映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

人間でいたい

 ここのところメンタルが不調であることを度々書いてきました。
 「つらい」ということをちょこちょこと色んな人に愚痴るだけでなく、具体的な解決というか改善に向けて動いてもいたのですが、ストレスの原因である環境が変わることはありませんでした。
 そこで、本格的に新しい仕事を探すことにしました。

  去年の3月までは子育てもあり、元配偶者が全く家事をしないしない人だったことや、僕の専門分野があまりにも特殊なものだったので正規職を見つけることが出来ませんでした。
 去年、元配偶者から暴力的に家から放り出され、そこからうつの治療をしつつ、ダブルワークをこなし、資格を取ったりした結果、8年間続けていた教員ではない、全く違う業種、職種で正社員として雇ってもらえることになりました。
 35歳で、未経験という、どう考えても採用したくないような条件の僕を正社員として雇ってくれた会社にはとても感謝しています。

 けれど、今回のメンタルに不調を来たしている出来事について、会社の人と話した結果、分かったのは、自分はモノではなく人間だし、人間でいたい、ということです。

 

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 業種もちょっと言えないので、説明が難しいのですが、会社の上司たちと話して分かったのは、僕が一つの商品、モノとして捉えられている、という感覚です。
 僕という「モノ」は「○○」「△△」「□□」という資格を持った商品で、それによって価格が付けられ、それを売ったり取引することで生じる差額で会社が利益を得ているということです。

 僕に優しい言葉をかけるのはその商品としての「価値」があるからで、(同年齢水準での給与でかなり低いので)会社としては利益が沢山出るからなのだろうと。
 それにもの凄く違和感があるし、嫌だな、と。
 それを話したら、ある人には「それがサラリーマンなんじゃない?」と言われました。
 ということは、僕はやっぱりサラリーマン、ビジネスマンに向いていないのだろうと思います。

 では、8年間働いていた学校はどうか。
 8年間同じ私立中高で働いていましたが、元々僕は学校が好きではありません。
 実際、毎年生徒たちには最初の授業や夏休み明け(自死者数が多いので)には、無理して学校に通わなくても良いし、学校以外の場も学校を卒業していなくても生きていける方法があることを伝えていました。
 具体的な方法とか場所も説明していました。
 そして、8年間働いていて「やっぱり学校は嫌だな」という場面にも沢山出会いました。
 けれども、少なくとも、僕がいた学校では、成績がたとえ悪くても、一人ひとりをそれぞれの名前を持った人間として接していました。

 テストの点が良くなくても、「素行が悪い」とされていても、その生徒に価値があるとかないとかそういうことを考えることすらありませんでした。

 学校という場に戻る(戻れる)のかは分かりませんが、とりあえず、今のこの会社で、あるいはビジネスマンとして生きていくのは、自分には向いていないというか難しそうだな、ということが分かりました。
 そんな話をちょこちょこ話していたら、ある友人に僕には子どもと関わる仕事の方が良いのでは?と言われました。

 僕自身は子どもが好きという感覚は特にないのですが、自分の子どもたちを通して10年間、震災のあった日も含め毎日保育園に通っていました。
 引越もしたので何カ所かの保育園に通いましたが、保育園も一人ひとりをモノとか価値とかではなく、一人の人間として接する場だったな、と改めて気付きました。

 ということで、もうこの会社にいるつもりはない(いつ辞めても良い)し、ぼんやりとですが、自分のこれからの方向性が見えてきたと思ったら、少しだけ気持ちが楽になりました。