大木亜希子『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』
新聞の広告で気になった本なのですが、発売されたばかりだったこともあり、レビューが殆どなくどんな内容なのかわからなかったので、どこか本屋さんでチェックしようと思っていました。
そう思っていたのですが、そのタイミングで新聞に書評が載っていたので、早速読んでみることにしました。
人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした
『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(大木亜希子)特設サイト-祥伝社
内容(祥伝社より)
元アイドルとおっさん・ササポンの奇妙な同棲生活
「この特殊な生活の中で自分が変われるかもしれない」
仕事なし、彼氏なし、元アイドルのアラサー女子。
夜は男性との「ノルマ飯」、仕事もタフにこなしているつもりが、ある日突然、駅のホームで突然足が動かなくなった。
そして、赤の他人のおっさん(57歳)と暮らすことに──。
WEBマガジン『コフレ』連載中から話題沸騰!
読めば心が少し軽くなる、元SDN48の衝撃の私小説
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
はっきり言って読んでて結構つらかったです。
それは、著者である大木さんがこれでもかと「年齢」「(結婚の)適齢期」「三十路」とたたみかけてくるからです。
たたみかけるというか、正確には大木さんがそれらの価値観に囚われているということなのですが、35過ぎでバツイチ、低年収、独り身、平社員の身としては、これでもかと、僕自身の現実を目の前にたたきつけられるような気がしました。
僕自身は自分がとりあえず生きて行けているのだから、生きていけるお金をもらって、(多分次の仕事は)楽しんで行けそうなので、それはそれで良いという気持ちがあります。
それと同時に、やっぱり誰かパートナーがいると良いなという気持ちもあります。
その「パートナーがいると良いな」ということに関して、「年齢」とか「年収」とかの価値観を突きつけられると、35過ぎでバツイチ、低年収、独り身、平社員は明らかに「不良物件」な訳で、そういう「不良物件」だと考えるような人とはそもそも価値観が違うのだから、という気持ちもありますが、それでも正直つらいな、と。
そんな気持ちになりつつも、同居人である55過ぎの離婚歴あり独り身ササポンと大木さんとのやり取りが印象的でした。
「なんで、その子が結婚しちゃうと、同志じゃなくなっちゃうの?」
「いや、これからも一生大切にしたい関係ですけど。これまでとは同じような関係ではいられない気がするんです」
するとササポンは、淡々とした顔で一言、ぼそりとつぶやく。
「別に、結婚が幸せとは限らないけどね」
「は、はい……」
「死ぬときゃ、どうせひとりだし」
「は、はい……」
私が押し黙っていると、ちょうどTVから孤独死関連のニュースが流れる。
「僕の理想の死に方は、ひとり軽井沢の高原で雪の日に足を滑らせて、頭打って誰にも迷惑をかけずにこっそり死んで、雪解けと共に発見されることかなあ」
ササポンの「死ぬときゃ、どうせひとりだし」という言葉と「僕の理想の死に方は、ひとり軽井沢の高原で雪の日に足を滑らせて、頭打って誰にも迷惑をかけずにこっそり死んで、雪解けと共に発見されることかなあ」っていうのに、とても共感しました。
結局死ぬときは一人なんですよね。
でも、誰かと一緒にいたいなぁ、という気持ちもある。
また、その結婚する友人が言った言葉もとても印象的でした。
「いくつになっても、パカみたいに騒いでいいじゃん。年齢なんて、ただの記号だし」
この年末に、数年ぶり(というか10年の方が近いくらいの人も)に再会した人が何人かいました。
それで感じたのは、同じだけの時が経っているけれど、その重ね方、周りからの見え方は本当に人それぞれだな、と。
僕はそもそも大学に入ったときから「ホントに10代かよ」とか「落ち着いてる」とか言われてきたので、今回も色んな人から「変わってないねぇ」と言われたのですが、ホント、年齢なんて、ただの記号で、それに囚われる必要はないのかな、と。
僕と同世代というか、30歳を超えてくると特に男は見た目がすごく変わる人と変わらない人がはっきりしてきて、太ったり、白髪になってきたり、薄毛になって来たりとすごく変わってきます。
というか、いつもは自分の年齢はあんまり気にしないのですが(人とは違う人生を歩んできたということも大きいです)、この本ではこれでもかと年齢を突きつけてくるので、あぁ、自分やばいんだ、とメンタルがやられそうになりました。