映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『子どもへの性的虐待』

先日、性虐待に関する本を読んでいるということを書きました。

その中で、虐待の本を読む理由として、「自分自身も虐待をしてしまうかもしれない」ということを書いたのですが、ツレに「性虐待も?」と聞かれたので、一応書きますが、性虐待をしてしまう恐れは全く自分では感じていません。

むしろ、この性虐待は知れば知るほど恐ろしさばかり感じられて、子どもたちを守るにはどうしたら良いかはもちろんのこと、先日の記事でも書きましたが普段の生活で、身体を洗うのは性虐待っぽくなってしまうこともあるのではないか、と戦いています。

 

さて、前回に続いて性虐待の本を読みました。

6年前、2008年に出された本ですが、レビューなどを参考に、著者の経歴を含め、読むべきものだと思い、選びました。

 

子どもへの性的虐待

 

この本は、Amazonなどでよくあるような5段階評価をするのは少し難しい内容でした。

なぜ、5段階評価が難しいのかというと、たとえば、

○性虐待の現状と改善点に関して、著者が活動していた米国と日本を比較しながら詳述し、具体的提案をしている。

○性虐待が及ぼす、被害者への深刻な影響を詳述している。

○男性の性虐待にも触れられている。

とこれらの評価すべき点がいくつもある一方

ペドフィリアの欄で、過去の有名な殺人事件の犯人がその事実がないにも関わらずペドフィリアだとしている。

●事実に基づく記述がある一方、「~と聞く」と事実かどうか定かではないものが混同している。

●シンプルな誤記がある(これは著者というより校正者の問題かも知れませんが)。

というような評価しづらい点がいくつかあったからです。

 

なので、書物全体を、なんの注釈もなしに、「この本は良かったよ」と簡単に言うことは難しいものでした。

 

しかし、この本を読んでも改めて認識したのは、

○性虐待が及ぼす、被害者への深刻な影響

○男性でも被害に遭う(男性の場合は女性よりもさらに被害を公にしづらい)

この2点でした。

 

以下に引用する文章だけでも、性虐待の基本的な知識として子育てする人には知っておいてもらいたいものです。

国際的な研究の場でしばしば引用される子どもへの性的虐待の統計数値によれば、性的虐待は三~四人に一人の女子(Russel, 1986)、五~六人に一人の男子(Finkelhor et al., 1990)に起きてるといわれている。男子は女子にくらべてはるかに多く家庭の外で性的被害にあうこともわかっている。被害者はあらゆる年齢に及んでおり、米国の調査では、性的虐待の被害児の平均年齢は九・三歳である。これは〇歳から一八歳のちょうど中間年齢に当たる。被害年齢が幅広く分布していることを示している。

子どもへの性的虐待加害者の大半(七〇~九〇%)が子どもの知っている人である。フィンケルホーらの調査によると、性的虐待の加害者の大半は男性で、女子が被害者の場合は九八%が男性の加害者、男子が被害者の場合も八三%の加害者は男性である。女性の加害者も数は少ないけれども、いることは認識しておく必要がある。保護者による性的虐待は六~一六%で、親類縁者による性的虐待は二五%。知らない人による性的虐待は五~一五%である。

また、この本の中で日本で男性性虐待被害者のコミュニティを作って活動している方が紹介されており、その方を調べてみたところ、成人になってから「電車内で痴漢にあった」という男性の話がありました。

僕自身は満員電車に乗る機会もありませんし、そういう機会はありませんが、そういえば大学時代に、水泳をやっていた親しい友人がしていた「更衣室でよく性器を見せつけられる」という話を思い出しました。

その友人は痴漢などには遭っていない様子で、「困ったなぁ」という感じで話していましたが、小さい子どもなら相手が力尽くで行動してくる可能性も高くなるので、やはりあり得る話なのだな、と思いました。

 

衝撃的な事実かもしれませんが、現状を直視するのにはとても良い本だと思いました。

しかし、では「どうすれば、性虐待を行わないのか」という点についてはあまり触れられていませんでした。

僕自身が、子育てを今している身として一番良かった記述は、前回の本で「生まれた時から子育てに関わっている人ほど性虐待の加害者になりにくい」というものです。

これは「男性」加害者が多い理由(というか女性加害者が少ない理由)の一つなのかもと推測しています。

そういう意味でも、世の中の【男性の育児参加】が増えれば増えるほど、この問題が少なくなる可能性もあるのではないか、と思います。