僕がテレワークをやめたわけ
時短勤務(コアタイム9~15時)になったものの、相変わらず毎日(週5.5日=隔週で1日休み)出勤している僕ですが、一回だけテレワーク(在宅勤務)をしました。
が、その一回だけ、一日だけでストレスで死にそうになったので、上司に許可をもらい、その後は今まで通り出勤させてもらっています。
その、テレワークをやめた理由と、実際に出勤していて気づいたことを書き残しておきたいと思います。
僕は今、とある法人で職員として働いています。
多くの人たちは3月から在宅勤務が可能になり、4月からは基本的には在宅勤務とし、必要な場合だけ、許可を得て出勤しても良い、ということになっています。
が、僕の部署はその「多くの人」とは違うので、公には9~17時に職場にいることになっています。
それでも、上司が気を利かせて、なるべく在宅勤務に出来るようにと計らってくれ、出勤しても15時過ぎたら帰っても良い、ということにしてくれています。
で、同じ部署の人の中でも出勤状況はバラバラで、直属の上司とその上の上司は毎日いつも通り(というのは9時)出勤しています。
他の人は4月半ばから数日出てきていたのを徐々に減らし、殆ど在宅という人、週の半分くらいを在宅という人、そして、僕のように一回テレワークしたけど、結局毎日出勤しているという人がいます。
僕がテレワークをやめた一番の理由は、在宅にすると、多大な情報を家に持ち帰ることになることと、目の前で話せば5秒で済む話が、チャットでだらだらとやって結局意思が伝わらないということがものすごくストレスだったからです。
上司は感染のリスクがある中での電車通勤を心配してくれましたが、その時点で、感染のピークは過ぎていたので(そう言っても誰も真に受けてくれませんでしたが…)、感染のリスクは低くなっているし、先日も書きましたが(コロナうつにならないために)、僕はうつ病で、感染リスクよりも自分がうつになって死ぬ方が可能性が圧倒的に高いので、ストレスを溜め込むよりは出勤して、職場にいるときだけ仕事するというスタイルの方がストレスが少なくなる、と判断しました(結果は正解でした)。
詳しくは書けませんが、僕の仕事は様々な個人情報を扱っています。
なので、その情報をインターネット上でやりとりすることには必要以上に敏感にならなければなりません。
1月にこの仕事に就いたとき、(もちろんアクセス制限はかかっていますし、組織の中でもアクセス権限があります)そもそも入ってきたばかりの僕がこんなにも多くの情報にアクセスできてしまって良いのだろうか?と不安に感じました。
なので、この仕事を家でやる、と言われたとき、率直に「イヤだな」と思いました。
で、一度やってみたものの、やはりこの情報が漏れたら?と考えてしまうこと、さらには僕自身の性格として、連絡を受けたらすぐに返信しなければ、と仕事のオンオフの切り替えがうまくいかないということがあります。
今(というかそれが本来の姿なのですが)は、退勤時にPCを金庫に閉まって帰るので、その後に何か連絡があったとしても、僕はそれに気づくことはありません。
(緊急時用に個人連絡先は教えていますが)
それでなくても、今の職場は人員が少なく、仕事はいくらでもあり、帰ってもというか、夜中に目が覚めたとき、あれやらなきゃこれやらなきゃと考えてしまうほどなので(大抵それで眠れなくて朝までゴロゴロ)、物理的に職場から離れること、仕事が出来る環境が完全に離れていることが僕にとってはとても重要なことなのです。
それから、毎日時短ではあるものの出勤していて気づいたこと、知ったことというか少し嬉しいな、と思ったことを書いてみたいと思います。
それは、やはり、当たり前ですが、毎日誰かはいないといけない仕事がある、ということです。
それは郵送物の受け取りだったり、配送のお願いだったり、電話対応だったり。
毎日来ていることを他の部署の人に言ったら、「えっ?毎日来てるの?しかも17時まで?」と言われたり(他部署も含め、本来の勤務時間は8~18時です…)、「なんだか、すみません」と謝られたり(いや、僕は来た方が楽なんです…)するのですが、やはり、いつも通り「人がいる」ことも大切で必要な仕事なのです。
それは、電話対応でも感じることで、毎日何らかの問い合わせを受けるのですが、僕がいつも通り「はい、○○です」と電話に出ると、ただそれだけでほっとして下さる相手が少なからずいます。
