映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

4月に読んだ本

恥ずかしげもなく今回も先月中に読んだ本について書いて見ます。

まずはこちら↓

僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想

この本の著者である荻上チキさんがパーソナリティを務めているラジオ番組「セッション22」を聞いています。

22時から番組が始まるので、早寝早起き型の僕には生では聞くことが出来ないのですが、ポッドキャストになっているので、それを使って聞いています。

ちなみにポッドキャストだと倍速再生も出来るので、大体1.5倍で聞いています。

そうすると時間も短縮して聞けるのでかなり便利です。

(その代わり番組中に流れる音楽は聴けないのですが。)

と、本の話ではなく、ラジオをどうやって聴いているかの話になってしまいましたが、「そういえばチキさんの単著って読んだことがなかったなー」と思い読んでみた次第です。

今の政治(国会議員を中心とした中央政治)が置かれている状況を踏まえながら、果たして今行っている議論やこれまで行われてきた来た議論が適切だったのか、ということについて書かれています。

とこれでは何が書かれているかは分かりませんが、例えば「交通事故を減らす」と言うときに、減らそうとするための方法として、車自体の性能の向上や、道路などの整備という交通環境の整備とともに、飲酒運転や持病があるなどの事故を起こすリスクが高い(と思われる)人たちの運転を控えるようにさせるという運転する人へアプローチする方法があります。

しかし、メディアで盛んに取り上げられるのは、飲酒運転などの運転する人へのアプローチばかり(例えば飲酒運転に対する厳罰化もその流れで起きました)。

では、実際に事故がそれによってどのくらい減っているのかというと、曖昧で、むしろ交通環境の整備による交通事故の減少の方が確実に成果を上げているという事実があります。

これらの具体例から、感情的に盛り上がるのももちろん、果たして仮に感情的に盛り上がってしまったとしても、その盛り上がりによって行われたことが、実際にその後どのくらい有効だったのか、ということをちゃんと検証しましょうよ、ということが述べられていました。

また、最後の方では、では無力にも思える1人の自分が何が出来るだろうか、という思いを持っているであろう個人にも方法を提示しています。

それらの方法は決して無理難題ではなく、地に足の着いたものであるとも僕には思えました。

一番難しいのは、それをやれるかどうか、というよりも、やり続けることが出来るかどうか、ということかな、と。

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

子どもたちが小学生になり、区の安全防災メールというようなものに登録したり、あるいは学校独自のメール連絡網から「不審者情報」が送られてくるようになりました。

でも、その「不審者情報」に書かれてるのは、「男性に女児が話しかけられた」とか、話しかけられた内容も分からないので何故「不審者」なのかも分からなかったりします。

単に近所に住む人が挨拶したのかも知れないし、道が分からなかったから訪ねただけかも知れない。

だけど、「不審者情報」として内容が曖昧なものを保護者や地域の人に知らせることで、余計に不安を煽っているのではないか?と思ったりすることがあります。

ということで、自分で犯罪がどの程度増えているのか調べるという方法もあるのですが、まさにこのテーマの本があるので読んでみました。

この本に書かれてあるのは、犯罪って本当に増えてるの?、ネガティブな情報に惑わされることなく、「実際に起きていること」を知ってみましょう、ということです。

たとえば、子どもが犠牲者になる殺人についてこんな記述がありました。

たとえば、昨今、メディアで問題になっている小学生が殺害される事件であるが、一九九O年以前と比較して大幅に減少したまま安定している。最も多かった七六年が一OO人、八二年は七九人、それ以降、目に見えて減少し続け、O五年は二七人である。

 しかも、殺人事件の統計は未遂を合むものであること、さらに子どもが殺害される事件の大半は家族などによる虐待であることを考え合わせると、見知らぬ不審者に命を奪われた小学生の数は、実際はほとんどいないというのが現実なのだ。

