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映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『男の価値は年収より「お尻」!? ドイツ人のびっくり恋愛事情 』

先日読んだ『孤独とセックス』で紹介されていた本が気になったので読んでみました。

どういう文脈で紹介されていたのかというと、恋愛や結婚などのパートナー関係を、制度に合わせるのではなく、関係性を重視するようにパラダイムシフトをしようという、「あるべき恋愛・結婚の姿」を求めていくのではなく、個人対個人という関係を大切にしようという提唱の中で紹介されていました。
 

男の価値は年収より「お尻」!? ドイツ人のびっくり恋愛事情 Kindle版

 

『孤独とセックス』ではこのように触れられていました。

日本との一番大きな違いは、「不倫が原因で離婚になっても、慰謝料は発生しない」という点。ドイツでは、日本と異なり「会社や公の場でも、自分のパートナーを堂々と自慢する」「結婚という形式にはあまりこだわらず、恋人がいることや一緒に住んでいること自体を重要だと考える」風潮があるそうです。制度ありきではなく、関係性ありきという個人主義の発想ですね。 


2年前くらいから日本では「不倫」(倫理に不らずという言葉自体もどうかと思うので括弧をつけて書きます)という言葉に過剰に反応するようになってきたと僕は感じていて、正直他人の交際関係についての話は食傷気味です。

「不倫」だけでなく、誰と誰が交際しようが、自分が当事者でない限り口を出すべきことではないと考えていますし、身近な人のことじゃない限りどうでも良いと思っていましたが、「不倫」、つまり日本では「不貞行為」と言われることが婚姻関係の解消の理由になっても慰謝料が発生しないというのは驚きました。


これはつまり、結局のところ、結婚が、財産で結びついているわけではないからだと思うのですが、それを確かめるために読んでみたのでした。

読んでみると、まさにパートナーとの関係が「財産で結びついているわけではない」ということが触れられていました。

付き合ってみて初めて、相手の年齢や仕事を知るということもよくあること、ということが書かれていて、財産含めて相手のステータスで交際や結婚するわけではない、ということがとても現れているように思いました。

この付き合い始めて初めて相手の年齢や仕事を知る、というのはとても良いな、と思ったのですが、それ以外の部分で興味深かったのが、ティーンエイジャーの性に親としてどう関わるか、というもの。

著者としては、ドイツにはラブホテルがないから実家でするしかない、ということを少しネガティブに書いていましたが、実家でするしかないため、実家の親も目を背けることが出来ずに、子どもがパートナーを連れてきたときに「セックスは16歳になってからね」と言った会話もするそうです。

親としては自分たちもしていることだし、子どもたちもいずれすることだし、だけど、リスクも高いことや、いずれするのなら、隠れてされるよりは、分かっている範囲内でしてもらった方が良い、という考えのようです。

学校でも12歳までに教育があるようですし、性についてタブー視していないところや、結婚にこだわらない点も、パートナーとの関係重視というのが明確で、とてもうらやましく感じました。

ネガティブに考えると、結婚にこだわらないので、ドイツでは少子化がかなり進んでいるということですが、その点についても、難民や移民がたくさん来ているから、その子どもたちに関わったり、その子たちの親代わりになれればいい、という考えの人たちもいるそうです。

パートナーとか、家族とか、子どもとか、性に関することとか、「個人主義」という言葉で表現されていましたが、僕からするととてもフラットな視点を持っているように感じましたし、自分の考えにとても近く感じました。

けれど、性に関しては、日本での性風俗のようなものがないので、ちょっとした浮気が本気になってしまう、というようなことが書かれていましたが、ドイツにはFKKという性風俗が有名なのに、それについて一切触れられていなかったのは、なぜなのだろうか、と少し疑問です。
FKKに触れると、売春だとか、移民の問題とか触れずにいられないので、一切触れなかったのでしょうか。