多分、もう、本当にたくさんの人がメンタルをやられているんだな、と実感すると同時に「いつも通り」でいることで、誰かの不安を少しでも取り除いたり、和らげられているようで嬉しく感じています。
僕自身は、コロナ対応に追われていることと、時短勤務になっているので逆に時間が足りず、本来なら4月初めに終わっていなければいけなかった仕事が後回しになってしまっていたりするので、当分このスタイルでの勤務が続きそうですが、メンタルは本当に楽になりました。
メンタルで一番ストレスを感じているのは、やはりコロナに対する考え方の周りの人との違いで、もちろん、こまめに消毒したり、換気したり、話す時は距離を置いたりはしているものの、ウイルスですし、僕はまぁ、うつるときはうつるでしょう、というスタンスで、マスクもほぼ意味がないし、あくまでも変な攻撃を受けないためにアタイア、コード、ファッションとして着用しています。
それも、職場の人数が限られていること、電車も日に日に人数が減り、一定数になったこと(朝はまだちょっと多いなと思うのですが、帰りはかなり空いています)や、僕もそれをかわす方法を取っているので、コロナに対する考え方の違いによるストレスも大分減りました。
こうして、ブログを書ける時間も出来ているし、あとは、ボルダリングも当分出来なさそうなのと、旅に出られないことが残念かなぁ、と。
明らかに筋肉がなくなってしまった上半身が気になりますが、まぁ、たっぷり時間が出来たので、こうしてブログ書いたり、溜まっている本を読んだり、映画観て過ごそうと思います。
今年目標にしていた、あと数県残っている(行ったことはあるけど、ちゃんと巡っていない和歌山県と三重県)、47都道府県への旅行がもしかしたら出来ないかも知れないのが残念だなぁ、と思っています。
はにわぷりん
先日、こんなツイートを目にしました。
「はにわぷりん」母の日限定ギフトセット、桜の花びら&ラズベリームース入りぷりんなど - https://t.co/zxUbkMnZTR pic.twitter.com/IFhI1QwzeH
— Fashion Press (@fashionpressnet) April 22, 2020
そして、つい、ポチってしまいました。
送り先は実母ではないのですが、いや、普通にこれ自分も欲しいな、と。
ということで、人に送るには実食しておかなきゃということで(母の日限定ギフトセットより高かったのですが…)、注文しました。
美味しかったです。
が、どうしても食べている最中も食べ終わってしまったあとも考えてしまったことがあります。
それは、「これで何を育てよう?」ということです。
写真だとうまく伝わらないですが、「何かを育てる(植物)」には本当に良いサイズなんです。
そして、このはにわの顔。
これ、何か育てるしかないでしょう。
というか、何かを育てるにはやっぱり底に穴を開けないといけないな、と「陶器 鉢 穴」でググりました。
「おっ、結構いるじゃん、お皿とか鉢にしてる人!」とか思いながら、鉢に出来そうなので、何を育てるか考えています。
4個セットなので、4種類育てるか、あるいは1種類にしようか。
ローズマリーは決まっているのですが、近所で売ってなかったので、どこかに生えてないかなぁ、と思いつつ散歩してます(ローズマリーは挿し木で増やせるので)。
「神は耐えられない試練を与えない」について
最近、このコロナ禍にあって「神は耐えられない試練を与えない」という言葉が身近なところからも、世間からも聞こえて来るようになりました。
まず、僕が伝えたいことは、神は耐えられない試練を与えます。
(原典での著者本来の意図は違うのですが、あえてこのように書きます。)
なので、耐えられなさそう、というか、少しでもやばいなと思ったら、逃げたり、相談したり、休んだりしてください。
具体的な対処法としては、一昨日書いたものにも載せた心理的危機対応プラン「PCOP」を用いてみてください。
その上で、じゃあ、この言葉がそもそもどこから出てきたのかということと、僕自身の経験を書いておきたいと思います。
「神は耐えられない試練を与えない」というこの言葉、キリスト教の新約聖書の中に載っている、『コリントの信徒への手紙Ⅰ』という、パウロという人が書いた手紙の中に出てきます(10章13節)。
