映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『マチネの終わりに』

先日、久しぶりに小説を読みました。

正確に言えば、小説自体は読むこともあり、それは村上春樹の新刊だけでした。

高校生の時に、当時その高校は蔵書が高校にしてはかなり多く、(授業中、特にやることがなかったので)小説をたくさん読んでいました。

その時に、誰が書いたものだろうが、いつの時代のものだろうか関係なく読んでいたのですが、とりわけ村上春樹の作品に魅了されました。

大学時代はまだ小説を読んでいたのですが、大学院以降はどうしても専門書を読む方が優先されてしまい、村上春樹の翻訳含めた新刊以外は小説を読むことが殆どなくなっていました。

3月に『騎士団長殺し』を読み、また少し小説を読みたいなと思っていたところ、前から気になっていた『マチネの終わりに』の作者である平野啓一郎さんが津田大介さんのメルマガで作品について語っていたのを読み、読んでみることにしました。

実際は、まだ単行本と電子書籍でしか発売されておらず、(僕の懐事情では高いのですが)たまたまクーポンがあり、かなり割り引かれたので、電子書籍で購入して読んでみました。

マチネの終わりに Kindle

『マチネの終わりに』特設サイト平野啓一郎

あらすじ(特設サイトより)

物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー

感想

他の人の感想や書評を一切読まずにこの本を読めたのは幸運でした。

この作品は、多分映像化を期待する人が出てくるでしょうし、現時点で作中で触れる音楽を扱ったCDも発売されているので、いずれ映像化もされるような気がします。

もし、映像化されたとしても、この小説は、映像化される前に読む方が良いと僕は思いました。

それは、この物語では「どの時代を生きているか」が重要な背景になっているからです。

この時代だからこそ展開される物語で、しかし、この時代をもし映像化すると安っぽくなってしまうのではないかと思うからです。

逆に、この時代で展開される物語だからこそ、すごくリアルに感じました。

登場人物の蒔野はギタリストで、洋子は父親が有名な映画監督でダブルのジャーナリストと、現実の自分とはかけ離れた存在ですが、それでも身近な物語として感じる事が出来ました。

それは、僕自身が33歳になったということも大きいのかも知れません。

物語では、最初、蒔野は38歳、洋子は40歳です。

僕とは少し年齢が離れていますが、それでも、年齢による結婚や妊娠への最後の可能性という切迫したような感情や、それを想像する男性側の態度、というものは30代も半ばになってきたからこそ、身近な出来事として、リアルな出来事として捉えることが出来ました。

読後にみたいくつかのレビューの中には、「メロドラマかよ」というような批評もありましたが、それさえも、年齢によって決断しなければならないことがあるということを考えた時、お互いのすれ違いを決定的なものにしてしまったように思いますし、最終的に希望的な終わり方になっているのは、単に「メロドラマ」と評してしまうよりは、そこに至るまでの5年以上の歳月を考えるとそのように簡単に評することが出来ないのではないか、と思いました。

まして、希望的な終わり方ではあっても、この後どうなるのかは全く分からないので。

久しぶりに小説を読んだからかも知れませんが、本当にとても良い作品だな、と思いました。

しばらく、他の小説を読んでみようかなと思い始めました。