映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ

 最近ずっと、というのは正確ではなくて、そこにあるというのがタイトルに書いた茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です。

 


自分の感受性くらい


 今まではずっと、言葉・文章にすることによって自分を保つ生活をしていましたが、それが良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、言葉にせず、文章を書くこともなく過ごしています。

 それは、精神的にストレスのあまりかからない生活が出来ているとも言えるかも知れないのですが、感受性がなくなってしまったのかも、とも思います。
 それというのも、ただ漫然と日々を過ごしていて、40年近く生きて来て、初めて、あっという間に数ヶ月が過ぎてしまったと思ったからです。

 その間には、長男が実は中学校に行っていなかった(行っていない?)ということが分かったり、僕の中では数少ない友だちが仕事の関係で関西に引っ越してしまうことなどがあるのですが、それを飲み込むこともせず、ただ流されるように過ごしている実感があります。
 ちょっと眠れないというか、僕の場合は早朝に目が覚めてその後眠れないという状態なのですが、それが数日あったものの、ダメージを受けていないことを自覚出来るほどでした。

 長男は「決まるまで」ということで、どの学校を受験するのかずっと教えてくれませんでした。
 特に深い意味はないのですが、祖父が小卒(今の小学4年生まで)なので、「高校行くの?」と聞いたら「行くよ」と言っていたので、そのまま過ごしていました。
 そして、3月1日に長男から電話があり、進学する高校が決まったと報告がありました。
 具体名を聞いても全然知らなかったその高校は、来年度(2022年度)新設の高校で、チャレンジ校(チャレンジスクール)と呼ばれる学校でした。
 去年まで学校で働いていたにもかかわらずチャレンジスクールというものを知らなかったこともありますが、長男が不登校ということに気づけなかった自分というものにショックを受けました。

 僕は子どもたちが学校に通うようになったとき必ず「行きたくなかったら行かなくて良い」と言っていましたし、今も特にそれは変わりません。
 しかし、長男は僕に対してそれを隠していて、実際に口に出したときにはとても勇気のいるような感じでした。
 それを聞いて、「あぁ、僕はなんて鈍い人間なんだ」と思いました。
 思えば長男が学校に行っていないと推測する出来ることは色々あって、やたら肌の色が白い(コロナ禍で学校行ってないから、と思っていたら、外に出ていなかった)、運動会の日に学校に行ったら見つけられなかった(校内に入れるのが1生徒につき1人だったので、僕は外から見た)等々。

 長男からの「不登校」という言葉を聞かなくても分かるきっかけはあったな、と。
 かといって、それはもう「過ぎたこと」で、高校に行くという選択を長男はしたわけで、僕はただそれを見守ることしかできないので、実際に「うまくいくといいね」と合格祝いを渡した時の長男の顔色は悪く、本当に大丈夫なのだろうか?、と思わずにはいられませんでした。
 長男が在籍する中学校では今日卒業式が行われたようです。
 長男がそこに出たのか出なかったのかは分かりません。
 僕がそこに関われることはほとんどなく、ただ漫然と日々を過ごす。

 本当に「自分の感受性」がなくなってしまったことを痛感します。
 もっと色々考えていること、感じているとかはあったはずで、それは会社でメンタルをやられて休んでいる人に対する会社の人たちの反応だったり、最近親しくなった人たちとの関係だったりするのですが、それについて言葉・文章に出来ない、むしろせずにこうして時間が漫然と過ぎていくことに、自分の変化を感じています。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