映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』

 ラジオにもたまに出ている三浦しをんさんの小説を読んでみました。
 本当はラジオ番組に出ていた時に話題になっていたのは『ののはな通信』なのですが、そちらはまだ単行本なので、文庫で読める本の中で興味が沸いたこの作品にしてみました。
 ちなみに、先日観た映画の「風が強く吹いている」や「舟を編む」も原作は三浦しをんですが、小説を読むのは初めてです。

 


あの家に暮らす四人の女 (中公文庫) Kindle版

 
内容中央公論新社作品紹介ページより)
父を知らない佐知と母の暮らしに友人の雪乃と多恵美が加わり、笑いと珍事に溢れる牧田家。ゆるやかに流れる日々が心の孤独をほぐす。織田作之助賞受賞作。

勝手に五段階評価
★★★★☆

感想
 話の内容としては、1つの家に暮らす4人の女性たちの物語です。
 主人公の佐知とその友人雪乃は40歳近くで独身というか、パートナーはいません。
 途中、こんな切り替わりの仕方がありなの?という場面があるのですが、シリアスにこの独身やパートナーがいないということを描いている訳ではないことが、逆に今だからこそ、この作品で描かれるような、ゆるやかなつながりによる同居というものがリアリティを持つのかな、と観じました。

 特定のパートナーや子どもはおらず、かといって、自分の将来についてすごく不安を感じている訳でもない。
 だけど、誰かと一緒に生活するということに安心感を覚え、その緩やかなつながりを大切に生活していこうとする。
 この「ゆるやかなつながり」だとか、大きく言えば「新しい家族像」みたいなものを、また、佐知の母である鶴代がシングルマザーとして生きた時代そのものが、当時にとっては「新しい女性像」というようなものを描き出していました。

 個人的に興味を持ったのは、同じような年齢の佐知と雪乃が恋愛について交わす話の中に出て来た言葉です。

そもそも人間同士のあいだに真の理解は成立しない。だけど友人なら、相手のすべてを理解したいとも、相手に自分のすべてを理解してもらいたいとも、べつに期待しないでしょ。相手のなかに意味不明な領域があるのを感じても、『まあそういうもんか』と、むしろ余裕を持って自分とのちがいを楽しめる。だから相手が男でも、友だちであるかぎりは、理解が成立しなくても問題ない。

 
 上の言葉のように、パートナーと友人のような関係を結べることは理想です。
 けれど、友人とは恋愛関係にはならないわけで、性的な関係にはならない訳です。
 性とまで言わなくてもスキンシップとかの身体の触れあいも、生きる上でとても大切なことだとすると、友人のように暮らすことは難しくなってしまうのかな、と思います。
 それは、昨年ちょっと話題になっていたこの記事(→結婚1、2年目でレス。あいのり・桃さん「眠れない夜もあった」)とも関連します。

 「新しい家族」を描くと、他の小説でも今は性と結びつかない家族像を描くものを目にしますが、それを抜きにすることが本当に出来るのか?ということも、最後の展開で考えさせられるようになっていて、好感が持てました。