映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

AERA「男がつらい!」に白けた理由

一昨日のAERA「男がつらい!」(9月1日号)についての投稿が反響(?)を呼んだようで、いろんな人に読んでいただいたようです。

相変わらずTwitterは見ていないので、どんな反応だったのかいまいち分からないのですが、シュフである男性から「自分がAERAを読み切れなかった理由はこれかも」という声は届きました。

なぜ(このブログにしては)多くの人に読んでもらえたのか、それを分析するのではなく、何気なく書いた文章だったので、読み返した時にもっとちゃんと書いた方が良かったな、という点(AERAの記事に白けた理由)があったのでそれにについて書いてみたいと思います。

また、いつも僕は批判的なことばかり書いているような気がするので、「批判は良いけれど、対案は?」という自分自身の声にもなるべく応えたいと思います。

専業主夫・宮内崇敏(ムーチョ)さんのプロフィールについて】

AERAでは宮内さんのプロフィールが以下のようになっています。

帰国子女で慶応大学卒。大手企業に就職後、体調を崩し、外資系企業に勤める妻と相談して専業主夫に。子ども2人。家事・育児を4コマ漫画にして、ハンドルネーム「ムーチョ」でブログ執筆中」

僕が気になったのは、下線を引いた前半の部分です。

宮内さんをどんな立場の代表としてAERAは呼んだのでしょうか?

専業主夫】としてでしょうか、【人気漫画ブロガー】としてでしょうか、あるいは、【学歴・企業社会からドロップアウトした人物】としてでしょうか。

もちろん、一つではないかもしれませんし、複数の理由からかもしれません。

しかし、【専業主夫ブロガー】(この見出しで宮内さんが紹介されています)の紹介欄に、「帰国子女」「慶応大学卒」「大手企業に就職」とかは必要なのでしょうか?

むしろ、シュフとして気になるのは「子ども2人」の内訳です。

子どもは男なのか、女なのか、何歳なのか、これらは育児雑誌の紹介欄なら必ず書いてあることです。

もし僕が紹介文を書くとしたらこんな感じかなと思います(あくまでも一例ですが)。

「【専業主夫ブロガー】宮内崇敏さん

7才と5才の娘を持つ主夫歴6年の専業主夫。ムーチョ(@mucho)として家事・育児を漫画で執筆し、ブログ、Twitterで発信。幼児雑誌『たのしい幼稚園』でも漫画を連載中。」

育児雑誌の多くが「女性の世界」なので、女性向け育児雑誌と同じような紹介欄にすべきだ、という訳ではありません。

しかし、育児雑誌ならば当然書かれるような【シュフ】に関する基本的な情報が書かれておらず、その代わり、「帰国子女」「慶応大学卒」「大手企業に就職」とかが書かれていました。

このような「肩書き」が優先されることがまさに「男の社会」ではないか、と思ったのです。

(この対談をまとめたのがお名前を拝見する限り女性のようなので、特に残念に思いました。

これは企業につとめる女性が「男性のようになることを表面的には不満を言いつつも、実は目指している」ということなのでしょうか?)

【社会の中で僕が出来ること】

一昨日の投稿の最後に僕はこのように書きました。

「もちろん、世の中がまだまだだからこそ「まだこんなこと言ってんの?」ということを発信し続ける人も必要でしょうが、僕は別にそういう役割ではなく、日々淡々と目の前のシュフ業をこなして行けば良いかな、と思っている次第です。」

話が変わるようですが、以前どこかの育児雑誌でエッセイを読んで以来、読むようになった上原隆さんという方がいます。

著書を読んでいく内に、最近のものだけではなく、初期のものも読むようになりました。

そこで一つのエピソードに出会いました(『「普通の人」の哲学』)

「生活術」というタイトルのついたこの文章で、上原さんは自分が生活する上で実行していることを書いています。

それはたとえば、「誰でも「――さん」と呼ぶ」だとか「家事をする」だとかで、最初に載っているのが「会社でのお茶汲みを自分でする」というものです。

「自分の飲み物くらい自分で用意するのは当たり前だろ!」と思うかもしれませんが、この文章が書かれたのは1989年1月です。

今から25年も前で、男女雇用機会均等法が出来たばかりの時です。

多くの企業では女性は「結婚するまでの腰掛け」と考えられており、ちょっとした掃除やお茶汲みは当然のごとく「女性の仕事」と考えられていた時代です。

上原さんは「自分で自分のお茶(飲み物)を用意する」ということを誰かに強制した訳ではないにもかかわらず、他の男性たちから「反発」があったと書いています。

以下、引用ですが()内は僕の付け足しです。

「はじめの頃、他の男性達は私の行為に反感をもっていた。茶わんを洗う私の横に来て、「そんなことはRさん(上原さんが勤めていた会社の女性)にさせればいいんだよ」と言う人がいたし、私の前でわざと大きな声をだして、「Rさんコーヒー入れてよ」と頼む人もいた。

私は私のためにだけやっていて、人にまで押しつける気はないのだけれど、そのことが理解されるまで、つまり、私の趣味のようなものだと無視されるまで、彼らの反撥はつづいた。」

他の人に何かを強制することなく(「男性はもっとこうあるべきだ!」「男性はもっとこうするべきだ!」と主張することなく)、目の前の出来事を淡々と行っていくことで変わっていくことがあるのではないか。

25年前の「普通の人」(サラリーマン)だった上原さんの文章と、その生活の中でのささやかな行動から、自分も目の前にあるシュフ業(毎日家族が快適に過ごせるように、掃除をし、洗濯をし、食事を作る)をしていくことで、「男性がシュフ業をする」ということもいつの間にか「当たり前」のことになるのかもしれないな、と思ったのです。

もちろん、「お茶汲みは女性の仕事」という実態が変わったのは、多くの「声だかに主張する人たち」がいたことも大きいと思います。

なので、それを否定するつもりはありません。

けれど、僕はNPOの代表でも、東証一部上場企業の社長でも、政治家でも、研究者でも、学歴が高く大手企業に勤務経験のある人気ブロガーでもないので、「普通の人」として目の前のシュフ業をこなしていこうと思ったということです。

少しでも一昨日の投稿の補足になっていれば良いなと思います。