水谷緑『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~」
先日書店に寄った時に気になり、電子書籍で買った本です。
書店で買わなかった理由は電子書籍で売っていることがわかったことと、電子書籍版の方が安かったからです。
そして、なぜ買って読んだのかというと、同じ著者の水谷緑さんが描いた『精神科ナースになったわけ』を読んでいたからです(感想は書いていませんが)。
大切な人が死ぬとき 〜私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた〜|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-
内容(竹書房より)
「もっとできることがあったんじゃ…」
看取りで残った後悔と罪悪感――。
そこで、緩和ケアナースに話を聞いてわかったこと。
それは、大切な人が、残された時間を「どう生きたいか」を知ること。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
物語の内容としては、がんで父親を亡くした娘(主人公)がもっと何か出来ることがあったのではないか、と思いつつ何年も過ごし、緩和ケアナースに話を聞いてみる、というものです。
この作品の中で一番僕の中で刺さったのは、ある患者さんが発したこの言葉です。
生きていくのはつらいなぁ
この言葉を聞いて、主人公と緩和ケアナースは凍り付くのですが、僕はこの言葉を発した患者さんの気持ちがよくわかります。
「生きていくのはつらい」
というか、この言葉に凍り付くということの方が僕にとっては距離がありすぎてよくわかりません。
むしろ「生きてくのつらくないの?えっ?なんで?」と聞きたいくらいです。
でも、僕は僕のこの感覚が万人に共通するとも思っていないので、そのとき想像したのは、娘(長女)のことです。
もしかして、僕が死ぬとき、この本の主人公のようなショックを受けるのだろうか。
こんなに何年も引きずってしまうことをなんとか避けなければならない、と。
どうしたら良いのかなんて、僕は娘ではないですし、娘がどう捉えるのかなんてわかりませんし、「そのとき」が来なければ(娘と僕含め)それこそ誰にもわからないことなので、どんなことをしようとしても意味がないことなのかもしれません。
けれど、この作品を読んで思ったのは、「こんなつらい気持ちにさせたくないな」ということです。
どうしたら避けることが出来るのか。
僕は娘より先に死にます(でなきゃ困る)。
それが自死によるものなのか、病気なのか、あるいは多臓器不全(≒老衰)であったとしても。
せめて、子どもたちには、それを乗り越えるというか、受け止められる「備え」だけはしておいて欲しいな、と。
その一つとして、このブログが位置づけられれば良いな、と思います。