていました。
 というか、何をしていたのか殆ど記憶がありません。
 いや、それあなたたちの仕事でしょう?と。
 何で僕が無碍に扱われなきゃいけないの?というか、何で僕がそれしなきゃいけないの?と。

 こうして書いていると、「無碍に扱われたこと」に怒っているような気がします。
 「それ、自分が言われたらどう思う?」と。
 『躁鬱大学』を読んでも分かったことですが、独立することが自分の健康には必要なことだと思うので、早くこの仕事辞めたいなぁ、早く辞められるようにどういう仕事ならお金を稼げるか探っています。

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」

 観たいと思っていた映画がAmazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。 

 


こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

 

映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』公式サイト


作品データ映画.comより)
監督 前田哲
製作年 2018年
製作国 日本
上映時間 120分
配給 松竹
映倫区分 G

内容(公式サイトより)
鹿野靖明、34歳。札幌在住。幼少の頃から難病の筋ジストロフィーを患い、体で動かせるのは首と手だけ。人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出し、風変わりな自立生活を始める。自ら大勢のボランティアを集め、わがまま放題。ずうずうしくて、おしゃべりで、ほれっぽくて!自由すぎる性格に振り回されながら、でも、まっすぐに力強く生きる彼のことがみんな大好きだった―。この映画は、そんな鹿野靖明さんと、彼に出会って変わっていく人々の人生を、笑いあり涙ありで描く最高の感動実話!

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 以前、原作(というか原案?)となる『こんな夜更けにバナナかよ』を書いた渡辺一史さんの『人と人はなぜ支え合うのか』でも触れましたが、僕は大学・大学院で「障害」「障害者」をテーマにしていました。
 もっと具体的に言えば、キリスト教(主義)に基づいた(主に)知的・精神「障害者」のコミュニティについてがテーマでした。

 そのため、原著となる『こんな夜更けにバナナかよ』は学部生の時に読んでいて、すごく衝撃と影響を受けつつ、論文でも引用させてもらいました。

 この映画は、その『こんな夜更けにバナナかよ』と同じタイトルになっていますが、描かれている内容は全く違うものです。
 『こんな夜更けにバナナかよ』は小説ではないからです。
 これは決して誰かを批判している訳でも責めているわけでもないので、もし、この映画の原作を知りたい、読みたいという方がいたら『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を読んでいただければと思います。

 では、この映画では何が描かれているのかというと、鹿野靖明という1人の筋ジストロフィーを患う人を中心にした物語です。
 何度も笑い、何度も涙が出てきました。
 僕が読んだ『こんな夜更けにバナナかよ』とは違うものだとしても(そもそもが物語ではないので)、1人の人間が生きるとは、生ききるとはこれほどまでに力強いものなのかということを感じました。

 映画の作品としての良さは観てもらって確認してもらうとして、最後まで観たときに少なからず衝撃を受けたのは、鹿野さんが42歳で亡くなっているという事実です。
 僕が初めて本を読んだ時、多分20歳前後だったと思いますが、その時には既に鹿野さんは亡くなっていました。
 そして、今、映画を観た時、エンドロールに流れたのは「鹿野は2002年に42歳で亡くなった」ということ。
 初めて『こんな夜更けにバナナかよ』を読んだ時には遙か遠くにいるような鹿野さんの年齢に、今はすごく近いところにいる。

 そのことに、言葉にも出来ず、不思議な感覚でいます。
 憧れの人が亡くなった年齢と近くなった?
 いや、それは違う。

 なんだろう、この気持ち。
 よく分かりませんが、鹿野さんが亡くなった年齢に着実に近づいている自分にとって、なんというか、やっぱり、いつ死んでもおかしくないんだな、と再確認したというか、そんな気がしています。

グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』

 (コロナ禍で)時間が出来たので、読もうと思っていて積ん読していた本を読むことが出来ました。
 最初に目にしたのは、新宿の紀伊國屋書店だったかだと思うのですが、表紙とタイトルに目が奪われ、その時はまだ出版されてすぐだったということもあり、レビューがなかったのですが、それでもパラパラめくってみたら、これは読むべき本だと思い、手に取りました。 

 


