映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ハッピーエンドが書けるまで」

先日、映画について書かれた本を読んで、ふと疑問に思ったのですが、他の人は映画を観る前にどのくらいその映画について情報を得てから観るものなのでしょうか。
僕は、公開間近や公開中の映画に興味を持つときは詳しい内容はあまり知りたいとは思わず、大筋だけで十分で、だからこそ事前に公式サイトなどもほとんど観ることはありません。
僕にとっては小説と映画は似たようなもので、内容は知らなくても、作者が誰かや評価が高かったから、というような理由で選ぶことが多いです。

さて、ということで、内容は知らずに、今回もAmazonでのレビュー数が多かったのと、評価が高かったので観てみた映画です。
 

ハッピーエンドが書けるまで (字幕版)


作品データ映画.comより)
監督 ジョシュ・ブーン
原題 Stuck in Love
製作年 2012年
製作国 アメリ
配給 AMGエンタテインメント
上映時間 97分
映倫区分 PG12

あらすじシネマトゥデイより)
作家ビル(グレッグ・キニア)は前妻エリカ(ジェニファー・コネリー)を忘れられず、離婚して3年たってもまだ彼女の家の周りをウロウロしていた。大学生の娘サマンサ(リリー・コリンズ)はさっさと父親を見限って新しい恋人を作る母親を嫌悪し、3年間ろくに口もきいていない。そんな彼女に同級生のルイス(ローガン・ラーマン)が恋心をいだくが……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 原題は「Stuck in Love」。
 翻訳すると「愛の中で行き詰まる、立ち往生する」「愛に身動き取れなくなる」といったところでしょうか。
 映画を観てから、内容を踏まえて意訳すると「愛の泥沼にはまり込む」と言っても良いかもしれません。

 物語の冒頭で主人公の大学生サマンサが小説家デビューし、サマンサの父親であるビルは一定の読者がいる作家、そして高校生の弟ラスティもラストで自分が書いた小説が雑誌に売れる、という小説家一家なのと、ラストの展開を踏まえて日本語タイトル「ハッピーエンドが書けるまで」というタイトルになっているのだと思います。
 しかし、サマンサが書いて初めて出版されることになる小説、ラスティが書いて雑誌に売れた小説、ビルがかつて書いて元妻が読んでいた小説はタイトルこそ言及されますが、どのような物語なのかは一切分かりません。
 サマンサを中心にしていてもサマンサが物語を書いている場面もなかったので、原題の方が良かったのでは、と思いました。

 ということで、原題から考えると「愛に行き詰まる」とかそんな意味になるのですが、サマンサを含め、家族四人(父親のビル、弟のラスティ、ビルの元妻で母親のエリカ)がそれぞれの愛を描きながら、最終的には家族再生の物語となっています。
 家族再生の物語なので、「なんだかんだあってもやっぱり自分たちは家族なんだよね」ということが明確になる、日本語タイトル通りある意味「ハッピーエンド」で終わります。

 でも、「なんだかんだあっても」という部分が、確かにいろんなことが起き、いろんなことが過去にあったことも明らかになるのですが、それでも、ビルだったら3年間も元妻を待つということや、サマンサがルイスを拒絶したあと、確かにものすごく大きな出来事が起きるもののルイスと関係を戻すという展開が、なぜそこまで?という点を深掘り出来ているようには思えませんでした。

 サマンサは特定の人物と継続的な関係を築こうとはせずに、その場限りでのセックスを繰り返していたにも関わらず、そういうことをしてしまう理由も、なぜルイスがそれを止められたのかも丁寧に描かれてはいないように感じました。
 けれども、映画の中の家族としてとても良かったのは、大学生の娘、高校生の息子とその父親が性(セックス)に関して、タブー視していないことです。
 ラスティに恋人が出来たあと、大学のある町から帰ってきたサマンサに父親は「ラスティは多分彼女とセックスしてる」という話をしたり、父親が近所の人妻と関係を持っていることについても、サマンサは「前から知ってるよ」と。
 僕自身が父親という立場でもあるので、高校生や大学生になったら、恋人が出来たらそういうことをするもんだ、という前提で、タブー視することなく話題に出来る関係はとても良いなと思いました。

 さて、小説家一家のこの「Stuck in Love」、なぜ僕が原題の方が良いと思うのかというと、唯一、小説について語られる場面で、レイモンド・チャンドラーの『愛について語るときに我々の語ること』("What We Talk About When We Talk About Love")が引用されているからです。
 ビルが娘サマンサの出版祝いパーティーで小説について語る場面があるのですが、そのときに、この小説のラストの一節を引用しています。
 

自分の胸がどきどき音を立てて鳴るのが聞こえた。僕はひとりひとりの心臓の鼓動を聞き取ることができた。そこに腰を下ろしている人々の身体の発する物音のひとつひとつを僕は聞き取ることができた。部屋の中がすっかり暗くなったが、それでも誰一人として動こうとはしなかった。(村上春樹訳)


 『愛について語るときに我々の語ること』というタイトルの小説が「Love」にかかっていることはもちろん、「部屋の中がすっかり暗くなったが、それでも誰一人として動こうとはしなかった」という部分が「Stuck」とかかっているのではないかと思います。
 また、この映画では観客が場面に映し出されるそれぞれの登場人物たちが愛にはまる様子を「ひとりひとりの心臓の鼓動を聞き取る」ように観ているのだ、ということを表しているのだと思います。