映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

最後の面会

 今年は9月1日、2日が土日だったので、子どもたちが通う小学校は始業式が9月3日でした。
 7月の面会で長女が希望していた、僕の実家での僕とのお泊まりの2回目を8月末から9月にかけて行いました。

 

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 当初は長女だけと過ごす予定でしたが、実家近くにある市営プールには流れるプールがあり、そこに行くつもりであることを伝えると、次男も「行きたい!」と言って来たので、次男とも会うことになりました。
 ついでと言ってはなんですが、プールに行くついでに以前から次男が希望していた「ペンギン・ハイウェイ」を観に行きました

 次男はお泊まりしても良いとは言っていたのですが、チームラボ ボーダレスのチケットを僕と長女の分しか予約していなかったことや、夏休みの宿題など次男自身にやらないといけないことがあったので、次男はお泊まりせずに帰りました。
 2泊して沢山一緒に過ごせた長女はもちろん、次男とも急遽会え一緒にプールで遊ぶことも出来て良かったのですが、僕はこの面会の前から決めていたことがあります。
 それは、面会はこれで最後だということです。

 子どもたちには伝えていませんが、僕の中では面会はこれで終わり、そういう気持ちで過ごしました。

 子どもたちが持っているキッズ携帯は、この夏ですっかり長女のもののようになっていて、たまに僕の携帯にSMSが来たり、電話が来たりしているので、これからもいつでも子どもたちから僕に連絡することは可能です。
 また、子どもたちが会いたいと言えばいつでも会いたいと思っています。
 しかし、僕はこの面会以降、僕から子どもたちに連絡することや、元配偶者に子どもたちと面会したいと伝えることはもう終わりにしようと考えていました。

 子どもたちにとっては、いつまでも僕は父親ですし、僕も出来る限り父親でありたいと思っています。

 けれど、度々触れているように(「かみ合わない話し合い」、「質問無視話法」、「先延ばし話法」)、元配偶者とは全く話し合いが出来ない状態です。
 3月末に元配偶者から突然家から出て行くように宣告され、うつ病で救急車や警察を呼ばれるような体調の中、文字通り這うように法テラスに行き相談しましたが、出て行かざるを得ないと言われてしまいました。
(簡単に言えば義父所有の家で、賃貸契約を結んでいたわけでもなく、書面も交わしていないので、元配偶者が僕を追い出すためにしようとしていて、実際にすぐに実行した「鍵の交換」をされてしまうと、僕自身ではどうすることも出来ず、粘るよりは避難的にでも荷物を持って行かないと、男性用のシェルターや緊急避難所はないため野宿生活をすることになり、仕事も出来なくなるので)

 そんな絶望的な情況の中、なんとか死ぬことなく生きのびることはできたので、とにかく子どもたちとの面会を、家から追い出されて以降、再三求め続けました。
 けれど、元配偶者は調停が始まるまでの3ヶ月間その要求を無視し続け、1回目の調停後に手のひらを返したように(流れから考えて一度も面会を実現させていないということが「不利」だとでも考えたのでしょう)、元配偶者がそれまで主張していたこととは矛盾しているにも関わらず、「○○日なら会えますが?」というような形で僕に連絡をしてきました。


 3月までの12年弱の間、99%の家事をし、毎日保育園や習い事の送り迎えをし、忘れ物があったり、急に天候が悪くなれば小学校に行き、連絡帳を書き、一緒に風呂に入り、漏らしたり吐いたりしたものを処理し、週末には公園やプールで遊び、たまに家族で旅行などもし、キャンプにも付き添って同行していた、子どもたちとの生活が暴力的な仕方で元配偶者から奪い去られました。
 何ヶ月も子どもたちに会わせて欲しいと要求しても無視され続けていたので、その後にやっと会えた時は、元配偶者が手のひらを返そうが、それまでの主張と矛盾していようが、とにかく子どもたちと会えるならばと、それら一切を飲み込もうと思いました。