男らしさの終焉


男らしさの終焉 | 動く出版社 フィルムアート社


内容(フィルムアート社より)
「男」に悩むすべての人へ
男性が変われば世界全体をより良い場所にできるはず
ターナー賞アーティストであり異性装者(トランスヴェスタイト)としても知られるグレイソン・ペリーが、新しい時代のジェンダーとしなやかな男性のあり方を模索する─

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 版元のフィルムアート社の紹介文にあるように、この本は「『男』に悩むすべての人へ」向けられた本です。
 つまり、「男」に悩む人、ということは、性別や年齢、国籍、出身地に関わることなく、誰もが含まれます。
 僕自身は、僕自身が男であることに悩む者でもありますし、悩むことなく、むしろ時にはそれを利用し、けれどもやっぱりうんざりする時もあって、総じて、「男」にめんどくささを感じている者です。

 で、何故僕が総じて「男」にめんどくささを感じているのかというと、この本でいうところの、「デフォルトマン」(基準となる男)によって、社会システムやジェンダーロールが構成されているからです。
 この本の著者グレイソン・ペリーはイングランドを元に書いているので、割と露骨な階級社会も書いていますが、日本でも「学歴」だったり、「容姿」だったり、あるいは「男らしさ」(あるいは「女々しい」)という言葉に現れるような情緒面で「男」を「デフォルト」(基準)とされる社会設計がされています。

 僕自身は日本での「デフォルトマン」と見えるような学歴ですし、今の社会的立場も割とそれに近い部分があるかと思います。
 けれど、僕自身はその「男」ということにめんどくささの方を強く感じてきました。

多くの男性にとって、男性的に振る舞うことは、ペニスや睾丸や低い声と同じく確かに生物的なものである。しかし男性性は主に、男性の歴史がつくり出した習慣、伝統、信念の組み合わせである。


 この指摘は「多くの男性」だけでなく、「女性」にも当てはまるのではないか、と僕は日々感じています。
 今、僕は割と女性の多い職場で働いているのですが、あるとき、職場に来客があったので、飲み物を出すことになったのですが、その時、同僚の女性が「まぁ、男性にそこまで求めないかも知れないけれど」と言いました。
 そして、他の場面だったかで、職場に来客があったとき、飲み物を運んだら「うちは男性でもお茶を出すんですよ」と組織のトップ(男)が言ったのでした。
 2人の発言ともに、今でも意味が分からないというか、戸惑いしか感じませんし、モヤモヤを感じています。

 「男だから求められない」飲み物の出し方?、「男性でもお茶を出す」?、ってことは、標準がお茶を出す=女性の役割ということ?
 っていうか、僕を何故「男」だと勝手に判断してるの?
 見た目?
 ペニスがついてるから?(見られたことないけど)

 ホント意味分からなくて悩んでます。
 育った家の両親は割とリベラルだとは思いますが、それでも父親はほぼ家事はしないので(母は料理「は」好きだと言っていたけれど)、定年退職し、家にいる父親が口だけ出している姿を見て「言うならお前がやれよ」と毎回うんざりしています。
 実際、母親からよく愚痴を聞きます。
 が、それらの何もかもめんどうなので、このコロナ禍でより距離を置けて少し楽になっているのですが、職場では相変わらず、僕は「男」として見られている。

 まぁ、それはある意味仕方がないことですし、僕もアタイアとしてわざとネクタイをして出勤しているので、それを利用している面もあるのですが、それでもやはり勝手に「男とは~」みたいな「デフォルト」にさらされると、うんざりしてしまいます。
 飲み物は誰が出したって良いし、細部まで気づけるのは、その人の性格だったり、たまたまのタイミングだったりする。

 女性の方が圧倒的に「男」にうんざりさせられることが多いと思いますが、男性である著者が同じようなことを思っているということは、少なくとも、僕は今まで身近な「男」にはいなかったので、とても勇気づけられるような気がしました。

ピルカッター

 昨年末に転居したので2月から新しい病院に通うようになり、 薬が追加されました。
 今まで飲んでいたのは2種類です。

抗うつ薬SNRI:カプセル)
睡眠薬(割と強く、(主に性)犯罪に用いられたりもするものを規定量の2倍:錠剤)


 睡眠薬を規定量の2倍飲んでいるので、転院してまず最初に血液検査をしました。
 その結果、全く問題がないということで、うつは割と軽いものの、睡眠を取れるようにしましょうということで、抗うつ効果もある睡眠薬が追加されました。
 つまり、今は3種類服薬していることになります。
 

