知人が差別ツイートで炎上して考えたこと、のつづき
先日、僕が会員になっているNPOファザーリング・ジャパンのアドヴァイザリー・ボードである方がTwitterで差別発言(ヘイトツイート)をし、炎上していたことを書きました。
ツイートのまとめはこちら↓(先日から少し更新されていました)
地元名士(?)、しかも社会問題に取り組んでいる人がレイシストだった一例
片山さんのついろぐ(ツイート全部)はこちら↓
Twitterアカウントを削除してしまったし、この話はこれで終わり、かというと、それで良いのだろうか?ということがあったので、つづきを書きたいと思います。
1.「退会届を受理しました」(自分たちとは関係がありません)で終わり?
SNSでの情報拡散などに長けているNPOだけあってファザーリング・ジャパンの動きは速かったです。
代表から9月8日の朝に「退会届けを受理しました」というメールがメーリングリストに流れてきました。
そこには「ある会員がソーシャルメディアで『差別的発言』を繰り返し炎上し」たこと、「個人的な発言」だが「看過できず、本人に確認した」こと、「『私が書きました』と認め」、退会の申し出があり、「退会届を受理」したことが書かれていました。
名前も伏せられていたので、誰のことだか全く分からない人も多かったのではないかと思います。
そして、再度ファザーリング・ジャパンのホームページを見てみたら、既にアドヴァイザリー・ボード一覧から名前が削除されていました。
果たしてこれで良いのでしょうか?
(実際にどんな役割を担っているのかは不明ですが)アドヴァイザリー・ボードという名誉職にまで就いていた人が、個人的に行っていた差別発言が理由で退会し、名誉職まで与えていた団体側もすぐに「そんな人関係ありません」という対応をする。
これが大人の世界なのかも知れませんが、アドヴァイザリー・ボードという名誉職を外れこそすれ退会しなくてはいけないことだったのか、退会すれば終わることなのか疑問です。
僕は、歴史認識などは全く考え方が違うとはいえ、氏の父子家庭が抱えている問題への取り組みは評価されるべきだと思っています。
もちろん、氏だけの力で父子家庭への支援が拡充したとは言えませんが、大きな働きを担っていたことは事実です。
差別ツイートをしたからといって、それらの行いまでまるで「なかったこと」には出来ないのではないかと思います。
なにより、ファザーリング・ジャパンは「父親」の団体ですので、名誉職から外れることはあっても、会員から排除するというのは「臭いものには蓋をする」ということでしかない対応だと思います。
2.差別発言をやり過ごした大学教員の話
今回の出来事(差別ツイートをしていた本人の対応と、ファザーリング・ジャパンの対応)で思い出したのは、僕が通っていた大学での出来事です。
僕が大学に入学する何年も(10数年?)も前に、学内であるシンポジウムが開かれました。
そのとき、パネリストとして呼ばれていた人(学外の研究者)がと場労働者(あるいは被差別部落民)に対する差別発言を行いました。
シンポジウムのあとで、差別発言があったということが指摘され、大学も調査し、報告書を出したのですが、差別発言を行ったのは学外の研究者であったにも関わらず、司会をしていた大学教員はその後毎年この問題についての勉強会(セミナー)を開いていました。
司会をしていた大学教員はその差別発言に対して、賛同の意志を示したわけでもありませんでしたが、「差別発言だという認識がなかった。パネリストの発言が差別発言だと指摘するような歴史認識、人権認識をもっていなかった。」と反省し、被差別部落の歴史とは全く違う研究者でしたが、退職するまで毎年勉強会を開いていました。
大学側は、調査もして、報告書も出したので、この問題については「出来れば黙っておきたい」出来事だったのだと思います。
一応「人権センター」主催の勉強会でしたが、その大学教員が定年退職したあとは、勉強会を続けられるかどうかはわからないということでした。
僕はその大学教員が定年退職になる年の、最後の勉強会に行きました。