 でも、僕には飲み込んだまま過ごすことは出来ませんでした。

 これからもずっと、元配偶者の気まぐれで突然子どもたちとの面会可能な日の連絡が来て、それに応じる形で子どもたちと会うようになるということや、元配偶者の矛盾(というか嘘)を放置したままで子どもたちの面会について元配偶者と関わりを持つこと、さらにまた暴力的な方法で子どもたちとの関係を奪われる可能性がある中では、到底元配偶者と連絡を取って子どもたちと面会することなど出来ないと思いました。
 (もちろん、元配偶者には面会についての主張が矛盾というか嘘になっていることについて質問しましたが、いつものように無視されました。)

 家から突然放り出され(というか行政の野宿生活者への強制排除と全く同じやり方でした。事前通告がなかったことを考えると行政よりひどかったです)、12年間僕が主に育てていた子どもたちからも引き離されました。
 それから半年近く経ち、学んだというか分かったことがあります(「好きなことより嫌だと思うことを大切に」)。

 世の中には話し合えない人がいる、ということ。
 今まで話し合えていても、全く話が通じなくなることがある、ということ。
 そして、野宿生活者支援の場などで何度も目の前で見てきましたが、「力」を持っている人間(たち)には立ち向かえる方法などないこと。
 彼らの気まぐれによる「力」の行使を受けないためには、立ち向かうのではなく距離を置くのがベストであること。

(さらに言えばそんな人間が中学生、高校生に多様な人間がより良く生きることを考えるための教科「社会」を教えたり、数十人もの生徒たちの担任をしているという皮肉な現実。
 野宿生活者を強制排除するのと全く同じ方法でひとりの人間を排除する人が、どうやったら多様な人間がより良く生きていく方法を若者たちに考えさせることが出来るのでしょうか。)

 元配偶者とは全く話しがかみ合わず、調停という場で第三者を挟んでもまともな話が出来ない状態です。
 話が出来ない人と関わることはストレス以外の何物でもなく、実際、元配偶者から連絡がある度に僕の体調は悪くなりました。
 
 子どもたちがいなければ連絡することなく、一生関わらなければ済むのですが、子どもたちがいるとそうすることは出来ません。
 でも、子どもたちと会おうとすると、元配偶者と連絡を取らざるを得ない。

  この情況で下した僕なりの決断が、この面会が最後で、僕からは連絡をしない、ということです。
  子どもたちからは僕にいつでも連絡できるようにするけれど、僕からはしない、という選択です。
 
 子どもたちから突然引き離されて、この数ヶ月、本当に辛い情況でした。
 元配偶者に引き離される前に、元配偶者が一方的に、僕が家から出て行くと言っていたので、それを聞いて保育園でも泣いていた長女や(お迎えは僕がしていたので度々担任の先生から心配され話をしました)、夕食時に元配偶者の言葉で悲しみに沈んでいた次男にとっても辛い状況だったと思います(「娘の体に表れたメッセージ」)。
 長男は自分の思っていることを言葉に出さず、お母さん子でもあるので、引き離されたあと積極的に僕に会いたいと言ってきた次男や長女とは違い、直接言ってくることはありませんが、(元配偶者は子どもたちが学校がない日に子どもたちだけで過ごさせていたり、定期的に通っていた病院にも連れていかなかったり、心身のケアをするつもりが全くなく、他の方にお願いすることもないようなので)その気持ちをすくい取る大人が子どもたちの周囲にはいないので、激しいチックが出ていると長女から聞きました。
 大人である僕もまだ全く気持ちの整理がつなかない中で、子どもたちにとっては本当につらい情況が続いていると思います。
 このつらさは今後も続いていきますが、僕自身が前に進むためにもこの決断が必要ですし、またこの決断が子どもたちにとってもいつか「良かった」、そこまでいかなくても「仕方がなかった」と思ってもらえるように、歩んでいきたいと思います。