映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

口を出すなら、手を出して

連続でこういうことを書いて良いのか分かりませんが、まぁ、タイトル通り(9月から変更しています)「シュフの日常」ってことで、昨日に引き続きちょっとネガティブな話題です。

昨日は、こんなことがありました。

僕が仕事を掛け持ちになってから、実母の好意に甘えて、平日の真ん中にあたる水曜日に夕食を作りにきてくれています。

でも、先週は僕の仕事がイレギュラーだったり、母の都合もあり、夕食のヘルプはありませんでした。

シュフの人なら、分かってくれると思うのですが、夕食を何にするか、というのは結構悩ましいものです。

夕食を作るには、そもそも材料がないといけないし(買い物に行かないといけなかったり)、毎日作ってるから、何を作ろうかとアイデアが出てこない時もあるし、アイデアはあっても、家に残ってる材料で作らないといけないことも多いし、それに子どもがいると、栄養バランスに考慮しつつ、食べてくれるものにしなくちゃいけないし。

さらに、僕の場合は、仕事から帰ってきて、子どもたちを保育園にお迎えをして、夕食を冷蔵庫にあるものから考えて、作っているので、結構大変です。

せっかく、そうやって作っても、子どもたちは(体調不良もあり)あんまり食べてくれなかったりもするし。

で、昨日の朝、ふと「今日の夕食は、何か買ったり、外で食べよう」と言ったのです。

が、それを聞いて、ツレはすかさず、深いため息。

ものすごーく、文句があるという感じでした。

こういうツレの「深いため息」は昨日に限ったことではなくて、僕が「食事を買ってくるか、どこかに食べに行こう」というと必ずと言って良いほど、やられます。

そんなに文句があるなら、言いたいことがあるなら、自分でやれば良いと思うんですよね。

というか、実際、僕はツレにそう言っています。

「文句があるなら、毎日朝晩の食事を作ってくれ。買い物もしてくれ。」と。

まぁ、ツレの反論としては、自分は「作らないわけではない」と。

確かにツレは「たまに」作ります。

でも、毎回作る物と言ったら、カレーだったり、「栄養バランス」とかいう言葉の存在がないかのような料理ばかりなので、Tが産まれてもうそろそろ6年くらいになるのに、未だにそんな料理を作られても、僕としても「やれやれ」と思ってしまうのです。

こういうことを言うと、さらにツレは「(僕の)要求する水準が高すぎる!」とか言ってくるんですけどね。

そりゃあ、6年以上7年近くも毎日毎日食事を作っていた人と、38年近く殆ど食事を用意されるだけだった人の作る料理の水準が違うのは当たり前だと思っています。

もちろん、僕はツレを「教育」しなかった責任はあると思いますが、ツレ自身も自分が殆ど何もしなかった結果、僕との家事におけるレベルに格差が出来たという、今までの「自分の行い」にも目を向けて欲しいものです。

それなしにあたかも「僕が悪い」みたいに言われても…。

(すごーくアバウトですが)1年間で、(昼食は抜いて)朝晩の食事約700回(我が家は5人なので約3500食)用意している人と、50回(週一で考えたけど、実際はこれ以下ですね…)も用意しない人で差が出てしまうのは当たり前だと思うんですが。

家事・育児を全くしない配偶者を持っていた(いる)、母とかの世代は、実際、どうやって心の整理をしていたのでしょうか。

その時代は、「男性=サラリーマン、女性=専業主婦」モデルだったから、少しは不満がありつつも受容できたのかな。

(我が家は、一応「共働き」ですしね)

僕が「何か買ってくるか、外に食べに行く」と言うことについて、ツレ曰く「平日にダメと言ったことはない。土日に言うのがおかしい」ということです。

そもそもツレは「放射能」ということで、外食はダメ(でもジャンクフードはOK)、というスタンスで、僕の中で平日に外食している時間的余裕はないので、かみ合いません。

疲れが溜まっているからこそ土日に手を抜きたいのですが、それがツレには全く理解出来ないようです。