と場で働く人を呼んでお話を聞かせてもらい、と場の見学もさせてもらうというものでした。
このセミナーで一番心に残っているのは、その大学教員の姿でした。
と場労働者とは全く関係のない自分の専門分野のシンポジウムで(確かテーマは理系だった気がします)で、自分ではない人がした差別発言に気づけなかったこと、止めることが出来なかったこと、差別発言だと認識が欠けていたことを、その後もずっと反省し、ずっとそれに向き合おうとしていた姿です。
その大学教員の専門分野ではありませんし、大学は報告書も出しているので、それで終わりとすることも出来たはずです。
でも、その大学教員はその後もずっと自分がその場にいてやり過ごしてしまったことを反省し、二度と繰り返さないように、自分のした過ちを伝え、二度と起こさないようにするにはどうするかを考え続けていました。
差別意識というのは、僕は誰にでもあると思っています。
だからこそ、それにことある毎に向き合っていかなければならない、と思っています。
しかし、今回の差別ツイートを行った人は、Twitterでの情報によればレイシストではないと未だに主張しているようです。
@TAMA6SI (1)一連のツイートは個人のもので会社とは関係ないということ(一連のツイートは自分のものと認めている)。(2)冷やかしの度を超え、軽率にシールズに執拗に無礼なツイートをしたことは猛省、と。(3)しかし、自分はレイシストではない、事実無根だと言っています。
— 「安保法案」反対静大 (@shizudai9) 2015, 9月 7
これは「行き過ぎたツイートをしたが、差別発言はしていない」ということです。
ということは、ファザーリング・ジャパンを退会したことも単に「迷惑がかかるから」というだけです。
つまり、都合が悪いことが起きたので逃げて、隠れただけ、ということです。
差別ツイートをしていた本人も、ファザーリング・ジャパンもこれで良いのか?と思います。
3.父親として出来ること
じゃあ、どうすれば良いと僕が思っているか、ですが、「Fact(ファクト=事実)とEvidence(エビデンス=根拠)の重要性を学ぶ」ということを始めたら良いと思っています。
タイトルがかなり堅いですが、今回の差別発言もそうですが、歴史認識などにおいても、ファクトとエビデンスを押さえて考えるという習慣がないために様々な問題を起こしているように思います。
父親である、ということはつまり、それぞれには子ども(たち)がいます。
家族の考え方というのは、とても影響があるのですが、そのときにファクトとエビデンスも押さえていない話をすることは「教育」に決して良い結果は起きません。
これは歴史認識だけの問題ではなく、スポーツをする時にも、勉強をする時にも共通することで、個人差があるのはもちろんですが、論理的思考が女性よりも長けているとされる男性(父親)だからこそ出来ることではないか、と思います。
何がファクトで何がエビデンスなのか、その上でどのように考えるのか。
これは、父親本人の学びであるとともに、次世代を担う子どもたちにも伝えていかなければいけない根幹になる考え方を伝えることになると思っています。
ちょっと抽象的に書いてしまったようにも思うので、教育に関してのファクトとエビデンスを考えるには(最近僕が読んだ本ですが)、こちらの本がおすすめです↓
※2015年9月11日追記
「個人差があるのはもちろんですが、論理的思考が女性よりも長けているとされる男性(父親)だからこそ出来ることではないか」という部分が、「これこそFactとEvidenceに基づいていないのではないか?」というご指摘をいただきました。
確かにその通りで、男女差があるという説と男女差はない、あるいは女性の方が長けているという説がある状況でこのようなことを書いたのは間違いでした。
(僕にはどちらの説が正しいのか現状では判断出来ませんが)、「父親」ということを強調するためにこのようなことを書いてしまったことをお詫びします。
本来ならば削除し、訂正した文章にするべきでしょうが、既に多くの方に読まれていることを考え、原文は変更せず、追記としてここに書かせていただきます。