映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

実家の居心地

 うつ病を再発し、暮らしていた家から追い出されて以降(追い出された経緯などについては「最後の面会」)、何をしでかすか分からない、ということで、定期的に実家に寄り、泊まらせてもらうようになりました。
 家を追い出される前から働いてはいたものの、実態としては専業主夫だったので、1人で暮らすには十分な収入がなく、うつ病でかなりしんどい中(自分でもよくやったと褒めてあげたい)、2つ目の仕事を探し、ダブルワークが始まりました。
 その2つ目の仕事、応募したのは自分が住んでいる家に近い所を希望していたのですが、配属先が実家に近い所になりました。
 自分の家から通うと片道1時間以上かかるのですが、実家からだと30分もかからず、シフトによっては夜9時まで働くことがあるので、うつ病ということで寄っていたのが、仕事が遅くなる時に、泊まらせてもらうようになりました。

 そんな、実家に泊まらせてもらったある日のことです。
 実家には1度数年間だけ実家を出ていた兄が暮らしているのですが、夕食の直前、母が夕食の支度が今まさに佳境と行ったところで、兄が叫び、怒り出し始めました。
 兄が発狂し始めた理由は、自分の部屋以外のあちこちに置いてある荷物を勝手に移動された、というもので、それはすさまじいもので、母が料理をしているのは見れば分かるにも関わらず、あるべき場所にあれがない!、どこにやった!と詰問し怒鳴っていました。
 明らかにそんな話を母にするタイミングではないだろう、と思いつつも、「今」必要なのかも知れないと思ったら、そういう訳でもなく、その後、母が用意してくれた夕食を食べ始めました。 
 

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 この兄の怒り狂う様子を傍目で見ながら、胃がキリキリと痛む思いだったのですが、これだよ、と思い出しました。

 何を思い出したのかと言えば、僕が実家から早く出て行きたいと思っていたこととその理由です。
 兄とは同じ家で暮らしながらも数年間一度もお互いに声をかけないような関係だったのですが、そんな兄と一緒に暮らしたくない、ということはもちろんのこと、今回のように身勝手に振る舞う兄に対して、強く反論することもない母の姿勢にも僕は嫌気がさしていたのでした。

 実家から距離を置きたい、距離を置くだけでなく、「安心できる自分の家族」が欲しいと思ってきました。
 その結果が22歳での、周囲の多くの人が反対した結婚につながりました。
 今思えばですが、結局、早く家を出て行きたい、早く安心できる自分の家族が欲しい、というものが大きくて、パートナーとしてふさわしいかどうか見極めることを怠ってしまったのだと思います。

 その、パートナーとしてふさわしいかどうか、というのは、具体的に言えば、僕がなぜ結婚したいと思っているのか、その一番の理由である「安心できる自分の家族」が欲しい、ということを理解してくれるかどうかです。
 身体的、肉体的に虐待があったりした訳ではないけれども、この家(実家)では暮らしていくことは出来ない、明確に関係が壊れているわけではないけれども、この家から距離を置きたい。
 今まで育ててくれた恩もあるので、なるべく頼ることなく、生きていきたい。
 それが明確になるのが、僕にとっては結婚というものでした。

 けれど、その一番共有しなければならない所を元配偶者は全く理解していませんでした。
 元配偶者は両親とも良好な関係を築いていて、経済的に頼ることもいとわず、自分がそういう関係を両親と築いてきたので、僕もそうなのだ、と理解しているようでした。
 確かに表面上は親子関係に問題があるようには見えないので、その表面だけしか見ていなかったということなのでしょう。

 兄が身勝手に振る舞う様子、母がそれに受け流す様子、70過ぎて介入することよりも黙ることになった父、そして、それがおかしいと思いつつも黙っている自分に嫌気がさすとともに、なぜ今こうしているのか、という、これまで自分が経験してきた「家」「家族」というものを振り返らずにはいられませんでした。