殺人だけでなく、小学生が被害にあう犯罪で最も多い加害者は誰かというと「見知らぬ人」ではなく、「知っている人」です。

統計に表れているものなので、もちろん性犯罪など、被害をそもそも申告していない犯罪が多数ある可能性もありますが、少なくとも統計に表れているものでは、小学生に対する加害者は「知っている人」なのです。

それらを知った上で、「防犯」を考えていますか?というのがこの本の呼びかけているものだと思います。

また、過度に防犯が行き渡った結果、街に居づらく(というか排除)なってしまった人たちのことへの言及もありました。

生活時間帯が多くの人とは異なる職種の人問、失業者やホームレス、精神障害者知的障害者、在日外国人など、「普通の人」とは異なる生活リズムやスタイルを持つ人びと、結局はこうした者たちが不審者と見なされるのだ。

 それは揃いのジャンパーに身を包み、「防犯」という腕章をつけた善意の住民たちの目に、異質な者として映る者たちでしかない。だが、そうした異質者たちが不審者として、今社会から排除されている。

この指摘はとても重要だと思います。

防犯という名目で「不審者」扱いされる人たちが出て来たことによって、むしろ彼らにとっては生活しづらい社会が出来てきているのではないか、と。

実際に、路上生活を送る人たちが排除されていく姿を目にし、本来ならば彼らを保護しなくてはいけないはずの行政がむしろ「不審者」として排除しようとするのはこのような「防犯」という背景が少なからずあるのではないかと思います。

他にも、刑務所に収容されている人の実態を明らかにすることで、犯罪を犯す人たちがどのような状態にあるのかということを明確にしてあり、「本当に犯罪が増えているのか?」というものを刑務所といういわば「内部」からも焦点を当てていて、より実情が理解出来たように思います。

無業社会 働くことができない若者たちの未来

ここまで書いていて疲れてしまったので、あとはさらっとコメントを書くだけにします。

この本は、今年に入って(僕が)緊縮財政下にあり、本をなるべく買うのを控える名目で通い始めた古本屋さんで見つけたものです。

「無業者」特に「若年無業者」の実態と、その人たちにどのようなアプローチが必要なのかということをこちらも統計と実際の活動を通して書かれています。

根底にある、「誰もが無業者になり得る。自分は運が良かったので就労できている。」という西田氏の実感は同意しますし、今後もそれを忘れないで欲しいな、と思いますが、「運が良かった」人とそうではない人とは何が違ったのか、ということをもう少し掘り下げられていたらよかったかな、と思いました。

カルト村で生まれました。 (文春e-book)

朝日新聞(だったかな?)の書評を読んで買いましたが、実はその前から知っていて、読むかどうか悩んでいたのですが、書評に後押しされて読んでみました。

新宗教を少しでも学んだことがある人にはすぐに「あそこか」と分かる団体で生まれ育った著者によるコミックエッセイです。

著者が僕と同世代で、団体を出て10年以上経っているので今現在も同じような状況なのかは分かりませんが、とりあえず僕が子供の時のことを思い出しながら、「こんなことがあったのか」と読みました。

先日行ったアースデイでもこの団体がブースを出していて野菜や卵を売っていて眺めていたら、他の人がこの団体を知らなかったようで「全国に農場があるんですか?」とか聞いていて、この団体を全く知らない人も多いんだなぁ、と逆に驚いた次第です。

北欧女子オーサが見つけた日本の不思議 (コミックエッセイ)

こちらもコミックエッセイです。

著者のオーサさんが朝日新聞に出ていて、京都で舞妓さん(?)体験か何かをしていて「この人何者?」と思って調べたら、この本を出しているということで、レビューの評価も割と高かったので読んでみました。

過度に「日本ってすごい!」というものでもなく、過度に「日本って変だよね…」というものでもなく、成人してから日本に来て生活するようになった「外国人」が日常生活で発見したこと、驚いたことを生活者視線で書いているのが好印象でした。

たとえば、最近見かけるようになった、くねくねまがっている手すりとか。

この本が面白かったので2巻もすぐに読みました。