抗うつ薬SNRI:カプセル)
睡眠薬(割と強いものを規定量の2倍:錠剤)
抗うつ薬でもある睡眠薬(追加されたもの:錠剤)

 
 「副作用で眠気が強く出るので強かったらやめて良いですからね」と言われ、まず1錠処方されました。
 そして、最初飲んだ日、今までよりも眠れるようになりました。
 翌日(つまり初日)、かなり眠気を感じたものの、1日中眠気が続くようなこともなく、しかも、その後は眠気をあまり感じず、今までよりも眠れるようになりました。

 でも、本音を言えば、「もう少し眠れたら良いなぁ」、と思っていて、この間の受診時に医師にそのことを伝えたら、「じゃあ、4錠まで処方できるので、もう1錠追加しましょう。」とのことになりました。
 今回も前回同様「眠気が強すぎたらやめて良いですからね」とのことでした。

 で、2錠飲むようになり、前回よりも更に眠れるようになりました。
 が、今回は前回よりも副作用の「眠気」が強く出るようになってしまいました。
 仕事に支障が出るほどでもないのですが、かといって、なんだか眠い。
 更に眠れるようになるというメリットがあるものの、「眠気」というデメリット。

 1.5錠に出来たらなぁ、と思いつつ、1錠にしてみたり、やっぱり2錠にしてみたりしていたのですが、「1.5錠にしちゃえば良いんじゃ?」と。
 なんとなく、勝手に薬の処方量を変えたり、薬を割ったりすることを「してはいけないこと」と捉えていたのですが、半分にしてみようと。
 で、なんかうまく割れる(切れる)方法がないか、と思って調べたら、普通に売ってました。

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 なんだ、需要もあって、普通に売っているんですね。
 もしかしたら、薬局とかで売っているのかも知れないのですが、なんとなく面倒だったので、僕はAmazonでポチりました

 で、半分に割り、1.5錠にしてみた結果ですが、なんか良いかも、って感じです。
 僕の不眠の症状は、中途覚醒で、3時間くらいで目が覚め、その後眠れない、というものだったのですが、追加された薬のおかげで大体5時間くらいで目が覚めるようになりました。
 そして、その後も(調子が良ければ)眠れるようになり、服作用の「眠気」もそこまで感じずにいられています。

 「眠気」を感じずにいられれば、眠気を覚ますために職場に着いてからまず飲んでいたコーヒー(カフェインを取るため)も飲まなくて済みますし、このまま順調にいけば良いなぁ、と思っています。
 またカフェインなし生活が送れたらいいなぁ、と思っています。

坂口恭平さんの「躁鬱大学」

 五月に入ってから、毎日楽しみにしている連載があります。
 それが、坂口恭平さんの「躁鬱大学」です。 

 

note.com

 
 連載と言っても、坂口さんが無料でアップされているので、本当にその日の朝に書いたものが載っているようです。

 始まったのがゴールデンウィーク近辺だったこともあり、「また坂口さんが面白そうなことしてるな」と思って、つい読み始めたのですが、これが本当に面白いです。
 最初はそもそも「カンダバシ」って誰?、「神田橋語録」って何?と思ったのですが、文章だけでなく、「講義」にも発展し、文章だけでなく、音声版も聴いています。

 神田橋語録はネットで探したら出てきたので(神田橋語録:波多腰心療クリニック(PDF))、プリントアウトしました。
 坂口さんがテキストにしている神田橋語録も読んでいてすごく楽になるのですが、坂口さんの「講義」も本当に良いです。

 僕はうつ病で、医師の診断からすれば「躁鬱病」(双極性障害)ではないのですが、当てはまることが多すぎて、途中から自分は「躁鬱人」であると認めざるを得なくなりました。
 そろそろ、この坂口さんの連載も終わりになると思いますが、僕はまた生きるのが楽になりました。
 それは、具体的な対処法が載っていたこととともに、同じ感覚を持って生きている人がいる、ということを知ることが出来たからです。

 ですが、一番難しいのが、処世術です。
 躁鬱人ではない人とお金を稼ぐための生活を普段送っている僕はどうしたら良いのか、昨日書かれた「 その15」でもある程度の処方を書いてもらえましたが、まだほんのちょっと「それでもなぁ」と思ってしまう自分がいるので、終わりまで楽しみにしたいと思います。