パウロという人は、イエスの弟子ではなく、最初イエスの弟子やイエスのことをキリスト(救世主)だと信じていた人たちを迫害していた人で(少なくともイエスをキリストだと信じる人が処刑される場に居合わせていたことがある)、のちに回心して、イエスのことをキリスト(救世主)だと信じるようになり、各地を旅し、それを伝えた人です。
このパウロという人がいなかったら、キリスト教は世界に広がることはなかったでしょうし、今、キリスト教は残っていなかったと僕は考えています。
また、パウロは何らかの身体的な「障害」を持っていたと考えられ、多分それが理由で身体的「障害者」に対しては「優しい」眼差しを持っています。
ですが、同性愛的行為を禁じる言葉も残していて(『ローマの信徒への手紙』1章24-32節)、これは当時の社会文化的背景を考慮したとしても、現在にも及ぶ多大な影響を考えると、決して評価出来るものではありません。
簡単に言えば、パウロもただの人であって、良いところもあれば、悪いところもあり、良いことも書き残していれば、悪いことも書き残している、ということです。
で、ここからは実際にどのように書かれているのかを、載せておきたいと思います。
まずは、原文とされる(コイネー)ギリシア語です(用いたのはNESTLE-ALANDの、最新28版ではなく、手元にあった26(2006年発行)版です)。
πειρασμος υμας ουκ ειληφεν ει μη ανθρωπινος πιστος δε ο θεος, ος εασει υμας πειρασθηναι υπερ ο δυνασθε αλλα ποιησει συν τω πειρασμω και την εκβασιν του δυνασθαι υπενεγκειν.
これを日本で一般的に用いられている新共同訳ではこのように訳しています。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
次に、僕が訳として一番信頼している岩波書店版(青野太潮訳)ではこのように訳されています。
人間的[な試練]以外の試練があなたがたを捕らえたことはない。神は真実[な方]である。その神は、あなたがたが[耐え]得ないような仕方で試練に会うようにはせず、むしろあなたがたが[それに]耐えることができるために、試練とともに出口をも造って下さるであろう。
(引用注:[]内の言葉は文脈から補われた言葉です。)
まず、簡潔に言っておきたいのは、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(新共同訳)、「試練とともに出口をも造って下さる」(青野太潮訳)と書いてあるように、「逃れる道」「出口」もあるということです。
決して、「耐えろ」というニュアンスで書いているものではありません。
なので、この言葉を使って、「耐えましょう」みたいに用いること自体がパウロの意図したものと全く違っています。
耐えられるように「逃れる道」「出口」も神は用意している。
つまり、僕ら人間としては耐えられそうになかったら、さっさと逃げるということも、試練に向かう一つの方法なのです。
その上で僕の個人的な体験を書いておきます。
僕が最初にうつ病になったのは、牧師になるための神学校で教員だった司祭や僕が所属していた教区の主教たち(≒牧師たち)によるパワハラが原因です。
僕はキリスト教の「聖職者」によって心身の健康を破壊されました。
一度壊れた心身の健康は二度と回復することはありません。
もし、回復したかのように思えても、元に戻ることはなく、前よりも脆くなります。
それは、一度寛解したものの(寛解:病気そのものは完全に治癒していないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失すること。(広辞苑第六版))、うつ病を再発したという体験からも言えることです。
なので、今回のコロナ禍で、少しでも耐えられそうにない、と思ったら、逃げて下さい。
休んで下さい。
助けを求めて下さい。
耐えようとすれば死にます。
耐えられなさそうというサインは何か、というと、「眠れなくなること」です。
少しでも眠れなくなったら、すぐに相談しましょう。
というか、病院に行って睡眠薬をもらって、とりあえず寝ましょう(休みましょう)。
そして、誰かに相談しましょう。
相談場所はいくつもあります。
・信頼できる人(友人、知人、家族など)。
・心療内科、精神科などの病院(予約が必要なところが多く、すぐには診てもらえないかもしれませんが、とりあえず予約して下さい)。
