映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

先生には僕の姿が見えませんか?

小学校の保護者会

昨日は長男T(8歳)と次男S(6歳)が通う小学校の保護者会でした。

1~3年生と4~6年生の保護者会は日程が違いますが(今回は教員研修の関係で急遽2年生だけ違う日程に変更)、Tは3年生、Sは1年生なので、どちらも昨日保護者会でした。

開催時間は14時半。

会員になっているファザーリング・ジャパンでは今年小学生になった子どもを持つ方(理事)が、この保護者会の昼間開催に対して行った発言がちょっとした物議を醸していましたが、我が家の子どもたちが通う小学校もご多分に漏れず平日昼間開催です。

ツレは仕事があるので、僕が出席しました。

保護者会は2部に別れており、

・14時半~全体会

・15時~学年会(あるいはクラス会)

となっています。

Sの習い事の関係で、当初は遅れて15時から出席する予定でしたが、14時半から行けることになり、最初から出席しました。

事前にツレからは「全体会は行く必要がないよ」と言われていましたが、小学校の保護者会にはいつも遅れて出席していて、この全体会で何が話されるのか知らなかったので、一応行ってみたのでした。

さて、14時25分頃に学校につき、全体会の会場である体育館に入ると、まず人数の少なさに少し驚きました。

このあとの説明で2年生は別日程になったアナウンスがあり、1&3年生の保護者だけなので少なかったようです。

全体会の話は、学校長による「教育理念」の話でした。

内容のプリントが配られたのですが、プリントに書いてある以上のことは話に出てこなかったので、話を聞く必要はなかったです。

この点はツレが事前に教えてもらったことと相違ありませんが、今年度から校長が交代しているので(前任者は定年退職)、新しい校長の人柄を知るには良い機会でした。

話しぶりや校長が席に着いている時の他の教職員に対する態度、あるいは校長だけでなく、他の教職員の立ち居振る舞いなど。

観察好き(?)の僕としてはとても参考になりました。

さて、続いて15時からは1年生の保護者対象の学年会に行きました。

同時に3年生では各クラス毎に保護者会がありますが、3年目で顔もある程度分かるので、1年生の方を優先しました。

1年生の保護者会で父親は1人

2月末に行われた入学前説明会でも同じだったのですが、1年生の保護者で父親が出席していたのは僕だけでした(学年で児童は46名、内双子1組)。

隣の席には、保育園で一緒だった(そしてSの好きな)子のおばあさんがいましたが、父親は僕だけ、おばあさんもその方だけのようでした。

学年会の冒頭、1年生、しかも初めての保護者会ということもあり、校長の挨拶がありました(こちらはかなり短め)。

が、ここで気になったのが、校長が保護者に呼びかける主語が「お母さん」だったことです。

まぁ、でもこういうことは慣れているのでこの時点ではそこまで気になりませんでした。

そして、その次に、1年生の担任2人による、入学してからの1年生の様子、この1年での目標、生活や勉学面での家庭に期待することなどが話されました。

その話を聞いている内に僕の中で久しぶりに【怒り】が沸いてきました。

あまりにも不快だったので、「このまま帰ろうかな」と思いました。

その理由は、保護者に呼びかける主語が「お母さん」だったことです。

「お母さんは沢山愛情を注いで下さい」だとか、「お母さん同士のつながりが大切です」だとか、しまいには文書にも「幼稚園や保育園の時とは違い、名前を聞いてもお母さんの顔が浮かばないかも知れません」だとか。

あのー、目の前に僕が座っているんですが。

もちろん、僕の隣にはYちゃんのおばあちゃんも。

僕はフェミニンな格好をしているわけでもないし、日本以外の国民に間違えられたことはあるものの、女性に間違われたことはありません。

なので、99%の人は僕が「男性」だと分かると思います。

なのに、主語がすべて「お母さん」。

目の前にいる僕はいない存在ですか?

校長先生、あなたには僕が見えませんか?

1年の担任の先生、あなたたちには僕がお母さんに見えますか?

この保護者会での保護者に対する呼びかけが「お母さん」であるということについて、今までも何回か書いてきましたが(「パパが保護者会に来ない理由」、「先生、「お母さん」って呼ばないで下さい。」)、今回ほど怒りがこみ上げたことはありません。

なぜ、今回は途中で退出しようと思うほど怒りがこみ上げて来たのか。

それは、完全に僕の存在が見えていなかったからです。

いや、物体としては僕の存在は見えていたと思います。

でも、それが「保護者」でもなく、「父親」でもなかったのでしょう。

今までも保護者に向かって「お母さん」と言う保育士や教師はいました。

が、そういう人たちも大概、僕を見て「あっ、お父さんも」という言葉を付け加えたり、言い換えなくても気まずそうな態度を取りました。

そういう人たちは僕という「保護者」あるいは「父親」が見えていたように思います。

しかし、今回は、僕と目線が合ってもそのまま「お母さん」という主語で話し続けたのです。

あぁ、目の前にいるけれど、見えていないんだな、と。

僕はいないんだな、と。

保護者会じゃないじゃん、これ。

お母さん会じゃん。

だったら、お母さんだけでやってくれよ。

でも、うちはツレは仕事だから来られないけど。

「ご多用だとは思いますが、是非ご都合を付けてご出席下さい。」と呼びかけている保護者会が、実は「お母さん」だけが来ること、「お母さん」だけが子どもたちのことや家事をメインにしていることを前提にしていて、目の前に父親がいても「お母さん」しか相手にしていない。

いつも同じことを最後に書いていますが、これでは父親の参加は増えるはずはありません。

ということで、今回は本当に不快だったので、連絡帳に今回思ったことを書きました。

・保護者会は母親だけを対象にしているのか。

・育児・家事を担っているのは母親だけだと考えているのか。

・しかも、これは今回に限ったことではなく、2年前にTが入学してからずっとなので、いい加減にしてほしい、と。

教員の意識を変えるためにはどうしたら良いのか、保育園と違って小学校になると教員と毎日接する訳ではないので、特に悩ましく感じます。

最後に、「じゃあ、なんて言えば良いか?」ですが、「おうちの人」が良いんじゃないかな、と僕は思っています。

「名前を聞いてもおうちの人の顔が浮かばないかもしれません」とか。