映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ」

「人生設計」という言葉がありますが、人生って設計出来るものなのでしょうか。
自分自身はこれまで「人生設計」ということを考えるように要求されたこともなければ、考えたこともありません。
何歳までに結婚して、何歳までに子どもを授かって、年収はこのくらいで…。
僕が今まで考えことがないからなのかも知れませんが、これからの人生にある程度のプランを持っていたとしても、プラン通りに行くとは思えないし、実際離婚した経験からもプラン通りにはいかないわけで、だったら、プランを持たずにいた方が生き方が自由になるような気がします。

結婚相手だったり、子どもを授かるかどうか、年収も自分にはコントロール出来ないので、先入観を持たずに人と出会い、今あるお金の中で生きて行ければ良いな、と思っています。
まぁ、この特に将来のことを考えていないように見えること(将来についてプランを練るよりは、なるようになるから大丈夫と考えているのですが)が、元配偶者からすれば大きな不満だったのかもしれないのですが。

さて、今回観た作品は、観たいなぁ、と思ってチェックしていたものでAmazonのプライム対象作品になっていたので早速観てみました。

 


マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ(字幕版)

youtu.be

映画『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』公式サイト

作品データ映画.comより)
監督 レベッカ・ミラー
原題 Maggie's Plan
製作年 2015年
製作国 アメリ
配給 松竹
上映時間 99分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
大学でアーティスト・コーディネーターとして働くマギー(グレタ・ガーウィグ)の悩みは、恋愛が6ヶ月以上長続きしないこと。30歳を過ぎても結婚の兆しがまったくないことから、マギーはシングルマザーになろうと決心。大学時代の友人で変わり者のガイに協力を依頼する。
そんなある日、マギーは大学で、ハンサムで知的な文化人類学者のジョン(イーサン・ホーク)と出会う。小説を書いているジョンはマギーに意見を聞くようになり、2人の仲は急接近。彼の妻ジョーゼット(ジュリアン・ムーア)は、コロンビア大学の教授として働くバリバリのキャリア。家庭を顧みず、家のことはジョンに任せっぱなしの妻に疲れ果てたジョンは離婚を決意し、自分の小説を好きだと言ってくれるマギーと再婚する。
3年後―娘も授かり幸せに見えたマギーとジョン。だが、大学の仕事を辞め、小説家の夢を追い続けるジョンとの結婚生活に不安を感じるマギー。最初は魅力的に思えた彼の何気ない仕草も今では癇に障るようになっていた。
一方、マギーは忙しいジョーゼットの子どもたちの面倒を見るうちに彼女とも親しくなり、″鬼嫁″ではなく、魅力的でパワフルなジョーゼットに魅了されていった。と同時に、ジョーゼットがいまでもジョンを深く愛していると気づく。ジョンはジョーゼットと一緒にいた方が、きっと幸せになれる…。そう思ったマギーは、″夫を前妻に返す″という、とんでもない計画を思いつく。マギーは一計を案じて2人を元のサヤに戻そうとするが…。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
物語はタイトルの通り、マギーのプラン、つまり主人公マギーの人生設計やプランです。
公式サイトにも詳しく書かれていますが、可能性がかなり低くなる前に子どもは産んでおきたい、ということで友人の精子をもらい体外受精を試みるところから始まります。
同じ時期に職場で出会ったジョンと親密な関係になる。
ジョンは既婚者で子どももいたけれど、すべてをなげうってマギーと結婚する。

結婚から3年経ち、ジョンとの関係に少しずつ溝が出来て来る。
ジョンの前妻との子どもたちと関わる中で、前妻ジョーゼットとも知り合うようになる。
ジョンとジョーゼットが元の関係に戻れば、というプランを考えつく、というもの。

この作品の良かった点は、男女逆だったらどう感じるだろうか、と考えを巡らせられたことです。
男性は子どもを産めませんが、子どもだけは欲しいから、と友人の卵子をもらい、その同じ時期に既婚者の女性と親密な関係になり結婚し、子どもも生まれる。
けれど、数年経ち関係に溝が出来はじめたころ、妻の元夫に出会い、とても魅力的な男性で、まだ妻のことを愛していることを知ったので、2人を再び結びつけようとする。

果たして男女逆の物語は成立するのか、と考えると、成立しないような気がします。
それは、この作品は(言い方がとても悪いけれど)家族を捨てたのが男性で、女性側(前妻)に気持ちがまだあったから可能な話だからです。
女性が家族を捨てて新しい家族を築いていたら、一度自らが終わりにした関係に女性が戻るとは考えられません。
新しい家族でまたうまくいかなくなってきたら、女性はまた新しい関係を築こうとするのではないかと思います。

さて、思考実験としては、ジョンがまさに僕がやっていたような子育て主夫をしていてくすぶっている様子や、新しい家庭での振る舞い、はたまた社会的評価を気にするあたりに、男女のジェンダーを考えたりするのに面白い作品でしたが、大人たちは良いとしても、子どもがどう捉えているのかということについて詳しく触れられていないのが残念でした。
ジョンとジョーゼットの間の子どもたちが父親と母親の家を行ったり来たりすることに対して文句を言う場面はあるのですが、ジョンとマギーとの子どもとも彼らは親しくなっています。

父親と母親がまた関係を修復し、やり直すことで、2人の子どもたちは行ったり来たりしなくては済みますが、マギーとジョンとの子どもにとっては、父親だけでなく、お姉ちゃんとお兄ちゃんが突然いなくなることになります。
父親であるジョンはこれからも会うのでしょうが、お姉ちゃんとお兄ちゃんは会う必要はないので、一生会わないかも知れません。

マギーはそもそも、プランというよりも、思いつきで動いていて、それが悲壮感などもなくてポジティブに映る場面もあるのですが、思いつきで動いているからこそ、子どものことまで考えが行っていないような気がしました。

まぁ、結局どんなプランを練ったとしても、どんなに考え尽くされたプランだとしても、人生はプラン通りにはいかない、ということを表しているのかも知れません。