病院は敷居が高いかもしれませんが、健康保険が使えるので経済的負担も少なく(初診で薬を含めて数千円、生活保護対象世帯はお金はいりません)、専門の医師が診てくれます。
(「カウンセリング」はよく調べないと質の担保ができないとともに、経済的負担も大きいのでお勧めできません)
・電話での相談
これは、厚生労働省が一覧を載せているので、電話できそうなところがあったら、そこに電話して下さい。
電話相談|厚生労働省
耐えられそうもないことから、逃げること、休むこと、助けを求めること、それも神は「逃れる道」「出口」として用意しています。
そもそも、多くの日本の人たちはキリスト教徒じゃありませんし、普段から教会に行っているわけでも、聖書を読んでいるわけでもないので、こんな言葉に振り回されずに過ごしましょう。
※尚、神学論争をするつもりは全くありませんので、議論したい方は教会や学会でお願いします。
水谷緑『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~」
先日書店に寄った時に気になり、電子書籍で買った本です。
書店で買わなかった理由は電子書籍で売っていることがわかったことと、電子書籍版の方が安かったからです。
そして、なぜ買って読んだのかというと、同じ著者の水谷緑さんが描いた『精神科ナースになったわけ』を読んでいたからです(感想は書いていませんが)。
大切な人が死ぬとき 〜私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた〜|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-
内容(竹書房より)
「もっとできることがあったんじゃ…」
看取りで残った後悔と罪悪感――。
そこで、緩和ケアナースに話を聞いてわかったこと。
それは、大切な人が、残された時間を「どう生きたいか」を知ること。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
物語の内容としては、がんで父親を亡くした娘(主人公)がもっと何か出来ることがあったのではないか、と思いつつ何年も過ごし、緩和ケアナースに話を聞いてみる、というものです。
この作品の中で一番僕の中で刺さったのは、ある患者さんが発したこの言葉です。
生きていくのはつらいなぁ
この言葉を聞いて、主人公と緩和ケアナースは凍り付くのですが、僕はこの言葉を発した患者さんの気持ちがよくわかります。
「生きていくのはつらい」
というか、この言葉に凍り付くということの方が僕にとっては距離がありすぎてよくわかりません。
むしろ「生きてくのつらくないの?えっ?なんで?」と聞きたいくらいです。
でも、僕は僕のこの感覚が万人に共通するとも思っていないので、そのとき想像したのは、娘(長女)のことです。
もしかして、僕が死ぬとき、この本の主人公のようなショックを受けるのだろうか。
こんなに何年も引きずってしまうことをなんとか避けなければならない、と。
どうしたら良いのかなんて、僕は娘ではないですし、娘がどう捉えるのかなんてわかりませんし、「そのとき」が来なければ(娘と僕含め)それこそ誰にもわからないことなので、どんなことをしようとしても意味がないことなのかもしれません。
けれど、この作品を読んで思ったのは、「こんなつらい気持ちにさせたくないな」ということです。
どうしたら避けることが出来るのか。
僕は娘より先に死にます(でなきゃ困る)。
それが自死によるものなのか、病気なのか、あるいは多臓器不全(≒老衰)であったとしても。
せめて、子どもたちには、それを乗り越えるというか、受け止められる「備え」だけはしておいて欲しいな、と。
その一つとして、このブログが位置づけられれば良いな、と思います。
コロナうつにならないために
おはようございます。
コロナ禍の中、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
僕は勤務時間が大幅に短縮されたこともあり(本来8~18時だったのが、コアタイム9~15時に)、こうしてブログを書く時間が出来るほどになりました。
(せっかくついてきた上半身の筋肉はなくなりましたが…。)
一昨日も触れたのですが、日本だけでなく世界中でCOVID-19で騒いでいますが、僕にはあまりピンときていません。
