映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

寮美千子『あふれでたのはやさしさだった』

 新聞の書評で紹介されていて、興味を持ち読んでみた本です。
 

book.asahi.com

 


あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室

 

西日本出版社 あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室

 

内容紹介西日本出版社より)
奈良少年刑務所で行われていた、作家・寮美千子の「物語の教室」。
絵本を読み、演じる。 詩を作り、声を掛け合う。
それだけのことで、凶悪な犯罪を犯し、世間とコミュニケーションを取れなかった少年たちが、身を守るためにつけていた「心の鎧」を脱ぎ始める。
一人の少年が書いたまっすぐな詩、「空が青いから白をえらんだのです」が生まれた場所で起こった数々の奇跡を描いた、渾身のノンフィクション。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 泣きました。

 奈良少年刑務所というのは、今は旧奈良監獄として観光スポット&ホテル(旧奈良監獄 THE FORMER NARA PRISON)にもなっている歴史的建造物なのですが、廃庁する2017年まで実際に「刑務所」とされていた場所です。

 少年刑務所という名前からどういう所なのか、どういう人がそこにいるのかわからなかったのですが、「少年」というのは26歳未満、つまり25歳までの男性がいること、そして「刑務所」なので「少年院」とは違い、「3年以上の有期の懲役または禁錮」刑を処されている人たちがいる場所とのことです。

 「3年以上の有期の懲役または禁錮」というのはかなり重い刑罰で、例えば傷害罪、業務上過失致傷罪、恐喝罪などがあてはまります(刑罰の内容/刑事告訴・告発支援センター)。
 中には殺人なども含まれていることが、本の中には触れられています。

 その少年刑務所において、さらにコミュニケーションが難しい少年たちが集められた「社会性涵養プログラム」の一つとして月に1度、1期半年間(つまり1期6回)にわたって寮美千子さんがお連れ合いの松永洋介さんと行った「物語の教室」での出来事と、彼らが作った「詩」が書かれています。
 奈良少年刑務所での寮美千子さんが担当した「社会性涵養プログラム」は2007年から2016年まで行われたそうです。

 冒頭に書かれていて、そして、この本に書かれている内容を端的に表していて、さらにそれが伝わってきた文章を引用してみます。

 わたしは確信した。「生まれつきの犯罪者」などいないのだと。人間は本来、やさしくていい生き物だ。それが成長の過程でさまざまな傷を受け、その傷をうまく癒やせず、傷跡が引きつったり歪んだりして、結果的に犯罪へと追い込まれてしまう。そんな子でも、癒やされ、変われることがあるのだと、心から信じられるようになった。
 教室を通してもう一つわかったことは、彼らがみな、加害者である前に被害者であったということだ。困難な背景もないままに、持って生まれた性質だけで犯罪に至った子など、一人もいなかった。


 「犯罪」あるいは、「虐待」の報道を目にすると、「加害者」を強烈に非難する傾向がもの凄く強いと僕は日頃感じています。
 もちろん、犯した罪は許されないですし、被害者の命や負った傷を思うとき、加害者に「罪がない」とは思いません。

 けれども、加害者のことを考えると、「何故彼・彼女らはその罪を犯してしまったのだろうか?」と思うのです。
 実際に身近にそういう人がいないので、今までモヤモヤしたままだったのですが、この本を読んで分かったのは、「彼らがみな、加害者である前に被害者であったということ」です。
 加害者になる前に、被害者でなかったら、そもそも加害者になることはなかったのではないか。

 そして、被害者だったとき、その「加害者」を支える人やシステム、仕組みがあったなら、彼・彼女らも「加害者」になることも、被害者になることもなかったのではないか。
 その思いを確信させてくれる内容になっていたと同時に、刑務官に対して勝手に抱いていた「厳しいだけの人間」というイメージも払拭されました。
 刑務官たちも受刑者たちが置かれてきた状況を理解し、だからこそ、そこからどうにか罪を償うと同時に、彼らが生きやすくなることを願って、行動していることがわかりました。

 「あいつはこんな悪いことをした!」と単に責めるだけではなく、何故彼・彼女らはその犯罪を犯さなければならなかったのか。
 そこを考え、そしてその仕組みを作り、日本国憲法第3条にある基本的人権が誰しも漏れることなく守られ、そして仕組みだけでなく、人として尊重される人間関係が築かれる社会を作っていくこと、その大切さを改めて痛感させられました。

 では、僕はそのために何が出来るのか。
 気付きだけでなく、何が出来るのか、考えるだけでなく、何か行動をしていかなければ、と思います。