映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

辻村深月『スロウハイツの神様』

 先日会った友人に勧められた小説です。
 すごく良かったと言っていたのと、調べてみたら文庫だったので上下巻で長い作品ですが、さらっと眺めたところ評価も良く、手に取りやすかったので、読んでみました。


スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 

『スロウハイツの神様(上)』(辻村 深月):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部


内容講談社BOOK倶楽部より)
人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだーー
あの事件から10年。
アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。
夢を語り、物語を作る。
好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。
空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 先に、ちょっと批判的なことを書くと、やっぱりちょっと長いなと僕は思いました。
 それと、先が読める展開になっているところもあって、それまで結構面白く読んでいたのにこのまま終わるのかな…、という気持ちになっていたら最後、良い意味で裏切られる展開が待っていました。
 作品の内容としては、現代版「トキワ荘」です。
 スロウハイツがある場所もトキワ荘を思わせる場所に設定されていて(西武池袋線椎名町駅周辺)、そこに若い作家たち(脚本家、作家、映画作家、漫画家、画家)が一緒に生活するというものです。
 登場人物たちの年齢は20代後半から30歳まで。
 すでに活躍している人も、駆け出しの人も集まって暮らしています。

 20代後半から30歳までという年齢層に、35過ぎの僕としては「この年齢だから出来ることってあるよな」と思いながら、ある意味自分を振り返りながら読んでいたのですが、実は登場人物たちは僕と同世代を過ごしてきたことが後から分かり、そこに虚を突かれた感じがしました。
 他人の話だと思っていたら、最後、自分の話しだったというか。

 さて、この作品の中で印象的だった文章を2つ取り上げてみたいと思います。
 まずはスロウハイツに暮らすメンバーでは30歳と一番年齢が高いけれど、年長者だとまるで感じさせないどころか、むしろ「守られる」存在であるかのようなコーキの言葉です。
 

「いいことも悪いことも、ずっとは続かないんです。いつか、終わりが来て、それが来ない場合には、きっと形が変容していく。悪いことがそうな分、その見返りとしていいことの方もそうでなければ摂理に反するし、何より続き続けることは、必ずしもいいことばかりではない。望むと望まぎるとにかかわらず、絶対にそうなるんです。僕、結構知ってます」


 この言葉、読んだとき、僕自身に響いてきた言葉なのですが、最後になって、コーキ自身の経験が反映されていることが分かります。
 「僕、結構知ってます」という言葉の意味が分かるようになっています。

 物語から離れて僕自身のこととして考えたとき、まず気になったのは、自分の今の状態、情況が「いいこと」なのか「悪いこと」なのか、どちらにいるのか、ということです。
 「いいことも悪いことも、ずっとは続かない」としても、今の僕のこの情況はどちらなのか。
 それさえも分からず見失っているような気がします。

 もう一つ気になった文章は、漫画家である狩野が心の中でつぶやく言葉です。

ついてしまった傷を磨き、汚れを落とし、どれだけ注意深く扱っても、それでもなお、残るものがきっとある。他人には見えない場所でそれは静かに増え、刻まれていくのだ。


 これは、ただただ「あるなぁ」と。
 どれだけ注意深く扱っていたも、傷つけてしまうこともあって、それが致命傷になることもある。
 ある意味、仕方のないことなのかも知れませんが。

 そして、作品も良かったのですが、僕の中で一番良かったのは、西尾維新さんの解説でした。

誤解を恐れずに言えば、作家とは社会不適合者の別名である。作品は社会に不可欠であっても、作家のほうは生憎そうはいかない。社会の歯車などという自虐的な言葉があるけれど、その比輸にのっかっていうなら、彼ら彼女らは、外れてしまった歯車である。

 
 西尾さんが書いている「作家」はクリエイターを指しているので、何かしらを作り出す人のことを指しています。
 小説家ではなくても、何かしらを作り出す人のことです。
 西尾さん自身が作家ということもあり、妙に深く納得させられる文章になっていました。