この気持ちは坂口恭平さんのツイートと完全に同じです。
今年に入ってすでに4500人の方が自殺で亡くなっとる。しかし社会問題にはならんしテレビでも言わんし国家は一言もなにも言わんし対策ももちろんせんから、いまはなんか騒いでるのもぜんぜんピンとこんし、やっぱおかしいなーと思う。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 24, 2020
死ぬ前に09081064666
頼むー。
でも、今まで平気だった人も精神的にやられ始めているのは確かで、僕の知り合いの心理職の人とやりとりをしているのですが、その人は支援者であり、人のメンタル面を「支える」プロであるにも関わらず(プロだからこそ?)かなり精神的にやられています。
それは、東京自殺防止センターのこの↓ツイートと同じ情況なのだと思います。
やばいよね このままどうなっちゃうの
— 東京自殺防止センター (@tokyo9090) April 25, 2020
この先どうなるのか 誰もおしえてくれない
やっちゃいけないことばかり つまんない
今回のCOVID-19が日本で騒がれ始めたときに、僕がやりとりしているその心理職の人には「この後必要になると思うので知っている内容かもしれないけれど、読んでおいてくれると嬉しい」と渡したものがあります。
それが心理的危機対応プラン「PCOP」というものです。
評論家・ラジオパーソナリティの荻上チキさんが代表理事の、ストップいじめ!ナビが日本語版を作成し公開しています。
このPCOPの中に出てくるコーピング、是非「質より量」だと思ってやってみてください。
実際、今回、僕はぬいぐるみを買いました(恥ずかしかったけど、子どもの頃(小学校高学年になるまで?)ぬいぐるみに囲まれて寝てました)。
僕はうつ病なので、【不安】や【恐怖】とは長い付き合いです。
うつ病と最初に診断されたのが25歳の時で、それから考えると10年以上の付き合いで、その間に何回も死のうとしました。
相変わらず生きている意味とかはわかりませんし、長生きしたいという気持ちを持ったこともありませんが、それでも多くの人(友人、知人、家族、医師、同僚たち)やもの(旅、映画、漫画含めた本、ボルダリング、山登り、薬、お酒。そしてぬいぐるみ)に頼り、支えられながら生きてきました。
なので、僕は原因もわかっていて、対処方法もある程度わかっているCOVID-19に対して何故多くの人がこれほどまでピリピリするのかよくわかっていません。
確かに医療現場に立つ人たちはものすごく忙しく心身ともに多くのストレスを感じていることでしょう。
その人たちの負担をどうにか減らしたいという気持ちはあります。
けれど、僕のようなうつ病を患っている者は、原因もよくわからず、わかっていても、ある日というか、あるとき突然(本当にそれは突然に、自分の【意思】と関係なく)電車に飛び込もうという、防ぎようもない【衝動】の方がはるかに恐いのです。
より正確に言えば、僕は自分が死ぬことはどうでも良いのですが、今まで支えてくれた多くの人たちに、僕が死んだという【衝撃】を与えてしまうことが恐いのです。
なので、今回の騒ぎを見て、多くの人がいつまでも自分が生き続けていると思っているということに僕は驚いています。
まぁ、それでも恐いものは恐いのでしょうから、とりあえず見ておいてもらいたいものがあります。
それがまず日本赤十字社がYouTubeにあげている動画です。
長いですが、こちらの動画もとても大切だと思います。
そして、もう一つが、坂口さんのこのツイートです。
経済活動なんかどうでもいいけど体と思考の活動止めたら死ぬぞー。毎日何かをつくるように。これは趣味の話じゃない。生きるための方法であります。昔から糸をつくって、土器作って、笛作って、歌つくって、言葉つくってたのはなーんでだ。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 21, 2020
僕が「いつも通り」の日々をどうにか過ごそうとしている理由がここにあります。
毎日同じ時間に起きて、(笑われながらも)同じもの食べて(それもこのコロナ禍で難しくなってきました…。特に納豆とキムチ)、仕事行く間に新聞読んだり、短歌考えたりして、仕事して、仕事が終わったら、ボルダリングして(今は休業中です。なので筋肉がなくなり太りました…)、夕食取って、ネットサーフィングして、シャワー浴びて、ちょっと本読んだり、映画見て薬飲んで寝る、という理由がここにあります。
経済活動は僕にとってはどうでも良くて、短歌(言葉)を作ったりすることがとても重要です。
ということで、もし、このコロナ禍でうつになりそうな人がいたら、「毎日何かをつくるように」してみてください。
そして、これは前述の心理職の方にも伝えたのですが、睡眠不足が一番やばいので、少しでも眠れなくなったと思ったら、睡眠薬をもらいに行ってください。
僕の通っている精神科クリニックは混んでおらず空いていました。
病院に行くことも多くの人はためらっている印象がありますが、心療内科や精神科に行って睡眠薬をもらって、そしてそれを飲んでたっぷり寝てください。
眠れればひどいうつになることはないので。
村上春樹『猫を棄てる』
先日、仕事が早く終わったので(15時過ぎ)、書店に寄りました。
近所を散歩して初めてわかりましたが、休業ではなく、すでに閉店しているお店があり、これでは本当に困るということで、大きな資本の書店はまだ体力(資金)があるとしても、個人書店はつぶれてしまう、と、いつもなら書店に行っても眺めるだけで、買うのは結局ネットなのですが、久しぶりに書店で本を買いました。
実際に買ったのは2冊(気になって後で電子書籍で買ったのが1冊)で、そのうちの一冊がこの本です。
猫を棄てる 父親について語るとき
『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
内容(文藝春秋BOOKSより)
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある
ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた―――村上文学のあるルーツ
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
昨年6月号の「文藝春秋」に掲載されたエッセイが単行本になったもので、その時すでに「村上春樹が父親のことを語った」と話題にはなっていたのですが、自分の身にいろいろありすぎたこともあり(調停真っただ中で上司からパワハラ受ける)、読めていませんでした。
ありがちな出来事かもしれませんが、僕が小説を読み始めた大きなきっかけは、村上春樹の作品を読んだからです。
高校1年だったか、2年だったかの時に、初めて村上春樹の作品を読みました(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)。
その世界に圧倒され、母校は図書館が本当に充実していたので、ほとんどすべての村上春樹作品があったので、村上作品を最初から全部読みました。
そして、友人たちが原田宗典にはまって、ずっと原田作品を話している中、「一つでいいから村上春樹の作品を読んでくれ」と言い続けた結果、彼らもハルキスト(死語?)になりました。
そんな出来事から約20年、すっかり本を読む時間もなく、読むとしてもマンガや簡単に読めるようなものばかりで、世界観に深く入ることが必要とされる小説を読む余裕もなく、村上春樹の作品は読んでいるものの、翻訳している作品は積読されてもう何年(というか10年以上?)も経ちました。
で、コロナの影響(というかそれによってピリピリしている人たちと、右往左往する上からの指示)で、忙しかったものの、ようやく訪れたつかの間の時間。
その時寄った書店で目にしたのがこの本です。
村上春樹は1949年生まれなので、僕の両親より少し若いのですが、僕はこの文章を、村上春樹自身かのようにとらえながら読みました。
僕の父は1945年生まれです。
村上春樹のような決定的な出来事はないのですが、僕は父のことをどうしても許すことができないでいます。
具体的なことを書いても仕方ないので書きませんが、今でなら多分児童相談所に通報されるようなことをされていました(というか僕なら通報する)。
まぁ、祖父が明治生まれで、父自身も(わずかだけれども)第二次世界大戦下に生まれたという、その世代が持っている価値観というか、考え方があったのでしょうが、僕にとってはそんなことは許せる理由になろうはずもなく、今も父とは曖昧な関係でいます。
なので、村上春樹が70歳になって、死後何年もしてようやく自身の父親のことを書くことが出来た、というのは、なんというか、僕もまだ父に対するモヤモヤを抱えたままで良いのだ、という気持ちにしてもらえました。
また、この作品の中で多くの人が取り上げるであろうエピソードに、降りられなくなった猫があると思います。
それについて僕がどう捉え、考えたのかは良いとして、ちょうど同じ書店で気になり、あとから電子書籍で買った『あやうく一生懸命生きるところだった』に出てくる、村上春樹作品でのエピソードとリンクしたのがとても興味深かったです。
それがどんなエピソードなのかについてここで触れるのはそれこそ野暮なので、(村上春樹作品としては珍しく)この『猫を棄てる』も電子書籍でも読めるので、是非読んでみてください。
いのっちの手紙
みなさん、いかがお過ごしですか。
僕はコロナの対応に追われ、毎日上からの指示が右往左往するので、仕事に追われています。
ですが、勤務時間が短くなったので(コアタイム9時~15時)、時間が出来るようになりました。
ストレスからちょっとやばい時もありましたが(ジョギングしようとしたら息苦しくなって走れなくなり、手が震え、涙が出そうに)、Twitterにつぶやいたら、連絡してくれる人もいて、イースター後は相変わらず毎日飲んでいますが過度の飲酒にも至らず、「いつも通り」過ごしています。
そんな中、坂口恭平さんがこんなツイートをしていました。
みんながやれば一瞬で自殺者がいなくなるという特効薬を持つわたしたち^_^ https://t.co/V3DwTxDIco
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 22, 2020
坂口恭平さんは躁鬱を公にしていて、自分の携帯電話の番号を公開して、「いのっちの電話」として9年も活動しているのですが、やま(も)と(@madoya530)さんがツイートしているように「いのっちの手紙」なら、自分でも出来るのではないか、と思いました。
それは何故かというと、坂口さんが指摘しているように、コロナにはみんなすごく騒いでいて、これでもかとピリピリしてるのに(それが職場でも職場に向かう電車内でもストレスなのですが)、毎月約1,500人が自殺していることは全然触れられないし、騒がれないからです。
今年に入ってすでに4500人の方が自殺で亡くなっとる。しかし社会問題にはならんしテレビでも言わんし国家は一言もなにも言わんし対策ももちろんせんから、いまはなんか騒いでるのもぜんぜんピンとこんし、やっぱおかしいなーと思う。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 24, 2020
死ぬ前に09081064666
頼むー。
警察庁によると、今年3月末までの速報値では4,749名の方が自死しています。
その中の一人は僕の友人です。
で、僕に何か出来ないか、と考えていた時に見たのが「いのっちの手紙」というアイデアなのですが、それをやるにあたり僕の中で一番のネックは、僕の住所を公開することです。
脅迫文とか誹謗中傷とかはどうでも良いのですが、3月末に子どもたちに会った際、今後何があるかわからないと思い、子どもたちに僕の職場の名刺を渡しました。
そうしたら、その直後に元妻が子どもたちの状況や予定などこの2年間というもの、一切連絡して来たことがないにも関わらず、「養育費を増やせ」と要求してきました。
調停については既に書いた通りなのですが、そもそも今払っている養育費自体が元妻の年収が高いので(そして僕の年収が低い)、裁判所の想定外の金額です(0円でもおかしくない)。
で、その連絡に対しては、「増額を求めるなら裁判所へどうぞ」と返し、速攻でブロックしたのですが、調停は二度とイヤなので(というか元妻自体がPTSDなので)、子どもたちにも僕がどの都道府県に暮らしているのかも知らせていません。
(今の家に転居した際、DV被害に遭った方々がとれるような、完全に誰からもわからせないような方法も取れたのですが、あまりにも手続きが煩雑でしなかったので、ちょっと時間と手間をかければわかってはしまうのですが…)
で、色々考えたのですが、このブログでコメントをくれた人や、Twitter、InstagramでDMをくれた人に住所をお伝えしようかな、と。
ということで、いのっちの手紙、始めてみます。
うまくいかなかったら、それはそれでそのとき考えます。
では、良かったら、僕と文通しましょう、という話でした。